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Caro Maestro 〈カーロ マエストロ〉


小澤征爾さんの 突然の訃報ふほうに接して
思いがけない悲しいニュースに
ショックを受けた。


数年前 
深刻なご病気か、体調不良になられたあとに
回復されて また指揮をされていたお姿を 
どこかの報道で見た覚えがあるから


「お元気になられたんだ、よかった」
と安易に安心してしまい、
以後 とくに注意して続報を追ってもいなかったので


このようなニュースは
「そんな、急に…」と感じてしまう驚きもあり、
そのぶん 衝撃も強かった。


とても悲しい思いで
胸が詰まって、
やりきれない…


穏やかに旅立たれた との
ご家族のお話に、
とりあえずは心を 落ち着かせはしたけれど


暗く どこまでも広がっていく
悲しい気持ちをなだめるために、
昨日は一日中 
彼のドキュメンタリー動画を、
ずっと立て続けに観ていた。


私はふだん 
有名人に興味を引かれる事が少ないのだけど


小澤征爾さんには


あの方ご自身にも、
彼の作り出す音楽の美しさにも、ずっと
憧れと 敬愛の念を持っていた。


初めて小澤さんのことを知った時
何歳だったかは憶えてないけど、
たぶん 中学高校時代で


最初は お名前、
下の「せいじ」という名前に、関心を引かれた。


なぜかというと
従兄弟いとこのお兄ちゃんと同じ名前で、
そのお兄ちゃんも同じ 音楽家だったから。
(字は違うけど)


セイジという名前の人は、
音楽にご縁があるのかな? 
なんて、単純に思って。


(ジブリの『耳をすませば』の男の子も、
聖司くんだったよね?)


最初はそうやって
従兄弟の せいじお兄ちゃんを連想して
お名前を覚えて


インターネットのない時代は
欲しい情報をどこで得られるのかも
まだまだ漠然ばくぜんとしていたけど


その頃は TV番組にも
文化的で 質の良いものがよくあったから、
そういう番組で 
小澤さんや サイトウキネンオーケストラの
ドキュメンタリーを観たり、


大人になるにつれ
お金を少しずつ 自由に使えるようになると


古書を求めて ときどき行っていた
神保町の どこかの雑居ビルのお店で


クラシック音楽の中古CDや
小澤征爾さんご自身が書かれた
『ボクの音楽武者修行』という本を見つけて
(↑すごく面白かったので、おすすめです♪)
読んだりしたことで、
人物への興味も 
敬愛の気持ちも強くなっていったり


「コンサートもいつか、聴きに行きたいな」と
思うようになっていた。


(ネットどころか BOOKOFFも無い時代は
モノでも 情報でも、〈自分の足とカン
を使って探し当てるのが普通でした★)


私が初めて
小澤征爾さんがタクトを振る演奏会に行ったのは
フィレンツェの劇場に
珍しいオペラの演目、『ピーター・グライムス』
を持って来られた時。


たしかもう 数年後にボストンを離れ
ウィーンへ移られることが発表されていた時期だった。


勝手な話なんだけど
私は個人的に その
小澤さんがウィーンに行かれる話を少し
残念に感じていた。


それというのも


以前 日本で観たドキュメンタリーで
小澤さんが当時 毎年夏に開かれていた
タングルウッド音楽祭というイベントが


緑の芝生が広がる 
さわやかな風景の中にある建物で
コンサートが開かれ


多くの聴衆が 
まるでピクニックをするように


気持ちの良さそうな芝生の上に 
思い思いに 
シートを広げたり 椅子を置いて
たぶん ビールやワインを飲んだりしながら
リラックスしてコンサートを楽しむ


その雰囲気が 素晴らしく印象的で、
うらやましくて


「あの場所で あんな風に小澤さんの演奏が聴けたら
どんなに素敵だろう…」と思って
いつか行くことを夢見ていたから。


けっきょく一度も その音楽祭には行けなくて、
でも
イタリアのフィレンツェで、 
そのオペラ以外にも 
別の場所で指揮をされたコンサートを
聴く機会に恵まれたり、


