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サイケデリック ヒプノティカル スパイラル

 3歳の頃の記憶など疑わしい気はするものの、はっきり覚えていることがある。
 それは、同じ歳のじゅん君が絵の具セットを肩からかけて、道の向こうからやってきた姿。
 今でも覚えている。

 深緑色の大きなスケッチブックを綴じるコイル部分に、百貨店で荷物をまとめるためにくれるプラスチックの取っ手が無理矢理に嵌め込んであり、それをおかあさんに持ってもらい、彼は青い絵の具箱を斜めがけにしていた。
 それ!何?
 「わたしもやりたいっ!」
と母にしがみつくようにして頼んだのは、近所のお絵描き教室へ行くことだった。

 私は、そのお絵かき教室で赤いスケッチブックを渡された。
 多分、しっかりした厚い画用紙が綴られている、ホルベインの古いタイプの。
 あのお絵かき教室が、私の原点になったのかも知れない。

 キキ先生とノト先生は、センターパーツのストレートロングヘア。
 細いヘアバンドをしていたり。
 もちろん、ボリュームたっぷりのつけ睫毛。

 子ども相手でも容赦しない物言いが、幼稚園の先生とは全く異なり、ちょっと年上扱いしてもらっているようで嬉しかった。
 他にも男女の先生が何人か、来ていた。
 みな、東京藝大の学生だったようだ。
 細すぎるくらいの身体に、タイダイのピチピチのTシャツ。
 ベルボトムジーンズ。
 サイケなスカーフ・・・。
 ちょっと扉の外に出ては、格好良く煙草を吸っていた。

 音楽は、何を聴いていたのだろう。
 60年代後半から引き続き・・・なら、ジャニスあたりなんだろうか。
 

 ポルシェは他にもタイカンのアートカーを展示したりしている。
 民族的な花柄とか・・・。
 ポルシェにではなくて、ペイントカーには興味がある。


 70年代の若者であった先生たち。
 キキ先生は、もう70歳代も後半になられているのかしら。
 反戦、ヒッピー、フラワーチルドレン・・・そんな時代。
 サイケデリックフォークやアシッドロックは、70年代初頭には衰退し、その後、プログレッシブロックやクラウトロックなどになったのだっけ・・・。
 アシッドジャズ、アシッドハウス、というジャンルもある。
 リアルタイムとは外れているけれど、プログレは好き。
 小さ過ぎた私には、懐かしいという感覚はないけれど、後に美術大学の授業で、欧米の美術学校ではLSDの実験もあったらしい、ということは聞いた。

 手術で静脈麻酔を使わなければならなかった時、私は本当にサイケデリックな世界を見たことがある。
 ラスタカラーの渦巻きに飲み込まれて、反対周りにジェットコースターのように引き戻された感覚だった。
 正直、怖さしかなかったけれど、サイケデリック ヒプノティカル スパイラルという言葉をみたら、こういうこと?と思った。
 定かではないけれど。
 そして、医療行為の一部だから逸脱しない安全性は保たれていたわけだけれど。

 今、若者が巣鴨を「懐かしい」と表現するとニュースで見た。
 懐かしいという日本語の解釈が変わったのだな、と面白く感じた。
 『レトロであること=(生きていないし、知らないはずだけど)懐かしい』
になるのだろうか。

 お絵かき教室では、絵に集中していたのはもちろんだけれど、実は、キキ先生とノト先生を観察するのが好きだった。
 80年代になると、ええ!ベルボトムなんてカッコ悪い!という対象になり、あのファッションは消えて、ボディコンシャスな派手な服に前髪が鶏冠のような女の子ばかりだったけれど、ファッションは繰り返すので、これも「知らないけど、懐かしい」となって回っていくのかも知れない。
 
 私の母が美術大学に行くのを反対していたのは、実は、あのファッションと自由すぎる先生たちの素行を見ていたからかもしれない。
 そう思うと、たまに可笑しい気持ちになるのは何故だろう。

 
 描き終わると、絵を立てて乾かす間に後片付けする。
 そして、乾いた絵を先生に持っていくと、裏に日付と、今日のお題と絵に関する感想を書いてくれる。
 実は、このコメントこそが今、宝物になっている。
 ほんの何行かのコメントは、「絵・みたいな字」で書かれている。
 カリグラフィーの日本語版みたいでお洒落だ。

 時間ができたら、10年分のスケッチブック全部を広げて、先生たちのコメントを隅から隅まで全部、読んでみたい。
 おサイケな大学生が、何を書いてくれたのか。
 サイケな格好をした若い人が過去、私だけにくれたメッセージなんて、本当にワクワクする。
 もしかすると、今の私へのメッセージがあるかも知れない!
 
 そして、私は絵画療法を学んだおかげで、自分が週1で通ったお絵かき教室での自由画から、当時の自分の心の移り変わりを読めるようになった。
 当時のスケッチブックから十何枚を抜粋して、教材として絵画療法の授業の際に提供したことがある。
 なるほど、その頃あった家族の出来事に見事に呼応した絵を描いていた。
 子どもだから、言葉で表現できないことも、絵にして残していたことになる。

 もっと深読みできるようになったら、そこから他の何かを見出せるかもしれない。
 すでに、今の自分を予知できていたりしたらすごいし面白いけれど、残念ながらそんなことはないだろう。
 予知できたならもうちょっと、違う感じで生きていたような気もする。

  

 
 

 

 

 
 

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