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内巻(いんぼりゅーしょん)

一昨年ぐらいからの流行語に「躺平(寝そべり)」がある。
そういやそのぐらいの時、学生もよくこんな表情使ってきたな。

無気力、やる気しないを表してるらしい。

まあ、日本でも若い子にありがちなポーズで「そんなマジに熱くなって、たるくないっすか(笑)」的な感じかと思ったけど、中国の若者の場合、こうならざるを得ないお国事情もある。

それが内巻(インボリューション)と呼ばれるものだ。
これも「躺平(寝そべり)」と同時期にネットで流行した言葉だけど、国内の苛烈な競争に巻き込まれていくことを言うらしい。

一年生男子のジュキがわかりやすい例を挙げていた。

「例えば食堂はお昼には混みます。だから時間をずらして早く行こうとします。でもその時間は空いているだろうとみんな同じことをすれば、やはり食堂は混んでて、結局いつ行っても食堂は混んでます」

彼は、社会学用語としてのインボリューションは「内側に向かう発展」で、もとは悪い言葉ではなかったはずだと言う。
そして自分は自分の生活を少しでもよくしようと努力して勉強しているのに、周りはそんな自分を内巻だと言って馬鹿にするといういことを「気持ち悪い」という言葉で表現でした。
まるで自分はがんばりたくないから、他人をがんばらせたくないと考えているようだ、と。

彼の感性はなかなか鋭いように思う。

自分は競争社会に踊らされてるのではなく、自分のために努力したいと思いながら努力してきた。むしろその姿をあざ笑って「無気力」のポーズをとっている若者の方が社会に迎合していると言いたいんじゃないんだろうか。

実際、彼は「インボリューションと努力はちがう」と言い切っている。

そして巻き込まれがちな時代にこそ、自分を見失わず、自分にあったペースで幸福追求をすること、他人を基準としないことが大事だとジュキは言う。

ちなみに彼は私と気が合うのか、遠恋の彼女のことで恋愛相談をしてくることもあった。親が彼女との交際に反対しているという。その理由がおもしろかった。

「私の親は彼女の目が小さいと言います」

要するに目が小さいと生まれてくる子どもも見た目が悪くなるというのを心配しているようだ。

これが彼ら世代の親の価値観。年齢でいうと40代ぐらい。

初めての付き合いのDTにそんなこと言うってのは、まあ中国では付き合う=結婚というのが日本人より強いからなんだろうか。

そもそも彼は子供を望んではいない。

その理由もおもしろい。

「だって、とても痛いじゃないですか! 僕は、愛する彼女がそんな目に合うのは耐えられない!」

まあこれに限らず、彼ら一年生と話していると価値観が新しいというか、見た目もずいぶんあか抜けた学生が増えてきた。

結婚も必ずしもしたいというものでもなくなってきてるし、私が親しくしている卒業生の男子も、できれば結婚したくないと言っている。女子の要求が高すぎて辛いというのが理由として大きい。若者たちは自分が生活するだけでも精一杯なのである。

また、別な男子学生、通称鼻毛のび太くんは都会に出て日系企業に努めたが、そもそもエンジニアに向いていないことがわかり、田舎に戻り、今公務員を目指している。

彼に代表されるように

大学院→都会で高収入の仕事=成功

という考えだけで自分に向いてもいない仕事、合わない職場環境で働くとこうなる。

思えば鼻毛のび太くんも、出会った頃は自分の感情をコントロールできないところがあり、彼は病院に入るべきだなどと言う人もいた。
それでも私は並外れた彼の暗記能力と辞書のようなノート作りをする生真面目さを称賛。変わり者だけど、彼の努力は本当に素晴らしいと思った。

