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人間になりたがる女子大生

こんにちは、遠い存在だと思っていたけれど
気づいたら就活生になってました。

某女子大に通っているのですが
就活を意識して、より思うことがあります。



私たち、女子大の学生は
人間になりたがっている


は?と言われてもしょうがないのだけど
女性ではなく、人間になりたいのです。


女子大の中で私たちは1人の人間だけど
女子大を出ると私たちは「女性」として扱われる。


これが大きな違和感なのです。


また、私の通っている大学では共学よりも、「女性と労働」「女性の働き方」「ジェンダー」に関する授業は多いし情報も豊富だからかその辺りに興味ある学生が集まっています自立志向が高く、いわゆる「バリキャリ」を目指す学生も多いです。

そうすると、結婚、出産を始めとする
ライフイベントで仕事を諦めたくない。
「女性であること」を理由に
仕事を諦めなきゃならないのはおかしい。



という意見を持つ学生も少なくないのです。



これは過激なフェミニズムではなくて
人間としての文化的権利の主張なのです。



「諦めなければ良い」


そんな簡単な話だったら、
こんな議論何十年も続けられてない。


実際に昇進出来る限界があったり、
結婚出産で会社復帰が難しかったり
戻れても時短勤務だから昇進できなかったり



「女性だから」家庭に入らなきゃいけない
時代は終わりつつあるけれど。

「女性だから」育休取らなきゃいけない
時代は終わっていない。

「女性だから」家事して当たり前。
「女性だから」料理できて当たり前。


「女性だから」「女性だから」「女性だから」


社会から押し付けられているように感じる。
「女性だから」という前置きがなくなれば良い

私たちは女性である以前に人間だ。

学長がおっしゃるように

私たちは、次の世代へバトンを渡してゆく女性たちの長い列にいる。

次の世代へどんなバトンを渡せるかは全て、私たち次第。

これが、女性たちの列でなく
人間たちの列と言えるような時代に。


これは女性だけではなくて、男性にももちろん当てはまる。

そもそも、社会的な男性らしさや女性らしさとは
一体誰のため、何のために存在しなければならないのだろうか? 


誰かを好きになる、大切な人と一緒にいたい
ただそれだけなのに性別で決めつけ、規制する。
その規制で幸せになる人はいるのだろうか?


規制に反対するだけでは意味がない。



規制や法律を変えられない理由、変えるにあたってぶつかる問題、色んなところに目を向けていかなければならない。


Nothing about us without us


この言葉をいつも胸に抱いて生きていきたい。


まだ知らない未来は、今よりももっと素敵な時代にしていきたい。そういう意思がある。

性別、国籍、人種、宗教、身体や精神的差異
自分にとって都合の良い集団として一括りにするの
もうやめませんか。

誰もがひとりの人間として関わっていく
人を名称をつけた輪で区切る時代から、
輪の境をぼかしてフラットに見る。

そんな時代になっていってほしい。



みんなマイノリティで、みんなマジョリティ
違いは価値であり、創造の種になる



いつからか私はそんなことを考えるようになった。


 私は女子大に通う「人間」であり、「女性(生物学的)」


今日も明日も「女性」であることを認める自分と、周囲から「女性」として扱われることの違和感の狭間でムズムズしている。


いつかこのムズムズを解消できる日は来るのだろうか?

#日記 #就活 #女子大生 #女子大 #女性  #多様性