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#19 【独り言エッセイ】心を買わせてください

ある作家さんのエッセイ集に日常アイテムとしてファックスが出てきた。私が生まれる前のエッセイ。30年前ほどに出版されたエッセイで、当時その作者の方は33歳。

エッセイは、生き方も、考えていることも、20代後半から30代前半の心情もどこか親近感を感じる。その人の作家としての生き方や大人だけど「ちゃんと」はしてない私生活を覗けて安心感を感じる。そこにある心や考えは同じなのに、出てくる物はちゃんと、平成初期を感じさせる。

ファックスは私も使ったことがある。小学校の低学年頃までは、ファックスというものがうちにあった。私はファックスが好きだった。

小学生の頃、東京に住む私が、高知にいる年上の二人の従兄弟と会えるのは夏休みとお正月の年に2回ほど。大好きで遊びたくてたまらない従兄弟とよくやり取りする手段がファックスだった。絵が上手な二人はよく、近況報告と共に絵を書いて私にファックスしてきてくれる。私も一生懸命に、その時最新の自分が一番イケてると思う絵を書いてファックスし返す。その後電話をかけて話したりもした。

今はLINEで繋がっているからファックスの必要性は全くないんだけど、それでもあれにはアレの良さがあったと思う。手紙とメールの中間。手書きは届けたいけど郵送ほど待ちたくない、そんな文明。

便利と必要性と効率に押されて、最新なものが出ては「昔の発明」は消えていく。言ってしまえばファックスだって、当時は最新の発明だったわけで、当時の人は「ファックスも便利だけどやっぱり手紙には手紙の良さがあるよねえ」と言い合っていたかもしれない。この時代を生きるのに、便利はやっぱり手元に置いておきたいし、なければ何も出来ない、なんてこともある。でもたまに、文明は一度そばにおいて置いて、不便でも効率が悪くても、心が伝わるものに囲まれたくなる。あえて不便に浸かりながら想いを伝えたくなることがある。

紙の本を読みたくなるのも、昔学校で配られたプリントや昔書いた作文をデジタル化せずに紙のまま置いておきたくなるのも、誕生日はちゃんと手紙を渡したくなるのも、きっとそれは効率が悪い中にも感じるものがちゃんとあるからだと思う。

私は今日もKindleで本を読むし、LINEで家族に連絡するし、本の原稿をパソコンに打ちこむ。だけど思ったことやアイデアはノートにメモ書きし、紙の手帳を使い、日本に向けていつ届くかわからないポストカードを投函する。そうやって、バランスを取っている。どんな便利な世界でも、心を感じていたい。そうやって私は元気に生きている。

子供の時の下手くそな文字と精一杯の絵が相手に届く楽しみな気持ちは薄れないし、あのリビングのテーブルに届いたファックスを楽しく眺めた記憶はまだちゃんと私の中にある。あの効率化と、手動な感じが混ざった技術の時代が懐かしくなる。これからもきっと、この時代の恩恵に肖って私も便利なものを使っていくだろうけど、ちゃんと「敢えての不便」を楽しむ時間も大切にしたい、そんな風に思う今日この頃。




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