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見えがたいが、存在するもの

1週間の米国出張から帰英し、一晩が明けたものの、5時間の時差ボケ解消に失敗している。
その間、ヨーロッパもサマータイムに突入し最高の季節が始まったが、溜まったメールと仕事、出張中に発生したトラブルの後処理が重くのしかかり、心が置いてきぼりのままである。

忘れてしまわないうちに記録しておこう。

英語呼称の裏にある無意識の意識

ありがたくビジネスクラスで渡航させてもらった。空の上でフライトアテンダントのサービスを受ける際、男性客には「◯◯◯, Sir」と呼びかけているのに、私の番になると、「◯◯◯, you」と呼びかけられたり、あるいは呼びかけされないことが何度もあった。

憤怒するほどでは全然ないが、なんともいえない不快感を抱いた。かといって「◯◯◯, ma'am」とつけられるのも個人的には抵抗があるのだが、明らかに(白人)男性客と対応を分けられているように感じてモヤモヤした。
これはエアラインへのアンケートに書いておくべきだろうか。

ポジションで人種が分かれている

今回は、米国南東部の州を訪れたのだが、前回出張で訪れた北東部より、アフリカン・アメリカンの人々をよく見かけるなぁ、とボンヤリ考えていた。(北東部に比べてアジア系や中東系が少ないので、必然的にアフリカン・アメリカンの割合を多く感じたとも言えるかもしれない。)

上司の指摘で気付かされたのは、同じ職場(例えばバーやレストラン、公共施設)であっても、細かくポジションが分かれており、担当する人種が明らかに異なっていること。

顧客サービスの前面に立つポジションの人は白人が割と多く、裏で作業する人、片付けする人は、有色の人であることが多かった。(アフリカン・アメリカンやヒスパニック系と見受けられた。)統計を調べたわけではないのであくまで個人的な感覚だが、見えない境界線のようなものを感じて少しだけ怖くなった。

しかし、総じてアフリカン・アメリカンの人々は誰しもが親切で優しく、意にも介さないほど陽気ですぐ話しかけてくる土地柄(?)で、なんだか拍子抜けした。

無意識の意識的に、実は自分も

上記のことに目が向くようになってから、出張中のちょっとした尋ねごとや助けが必要な時に、なんとなく人種を見て、人を選んで声をかけている自分の行動に気が付いた。

英国やヨーロッパでも、日本やアジアでも、「この人なら答えられそうだな」「知ってそうだな」と、視覚的に得られる情報から判断して声をかけることは往々にしてあるが、人種を見て判断する、というのは自分の行動ながらなんともいえない気持ち悪さを感じた。

私が相手のポジション側にいて、些細な対応の違いも感じ取るタイプの人間だったら、これはマイクロアグレッションだ、と受け取るかもしれない。実際そんなつもりは毛頭なかったとしても。

白人、黒人、アフリカン・アメリカンという言葉の扱いも、居心地の悪さを感じるし、名前を知らない人の特徴を述べる時に、どうしても参考情報として触れざるを得ないこともある。私だって、知らない人から形容される際には、きっと「あのアジア人」あるいは「アジア系の女性」と言われているであろう。事実だから気にはしないけど、文脈によっては不快感を抱くことも今後あるかもしれない。

普段の生活ではあまり意識していない点を、人々や自分の言動に見た出張であった。

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