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タイ古式マッサージは風の手渡しです

タイ古式マッサージに出会う以前の私は、感情が先走ってしまうタイプで、割と激しめに泣いたり怒ったりしていました。自己肯定感が低く、物事の責任を取るのが怖くていつもビクビク、ピリピリ。何気ない会話なのに「批判された」と勝手に解釈してムキになったり傷ついたり、そんな不安定な情緒を癒すためのツールがアロマやホメオパシーやフラワーエッセンスや占いだった訳ですが、タイ古式マッサージに出会い、よくわからないタイ古式マッサージについて考えていると、そちらに気を取られてあまり感情的にはならなくなりました。
当時は育児とタイ古式マッサージ、どちらも忙しかったのですが、子供たちのお弁当を作りながら「私もこんなお弁当が食べたかった」、子供たちを塾に送迎すると「私も好きな習い事をして送迎して欲しかった」という感情が出てきました。親しいお客様には自分のことを話しているようで、あまり話していなかったかもしれませんが、まぁまぁ寂しい幼少期でしたが、ご存じの通り?自分の中から抜け落ちた幼少期を子供たちと一緒に激しく破天荒に(笑)やり直して取り戻しました。
思考と感情の間の溝を埋めて、胸につかえていた過去の記憶が、「これでよかったんだ」と、自己の肯定感とともに腑に落ちれば、あとはもう心配いりません。「そういえばいつの間にかサティがこなくなった」という方は、感覚が働くようになって、タイ古式マッサージの時間以外でもサティを受け取るようになったのです。
タイ古式マッサージは風に触れるボディワークで、風が思考に揺さぶりをかけると、可能性に気(火)がつきます。心配や不安を通り過ぎて、「これでいい。よしやってみよう!」と覚悟というエネルギーが入った行動が取れるようになったら、ヴィジョンが見えてきます。ここからがようやくイメージの世界です。
想像した未来が現実となる。
未来にあることを引き寄せる。
天空と共に未来を創造していくようになる。
でもそれは、自分の思考、感情、感覚がひとつに繋がった柱や軸ができた後のことで、コロコロ変わる考えや些細なことで感情的になってしまう自分がイメージするヴィジョンなど、とうてい信頼や信用はできません。決断と行動の挟間で「これで本当にいいのだろうか?」と焦りや不安が生じてしまいますが、人は迷うし悩む。そういう性質を持ち合わせている。だからタイ古式マッサージでもやりながら、自分を信頼できるようになるまで待ちます。揺ぎなく何にも動じないような強固な軸だと、風の雰囲気がつかめませんので、「風が吹けば反応するような自由で柔軟性のある軸かな?」を時々タイ古式マッサージで確認します。型を使ってセンを押して引いて「ああでもない、こうでもない」を繰り返しながら、「今のところは」とか「とりあえず」という場所から様子を見る。「具体的な考えと行動を積み重ねるとどうなるのか?」を確かめてみる。タイ古式マッサージって実はその練習の時間だと、皆さまお気づきでしょうか?風門が開くと、気づきが自然と共にやってきます。センより身体の中に備わっている自然の要素(風、火、水、土)のバランスが整います。でも、タイ古式マッサージはテキトウでいい加減なので、ほどほどやそこそこしか整いません。「何がどう整ったのか?何がどう変化したのか?」を頭では理解できません。でも「なんとなくいいのかもしれない」という曖昧さは残ります。そういうはっきりしないテキトウな状態に慣れてしまえば、目の前にある出来事が、苦難とか問題だと認識せずに通過できるようになっていきます。気のチカラを抜いて、気ではない自然のチカラに任せてゆだねてみると、雰囲気は感じるけど、そこまで気にならないし、気にしないようになります。自分の気をコントロールするでもなく、鍛えるでもなく、自然と融合するまで待つ。思考が風の雰囲気に反応すると、気づきがあり、気づきに感情も促されて行動となって地に足が着く。エネルギーを下に下げるとはそういうことです。