そして彼は日本語を習得し、日本語科でも何でもないのに日本語で大学院に合格し、日経企業で就職もでき、彼曰く「田舎から抜け出して都会で成功する」を実現させた。
にも関わらず、彼は都会で挫折。田舎に舞い戻り、結局就職もなくて、公務員を目指すという、それこそ誰もが目指すコースに進む選択をした。
そうせざるを得なかった部分もある。
「勝ち組」「負け組」と分けられてしまう競争社会で、本人曰く「負け組」となり、彼は本当に傷ついた。そこから自分らしい生き方を模索しようにも、田舎では選択できるものがあまりにも少なく、結局公務員試験を受けるそうだが、それでも故郷の田舎では働けるところも限られているという。

このほか女子でも卒業生に転職の悩みを相談されたことが何回かある。
私はたいてい背中を押す。
そもそも背中を押してほしいから連絡してくるんじゃないかとも思ってる。

これまで、周りの大人たちに「こうあるべき」「こうすれば幸せになれる」と教えられて素直にそう従ってきた子たちが、社会変動で「何かがおかしい」と気づき始めてきた。

新しい価値観を模索する中で、誰に相談していいかわからないから連絡がくるのかもしれない。

私はいわゆる彼らの親世代が望むような「幸せな生き方」をしてこなかった人間だ。

離婚もしてるし、子どももいないし、充分な稼ぎもないし(さらに大学の給料減らされたし)、人の信用と縁と情けだけで生きている。

競争社会で生きるのは嫌だし、自分にとっての幸せは何か、これは世間の洗脳じゃないかと自問自答しながら生きていて、それを学生たちの前でもさらしている。

こんな生き方もあっていいんだと思い始めてる学生もちらほらいるようで、SNSにはそんな反応もくる。

私のような生き方が「羨ましい」と思えるほどに、彼らは疲れてしまっているのかもしれない。

少なくとも五年前の学生はそんなことは言わなかった。

私の弟分のジョがいつも言っていたのは

「わたしは、アリババの社長みたくなりまーす! お金持ちになりまーす!」

だった。

そして投資で失敗したり、借金返済のために日本に出稼ぎにきたり、いろいろした結果、今は日本語教師となり、私のモットー「明るく楽しく」を引き継いでいる。

まあ、彼はまだ元気にがんばってる方として、今の若者たちは、アリババの社長にあこがれるどころか、むしろ内巻の反動で、成功した資本家に反感を抱いているという。

どんなにがんばっても、競争社会の負け組になってしまう現実。

繊細な若者たちは苛烈な受験戦争で疲れ果て、私が担当したクラスの学生ハクも原因不明の無気力に襲われて、リスカを繰り返し自ら入院した。

ハクからは病院からもよく連絡がきたし、彼女は休学しているにも関わらずオンライン授業にもこっそり参加したりしていた。

幸い、ご両親が彼女に理解があるようで、特にお母さんは彼女を追い込むようなことはせず、ハクが泣いて自分をコントロールができない時もただ強く抱きしめてくれたというし、動物が好きな彼女のために犬を飼ってくれたり、何よりあっさり休学させてくれた。

でもこんなに理解のある親ばかりでもないだろうし、逃げることがとにかく許されない場合もある。

ハクと同じクラスの男子シュも実は謎の休学だったが、彼の場合休学届も出してないし、そもそもなぜ休んだのか理由を言わなかったのでまったくわからなかった。

最近やっと私に打ち明けてくれのが、大学でいじめにあっていたということ。

このことは誰も知らないし知ろうともしない。

それが証拠に、クラスメイトも先生たちもシュの態度が悪いとか彼は普通じゃないと言って放置。

集団のルールからはみ出した人間に対してみんな厳しいというか、無関心。

しかし私はOKB(おせっかいくそばばあ)なので、彼の一見態度の悪いような反抗に対してもガチで向き合った。

結果わかったのが、彼が誰にも言えない悩みを抱えてきたということだった。

彼はいじめがあったせいで大学で選抜される日本留学の機会も逃したし、今学期の成績もガタガタだった。それであの無気力というか反抗的ともいわれた態度だったのかと納得だ。