小澤征爾さんには その後もずっと注目し、
機会があれば音楽を聴きに行き、
憧れ続けていた。


むかし持っていた
『ボクの音楽武者修行』
『小澤征爾NOW』という雑誌(?)で読んだ


小澤さんの言葉、
感じ方、考え方、
人となり…


他にも 
さまざまな機会に 少しずつ知り得た、
お人柄のしのばれるエピソードの数々から


「大らかで 気さくで 優しくて、
音楽にも 人にも誠実で、
なんて魅力的チャーミングなかたなんだろう」
と感じていた。


普段は 穏やかな物腰で
目元の笑いじわが深くて、
ニコニコと 
いつも陽気で優しい空気をまとっているのに


指揮に入る直前
一瞬で 表情が変わる。


物凄い集中力。


指揮の時じゃなくても、
演奏の音を聴いている時や
人に指導をされている時…


全神経、全精神力を込めて
音楽や その人に
向き合おうとしているのが判る。


何の混じりも無い、
純粋な 真剣な 誠実さ…


〈向き合うもの〉に対しての。


その姿に、感動を覚える。


「美しい顔」って、私は
美醜びしゅうだけでなく 
そういう顔のことをいうのだと思っていて、
実際に そう呼んでもいる。


美醜は 
人の主観や、好みで判断が分かれるし
それはそれでいいのだと思うけれど、


顔つき・表情に感じる美しさには
目ではなく
心にうったえてくるものがあるから、
その人を見るとき
心に より深い感動がある。


たぶん私は
そんな顔と 行動と 精神をもつ人物である
小澤征爾さんに
ずっと恋をしていたんだと思う。


だからこそ
その人が 急にいなくなってしまって
こんなにも 
悲しいのだと思う……


世界じゅうで
喪失感そうしつかんに耐えているのは
きっと私だけじゃないけれど


私は 小澤征爾さんの
あの 笑い皺だらけの笑顔が
ほんとうに 大好きでした。


指揮台での鋭い動き、
表情、


プライベートで見せる
人懐っこい お茶目な姿も。


あの笑顔がもう 見られないなんて。


親愛なるマエストロ、
素晴らしく美しい 数々の音楽と


あなたと共に過ごした人も、
あなたと直接 出会うことはなかった人にも、
一人一人の心に残る
あなたの素敵な思い出を
どうもありがとうございました。


あなたが音楽に恋してくれてよかった。


あなたとあなたの音楽に、恋をしてよかった。


いずれ あなたの
天上の音楽を聴きに行きます。


とっても、楽しみにしています。


今は しばし
どうぞゆっくりと 安らかに
お休みください………



*ひとことイタリア語講座*

caroカーロ maestroマエストロ」は
イタリア語で
「親愛なるマエストロ」という意味です。

caroカーロ
直訳:(価値などが)高い、貴重な 
呼びかけに使う場合:(自分にとって)大切な、親愛なる

maestroマエストロ
師匠、先生、抜きん出た才能や腕を持つ人達への称号。
主に芸術家や職人さんを、尊敬を込めて呼ぶ時に使う。
女性の場合は「caraカーラ maestraマエストラ」と
語尾がaに変化。


たとえば、9:07~ に注目。
美しい顔だなあ と思いませんか?


こんなオーケストラの指揮もされてたみたい。
いつだって真剣に、誠実にお仕事✨


大好きで、以前から繰り返し聴いている演奏はこちら。
こんど改めて記事を書こうかな…


*冒頭の写真は、今日(2024/02/11付け)の
Boston Symphony OrchestraのHPよりお借りしました。

ボストン交響楽団は 小澤氏への
このような温かい追悼の動画をupされています。演奏が終わったあとの団員の皆さんのお姿、とても感動しました…




書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