風の門が開くと感覚のセンサーが開通しますが、頭を使って考えないように、余計なことを拾わないように、エネルギーを下に下げて、お腹をシャカ釈迦させて、腹部の振動を頭へと伝達します。最初に身体を揺らしてセンを引くと、頭のエネルギーが下へと降りていくのを感じてもらえると思います。私はタイ古式マッサージをやる側ですから、型で風が流れる有効なセンを「押す、引く」という技術で探します(※刺激はしません)。「この位置から風が発動(渦を巻くだろう)」を予測して、流れを読んで、流れをつかんで、渦の動きが静止するまで待つ。を繰り返します。すると、動きはいったん静止してニンとなり、ニンを経由して流れへと移行します。これはタイ古式マッサージの一連のプロセスですが、日常でも考えたことに「でも」や「ノー」が浮かばす、「やってみたい、行ってみたい」という気持ちを阻止せず尊重してみるとどうなるのだろう?「こうなるはず」と予測した方向がズレてきたら、ズレた方向に軌道修正をかけます。寄り道や遠回りも楽しめる好奇心と遊び心と冒険心で先へと進んでみます。予定通りに行かない焦りや不安が出た時は、タイ古式マッサージでいったん思考を静止させて、自然の流れ(人生は思う通りにはならない)を重く受け止めず、軽くかわしていきます。「考えすぎる」性質(クセ)と上手に付き合っていく方法さえ手にしていれば大丈夫です。
風は思いの通りをすり抜けていきますので、私の思う通りのタイ古式マッサージにはならず、お客様の期待の通りにもなりません。それを身に染みて感じると、それ(感覚)が働くようになります。
心が疲れたり、身体が痛いときは、一緒におしゃべりしながら、気晴らしをしましょう。タイ古式マッサージをしながら考えると好い流れが近づいてきます。頭だけでなく風と一緒に考える。これは古式のタイマッサージにしか残っていない技法で、タイ古式マッサージは唯一無二のボディワークです。
風ってお客様のいいところを沢山知っていますよね?風のささやきを聞くと自分を好きになります。今の自分を好きになった時から、本来の自分が感覚でわかるようになります。「今がダメだから、自分が嫌いだから変えたい、変わりたい」と頭で考えてもなかなか変わりません。なので、風が伝えてくれた沢山の好いところをお腹に収めます。タイ古式マッサージは自分を知るための時間。自分と対話する時間。自分を見つめる時間。相手を知る時間。相手に寄り添う時間。自分と相手を知るための時間。自分と相手に寄り添う時間で、慈悲喜捨の行いです。ってことは、タイ古式マッサージは単なる気晴らしではありませんね?タイ古式マッサージには何か不思議で面白い作用があります。でも「それが何か?」を追求しようとすると、風は逃げていきます。なのでテキトウでいい加減な方が好ましいのです。
おしゃべりと型とセンとロムとニン。切り花(視覚)とハーブティー(味覚)と音楽(聴覚)とお香やアロマキャンドル(嗅覚)とタイ古式マッサージ(触覚)。時間と空間を整えた場所で五感を使ってこれから先を想像し、そして創造していく。それがLuna Sun Chi(ルナサンチ)のタイ古式マッサージです。
私は自分が苦しい時はいつも師匠のタイ古式マッサージを受けていました。近からず遠からずの距離でいつも見守ってくれている師匠のタイ古式マッサージを受けながら、自分自身の中に備わっている考える力や行動する力や自然治癒力を確かめてきました。日々に生活に日常に人生にタイ古式マッサージを挟んで、時を刻んで、時を重ねてきました。タイ古式マッサージをやり始めて15年経過した今だからこそはっきり言ることがあります。
タイ古式マッサージはきっとお客様の役に立ちます。風はいつもそばで支えてくれていますし、私の手の平に風の感触があると、「あぁ今日もここにある。いつもある、この手の中に感じる」と安心します。タイ古式マッサージではイメージは使いません。イメージを使わない方法で知りたい方には手渡せますし、風を伝授することも可能です。知りたい方、やってみたい方はぜひお問い合わせ下さい。

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