見出し画像

子宮筋腫があっても、不安にならなくても大丈夫と確信した話①

こんにちわ。
助産師なつきです。

「子宮筋腫合併妊娠」
というのがあります。妊娠から分娩まで、色々とリスクがあります。
どういうことかということを、少し解説していきますね。

子宮筋腫には、いろんなタイプがあります。

画像お借りしています。

①漿膜下筋腫
②筋層内筋腫
③漿膜下筋腫
主にこの3つ。筋腫の数、大きさ、どこにあるのか、で、妊娠経過もさまざまです。
妊娠・分娩に最も影響のあるものは、筋層内筋腫と言われています。
・筋腫があることで、胎盤への血流を妨げる⇒流産・早産のリスク
・常位胎盤早期剥離を起こしやすい
・産道通過が難しく、帝王切開になることも。
・陣痛が付きにくい
・分娩時に出血しやすい
・子宮が元の大きさに戻るのを妨げる

これらのことが考えられるので、個人病院のクリニックや助産院での分娩はできないことが多く、何が起きてもすぐに対処できるような総合病院での出産が多くなるかなと思います。

かくいう私も、妊娠が分かった時に、勤めていたクリニックで産みたいなぁと思っていたのですが、「絶対にダメ」と、一撃を食らい「そうですよね😭」と大学病院を選択したのでした。

私の場合は、筋層内筋腫でした。2×2くらいの大きさだったかな。

一人目の時は、知識がある分、不安も大きく、「起こりえるリスク」にビビっていたように思います。
そのことが、子供にも伝わっていたのか、子宮筋腫のすぐそばに着床していた長男は、初期出血はするし、筋腫由来の腹痛はひどくて、よく仕事を休ませてもらっていましたね。「休め~休め~」とのメッセージを受けていたように思う。
不安といろいろなストレスに、過剰反応していましたね。

分娩も、前期破水したのですが、全く陣痛が付きませんでした。なので、促進剤を使用して産みました。
クスリの影響もあったと思うけど、痛いのに進まない。痛いのに生まれない。全開したから分娩室へと移動してからも、長くかかりました。何度もいきみました。分娩体位をとったのいっこうに進まず。。。横向きになったところで、思わず助産師さんに「すみません、今何待ちですか?」と聞いてしまった。「高くて降りてこないから、しばらく横向きますね」と言われ、

このままどれくらい待てば産まれてくれるのかな。

いきみ方下手でゴメン。

そんなことをずっと考えてて、ドクターがやってきた。
「吸引するね。回数少なくていいように、いきみも頑張って」
先生が神様に見えました。やっと産める。そう思ったから。

先生の吸引が上手だったのと、いきみが効いたのか分からないけど、
一回の吸引でスポンと生まれ、息子はめっちゃ元気に泣いてくれた。
「無事に産めた。良かった」そんな風に安堵したのを覚えています。

「おめでとうございます」と助産師さんが息子を連れてきてくださったけど、お顔をツンツンするのが精一杯だった。

だって、お股が超絶痛くて悶えていた。
胎盤が出てから、出血が止まらず、ガーゼを大量に(多分)入れられて止血され、会陰切開したから縫合。その後の診察でも出血が続くので、婦人科の先生とエコー登場。分娩台の周りにはドクターが山ほど居た。
異常はなさそうだけど、ガーゼ詰めようって事で、ヨードホルムガーゼを詰め込まれました。

家族と面会できたのは、分娩後3時間くらいだったかな。
疲労と出血で、真っ青になった私を見て、家族は心配していたそうです。
「大丈夫」って笑ったんやけどね。

それから私は、夜中も次の日も、ボコボコ出血して、ヘモグロビンが5.4g/dlに。。全血に加え成分輸血もして。挙句の果てには、成分輸血でアレルギー反応が出てしまい夜中中身体が痒かった。

産後3日目の朝に、「出血止まりそうだけど、念のために造影CTしとく?」とドクターに言われ、「お願いします」と即答。家族には、私から話しときますって。どんだけやねん。でも、そのかいあって、出血部位が見つかり、アンギオという処置をしました。
そのアンギオも、早くやりたかったので、「家族の説明は後でで大丈夫です」と自分勝手に判断。私が電話で家族にざっくり説明して、検査終了予定時間に来るように話した、強気の産婦助産師でした。
先生の処置後の説明が、分かりやすくて、家族も納得できてました。

「娘が死んでしまう」
「俺のせいで、死なせてしまう」

そう家族はよぎっていたらしいです。

私自身も
「どうか、私に子育てをさせてください。死にたくないです」
と、初めて死を意識した瞬間でもありました。
そして、簡単には死なせてもらえないことも、分かったんです。
生きたい。守りたいものがある。そう強く願った。

医大のスタッフさんを、心から信頼していたのはもちろんのことですが、スタッフさんたちも、決断が早くて処置をすぐに出来たから良かったとも言われました。

出血はほとんどしなくなり、おしっこの管が取れたのは、分娩後4日目。
息子の育児を始めたのも、その日からでした。

この、壮絶な分娩から、約3年後に2人目を授かるのですが、長くなったので、その話はまた今度。

愛をこめて。助産師なつき♡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?