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モデラート・カンタービレ


人生は儚く、うたかたのよう。
という、フランス人作家、ボリス・ヴィアンの小説。
先日、「うたかたの日々(日々の泡)」について書いたものが、#音楽の記事で、うれしいお知らせをいただきました。

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スキを押してくださった皆様、ありがとうございました。



うたかたについて・・・生きている時間について考えてしまいます。
焦る気持ちもありながら、

「時間を得ては時間を失い、時間に逆らって生きる」

という、フランソワーズ・サガンの言葉を思い出しました。
命に限りがあるならば、「怠惰」を贅沢な特権として「味わう」ことも、ある意味、自分を成長させることかも知れません。
人生を楽しむ、という意味でも。

私の最も好みの気晴らしは、時間はただ流れるままにし、
時間を得ては時間を失い、時間に逆らって生きることです。
                         フランソワーズ・サガン


これを思い出したのは、昨夜、makitanさんのサガンの本についての記事を読んだためです。
自分で自分の面倒をみられる大人の女性でありながらも、すっと見せる繊細さや女性らしさ。makitanさんを、いつも素敵だなあ!と思います。


自分自身をよく知るということは、精神的に誰かに寄り掛かりすぎない、ということだと思います。

「愛」と同じくらい「孤独」を知っていること。
「孤独」を知るゆえに「愛」の深さをわかること。

アンビバレンス
人は、二つの相反する心情を持ち合わせているそうです。
周囲からは読み取れない深い部分こそが、その人の魅力に感じられます。
両面感情、または両価値。
自分の中の両面感情を、うまくバランスを取って生きられたなら、味わい深い大人になれるのに・・・と、自らを省みて思います。


あまりにも眩く光り輝く人は、影もまた濃いのだ、と聞いたことがあります。
人により、光と影の強さはまちまちだけれど、振れ幅が大きければドラマチックだし、振れることを好まず中庸を保ちたい人もいるでしょう。

影の部分はあえて見せる必要はないし、見せたいのならば、上手に見せることができたなら、むしろ、表現者として大成功するような気がします。

サガンが孤独を抱えていたとして、
それを昇華させるのが小説であったとしたら・・・。

別のフランス人作家の、古い文庫本を思い出しました。
マルグリット・デュラスの「モデラート・カンタービレ」
物憂い雰囲気の中に描かれる人間模様。

モデラートは、中くらいの速さで、という音楽用語。
カンタービレは、歌うように、なめらかに。表情豊かに・・・。

この小説の主人公は揺れています。
人はみな、自分のことは自分自身がいちばんよく分かっているものだ、と果たして言い切れるでしょうか。
幸せなのに寂しかったり、恵まれていながら不安であったり。
そんな自分に気づきながらも、本当に自分が求めているものがわからないことも。

ところが、ある非日常的なことが契機になって心が震え、そのときはまだ、その動揺の正体は見えていないれど、次第に自分の中で、後戻りのできないような変化に気づいていく・・・。

そんな不安定な状態にある時に、自分の心持ちを見透かしているような「理解者」が現れたらどうでしょうか。
その人と対話を重ねてゆくうちに、自身の意識が次第に明るみになっていく過程と
その結末。
私は、第三者として、それを目撃したいと思います。

デュラスの小説の中の美しい風景描写。
夢のような、想像の中の世界が描かれています。
しかし、それは孤独とともに、日常生活のすぐそば・・・むしろ、現実に近いところのお話であるように感じます。

外では、初春の夕闇のうちに、庭園の木蓮が、その葬儀ともいうべき開花に精を出している。

小説の意味が込められているような文章です。

木蓮。マグノリア。
AQUA DI PARMA の MAGNOLIA という香りが好きで、使っていました。
久しぶりに引き出しから出し薫らせてみました。

デュラスもまた、愛と孤独、光と影を知る小説家であると思います。



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