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PURE STYLE

『いたくない場所には、いなればいいじゃない。』
 あるいは、
『行きたくないところには、行かなければいいし、
  会いたくない人には、会いに行かなくてもいいじゃない。』

とてもシンプルで、とても正直で純粋なことに気がつくのに、
随分と時間がかかったと思う。

 本当なら、毎日ビルケンシュトックのサンダルで海の周りを歩き回りたい。
 潮の香りに導かれて、晴れの日も曇りの日も。


 本棚の奥にあるものを、たまに広げる日曜日。
 この本は、まだ20代半ばの頃に買った。
 新宿ルミネの上にあった書店は、その頃、スタイリッシュな本や芸術書があって、仕事帰りに立ち寄っていた。

 とんがった生活は疲れる。
 それで、ナチュラルなスタイルの本に癒しを求めたのと、インテリアのカラーリングが好きで買い求めたのだった。

 質感や手触り、透明感、もこもこ感・・・。
 使われてくたっとした布や、リネンのブランケットなど、顔を埋めたらきもちいいだろうな、と思うもの。


 自然なもの。
 ただ一つしかないもの。
 古くて、新しいもの。


 色の中に世界を見る。
 見て、想像する。

 白いウィンザーチェア。
 薄紫色の壁。

 白い窓枠の窓。
 外から聞こえる音を想像する。


100Collectionより

 20代のある日、大好きだった人に振られた時、その人と毎週末を海で過ごしたことが、なかなか忘れられなかった。
 人というより、海で過ごした時間の心地よさが。

 笑い声、ミネラルウォーターを日差しにかざすと、美しく光ったこと。
 その頃みつけて読んだ本に、私のと同じビルケンシュトックが載っていた。

 できるかぎり自然に近く、シンプルで謙虚。
 大人だからとか、女性だから、私の仕事はこうだから、とこころはせばめることのないよう、サンダルが、
 私を履いてどこかに行かない?といましめてくれる。
 そして、想い出させる。私は海の好きなただの女の子なんだということを。
 もちろん、猫も、クロスも、大切なものは、みんな私をただの女の子にしてくれるけど、ビルケンシュトックのサンダルは、足の裏から、話しかけてくれる。

100Collection 高見恭子

 この頃、すでに大人である高見さんであったが、海の好きなただの女の子になれる感覚は、いつだって大切だ。
 綺麗に爪を整えて、良い香りに包まれても、悪口を言ってしまった口をリステリンでぶくぶくしながら反省する可愛い大人。
 その話に紛れているビルケンシュトック。
「サンダルが導いたやさしい場所を大切にしたい。」
 という締めくくりに、当時も今も納得する。


 そんなことを思っていたら、娘が以前住んでいた海の近くに行ってきた。
 「今、海。」
 とLINEがきて、波が何度も打ち寄せる映像が送られてきた。
 そして、貝殻のおみやげ。
 嬉しい贈り物。
 私はまず、貝殻の香りを嗅いだ。
 潮の香りがしないだろうかと・・・。

 海はいいな。
 私も一瞬、あの頃に戻った。
 子どもたち、その友達を車に乗せて海に行った。
 いつもトランクは砂まみれだった。
 何かを発見したり、作ったり。

 小さい時に遊び場のひとつが海であったことは幸せだ。
 砂の上を裸足で歩き、大声で笑い合った。




 私はよく、一人で海に行った。
 友人をピックアップして行くこともあった。
 夕陽でオレンジになった空を見ながら、友人はビールを、私はジンジャエールを飲んだ。

 そこにいたいと思える場所。
 一緒にいたいと思う人々。
 澄んだ、清らかな心でいられる日々。
 純粋な気持ちで笑うこと。

 そんなことを思い出した。
 今のビルケンシュトックは何代目だろう。
 そろそろ、買い替えようかと思う。
 いつもの茶色い革のサンダル。

本当に、足の裏から話しかけてくれる。

 今の家からは、海は遠い。
 すぐに海に行ける場所がなつかしい。

 そして、アン・モロー・リンドバーグの
 「海からの贈り物」を読み返してみようと思った。
 落合恵子さんが翻訳されたものを。



書くこと、描くことを続けていきたいと思います。