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花火の夜

地元の手作りの夏祭りで、6年前から花火を打ち上げるようになった。フィナーレに500発、10分間の火の花の競演。真夏の夜のささやかな楽しみだったのに、一昨年も昨年も、あの憎らしい疫病のせいで中止になった。
『今年はやります。夏祭りと花火』
夏祭り実行委員会のホームページで見たときは、小躍りしたものだ。
会場は、河川敷の広い公園。家から歩いて行ける。30分はかかるけど。

花火がある日、夕食にそうめんをゆで、スーパーで買った天ぷらを添えて、早めの夕食にした。わたしには三人の同居人がいる。夫と成人した二人の息子。かれらも花火を楽しみにしている。それぞれ、ソワソワしていた。

わたしは、まっさきに家を出た。花火開始予定時間の一時間前である。用水路沿いの散歩道を歩く。日没後だが、明るさが残る。まもなく、息子Kが自転車で追い越して行った。カメラの機材を入れた、大きなリュックを背負っている。

国道に出た。坂を上ると、S川にかかる大きな橋。目指す祭り会場は、この橋を渡り坂を下りた先にある。信号待ちをしていると、息子Mが追いついて来た。彼も、カメラを入れたショルダーを提げている。銀河鉄道の異名をとる、高架鉄道の駅から見るのだという。
橋の上を歩いていると、だんだん人が増えてきた。橋から見物するつもりなのか、立ち止まって欄干にもたれる人もいた。警備員に、立ち止まらないでください!と、追い立てられていた。
橋を渡ったところで、息子Mと別れた。

橋を渡り坂を下りてきた人、地下鉄の出口から出てきた人、坂を上ってきた人・・・
公園の入口には、人の渦ができていた。その中に、夫をみつけた。一駅だけ地下鉄に乗ってきたらしい。手を降ったが、彼は気づかず人の渦にもまれていた。

わたしは、公園の入口を通り過ぎた。河川敷公園は、堤防に囲まれている。堤防の上から見物しようと考えたのだ。
日中は交通量も少なく、のどかな堤防道路。夜来てみると、恐ろしいほど暗かった。堤防の下は公園の森で、堤防よりはるかに高い樹木が、視界をさえぎっている。花火見物には、まったく向いていないことをさとり、来た道を引き返す。

人の出入りが少ない裏口から、公園の中に入った。森の中の小道を、花火会場をめざして歩く。たまにすれ違う人たちは、花火の混雑を避けて、家路を急ぐ家族連れ。辺りはまっくらで、すれ違う人のスマホのライトを蛍かと見紛う。

やっと視界がひらけた。芝生広場に出たらしい。特設の球体の白い照明灯が、等間隔で並べられている。それでも、広場の底は暗く、夜の海のようだ。
わたしは、芝生に足をとられながら歩いた。まるで遭難者のように。広場のまん中には、時計塔。火の消えた灯台みたいに見える。
暗い芝生に足を投げ出してくつろいでいる人たちがいる。恋人らしい二人連ればかり。この人たちは、花火には関心がないのだ。いや、人の群から離れて聞いた花火の音を、一生の思い出にしたい人たちなだ。

ふり向けば、森の高い樹木の合間に、月がのぼっていた。
ほの黄色く、こうこうと照り輝く満月。
ああ、なんて美しい。このまま芝生広場の遭難者となり、花火を見ることができなくても、この月を見られただけで満足だ、なんてわたしは思った。

やっと人の群れが見えてきた。花火開始10分前だった。人混みがこんなにうれしいとは。見知らぬ人の群れの中に身を置いて、流れに任せて、わたしは歩いた。

そこは、公園のキャンプ場だった。大勢の人が川の方を向いて座り、花火の開始を待っていた。わたしは、通路脇に立って見ることにした。

ドーン。ドーン・・・  これは砲声ではない。平和な夜空を彩る花火の音。
一発、また一発。初めのうちは、間を開けて、高度は低く、直径も小ぶりな花火ばかりだった。市民有志が奔走して作りあげた祭りだもの、地味でもしょうがないよね、なんて思いながら見ていた。しかし、時間の経過とともに、花火は勢いを増していった。
一度に数発、空高く、色もとりどり、大輪の火の花、花、花・・・。
観衆から、わきあがる拍手。
最後は、夜空いっぱいに、オレンジ色の火の花園・・・
花火職人の意地とプライドを見たような気がした。  

帰りは、遭難しないように、人の群れに混じって歩いた。自転車と歩行者は通路が分けられていたが、出口は同じなので、人も自転車も渋滞していた。
わずか500発、たった10分の花火大会。
祭りを作り上げた人たちの、花火を打ち上げた職人の、それを見にきた人たちの、情熱に酔いながら、空を仰いだ。
あら、月が笑ってる。


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