シュの場合、実際いじめてきた人物がいたわけだが、社会というどうにも抵抗できないジャイアンみたいな存在に対して「無気力」というポーズをとることでしか反抗できない若者も似たようなものではないかと思った。

ちなみに内巻の若者たちに「日本へ行こうぜ!」と中国メディアは呼びかけているらしい。確かに日本は内巻先進国というか、草食や絶食な若者が増えて珍しくもなくなってきた今日この頃。

日本語を学ぶ外国人は相変わらず中国が一位だけれど、二位のインドネシアに比べると、実際日本に来る理由として「仕事やお金のため」というのはインドネシアのほうがずっと多いように思う。

全体通じて、外国人の日本語学習者の日本語を学ぶ理由も「アニメや漫画が好きだから」から「日本語そのものへの興味」にも変わってきている。

これはそのまま文化とか観光とかの面ではなく、今の日本に何かを求めていることの表れとは言えないだろうか。

ちなみに学生に限らず、30代でも、なんだか働きたくないなーって人も珍しくはない。

中国では996(朝9時から夜9時まで週六で働くこと)への反動からか、イギリスとかみたいに働くの週四とかでもいいよねーとか言ってるアラフォー男もいる。

毎日の無駄とも思えるようなPCR検査に国家予算がかなり使われたことや上海封鎖による影響や、このまえの唐山殴打事件などでも、社会への不安、政府への不信が募ったりもしていて、今日本に来ている学生の中には、国に帰りたくないと言っている子もいる。

そのうちの一人がこの前WeChat(中国版LINE)でいきなり

「先生64を知っていますか?」

と書いてきたので、ギョッとして、すぐにその時LINE交換して、LINEで発言するように伝えた。

64とは、「六四天安門事件」を指す隠語(六四と漢字で検索すると中国政府によりチェックや規制がかかる)。
隠語とはいえ、監視されているWeChatでいきなり話題にしてきたから、ギョッとしたのだ。

自分たちが生まれてもない89年の事件をなぜ知っているのだろうと思うが、実は彼に初めて言われたことではない。

卒業生でかつては精神病院に通いリスカを繰り返していた通称じさっくん(定期的に「死にたい!」「じさつしたい!」と連絡してくるので)も以前いきなり学食で「天安門事件について詳しく知りたいから日本に行きたい」と言ってきたことがある。

彼の場合、高校の時の先生が、授業中に学生たちに事件の事を話したというのだからすごい。事件の時、その先生はいくつだったのだろうか。
民主化を求めた中国の大学生たちが政府に武力で鎮圧され、多くの若い命が失われたことは私でさえ子ども心にショックだったし、よく覚えている。

ちなみに彼は日本留学が決まっていたがコロナで断念せざるを得なくて、精神状態も一時は悪化したが、何とか立ち直って中国の大学院に入った。

それこそ内巻コースといえばそれまでだけど、それでも自暴自棄にならずに、かつては「アリババの社長になりまーす」と言ってたジョの働く学校で日本語教えながら、学費を貯めて、勉強して、合格したのは偉いと思う。

これがジュキの言う「同じ内巻でも自分で自分の人生をよりよくしようと努力することと、ただ何も考えず社会に巻き込まれて流されて無益な努力をさせられることはちがう」ということなのかもしれない。

少なくとも、「自分にとっての幸福とは何か」と模索しながら、今できることは何かを悩みながら、努力してきたことは無駄ではないのではないか。

それが証拠に完全なる内巻というか、ジュキのいる一年生のクラスとはちがい、二年生のクラスは、模範的な中国の若者とされるような子たちで、それはそれで不気味であり心配なところもある。

それに関しての詳細は待て次号!・・・・(誰も待たんだろうが)

私はこの二極化する若者たちの姿を通して、今、自分が、身近な若者たちにできることは何かを本当に真剣に考えている。

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