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聖なる夜に


Christmas Time In Blue
聖なる夜に口笛吹いて
…というのが
今回ご紹介したい音楽のタイトル。


知っている人にとっては懐メロだけど
あまり多くの人には知られていない、
素敵なクリスマスソングのひとつ。


それをそのまま
記事のタイトルにしようかな? 
とも考えてみたけど


今年は戦争も 
自然災害も 
去年よりもっと増えてしまって


宗教が違うからクリスマスは関係ない 
という話より
ほんとうに実際問題として
クリスマスどころではない境遇にいる人が
世界じゅうに 
あまりにもたくさんいるから
一部の言葉だけ 切り取ることにしました。


口笛なんて 
とても吹ける気持ちになれないものね…😔
もちろん 
歌や歌詞に罪はないことが分かっていても。


この曲は 
10代のころ大好きだったアーティスト
佐野元春さのもとはるさんの歌です。
(今でももちろんファンです♡)


気持ちのいい レゲエのリズムで奏でられる
ちょっと変わったクリスマスソング。


あのころ 
冬のイルミネーションに彩られた
街の雑踏の中を
この曲を聴きながら
歩いたりもした。


そうすると不思議と 
「みんなこの日は幸せでいられる」みたいな


根拠のない でも
やさしくて小さな幸福感が
ゆるやかで楽し気なリズムとともに
心を満たしてくれた。


今年は 歌詞にある
「僕はあきらめない」を
広く さまざまな意味にあてはめて


たとえ 顔も名前も知らなくても
クリスマスだからじゃなくても


どこかの街の瓦礫の下で 
誰にも見つけられないままの人も含めて


ひとりひとりの 
多くの人たちのことを想って


聖なる夜に
この曲に耳を傾けようと思う。


これは普通のシングルカット(だっけな?)だけど
ロングバージョンもあるから
もしこの曲が気に入った人は
ぜひ探して聴いてみてね。
(でもOfficialチャンネルにはないという…)


*****


『Christmas Time In Blue
~聖なる夜に口笛吹いて~』


雪のメリークリスマスタイム
揺れる街のキャンドルライト


道ゆく人の波に流れるまま
Christmas Time In Blue


街の Little Twinkle Star
夢に飾られているけれど
かまわないさ このままで
歩き続けよう
Christmas Time In Blue


街の輝きは やがてにじんでゆく
時の流れのままに
約束さ Mr.サンタクロース
僕はあきらめない


聖なる夜に口笛吹いて


街の Little Twinkle Star
揺れる胸のキャンドルライト
いつの日も君は 
輝きもそのままに
Christmas Time In Blue


Christmas Time In Blue……
Sha La La La La La……


愛してる人も 愛されてる人も
泣いてる人も 笑っている君も
平和な街も 闘ってる街も
メリー メリー クリスマス
Tonight’s gonna be alright


大切な人も 離れてく人も
よく働く人も 働かない人も
うまくやれる人も しくじってる人も
メリー メリー クリスマス
Tonight’s gonna be alright


お金のない人も あり余ってる人も
古い人たちも 新しい人たちも
教えてる人も 教えられてる人も
メリー メリー クリスマス
Tonight’s gonna be alright


世界中のチルドレン
Ring-a-ring-a-roses!


憂鬱な時も ひとりぼっちの時も
平和な街で 闘ってる街で
Ring-a-ring-a-roses!
Tonight’s gonna be alright


Sha La La La La La……


Tonight’s gonna be alright……



*****


もうひとつ 
こちらは去年ご紹介した曲の 別動画です。


物語ストーリーのメッセージ性が強く
あの記事の雰囲気からは すこし外れていたので
採用はしなかったのですが、
とても良い動画なので
やっぱりご紹介することにしました。


こちらもまた
〈キリスト教のクリスマス精神〉
を表現している作品。


思いやり、共感、愛情、連帯…


仏教は 人の内に仏性ぶっしょうを見るけれど
キリスト教も 人の内に神の似姿にすがたを見たりする。


「私に何かを教えるために/助けるために
神様や天使が 人の姿になって来てくれた」
という考え方も、わりと一般的。


このVideo clipも そういうことを
解りやすく語っている。


あの いかにもキリスト似(笑) の男性は
「僕じゃない」
「あの人たちだよ、今夜 僕より
〈人の思いやり〉を必要としているのは」
「今の僕には出来ないことがあるから、
代わりにお願い」


それを伝える役目をもって
その街に居たようにみえる。
同時に
立場はもしかしたら
逆の時もあるかもしれないね、という雰囲気も。


一方
自分の心の〈優しい〉部分が
素直に反応して、
その人のことが どうしても気になるのに


何かが
その心のままに行動を起こすことを
ブロックしている
あの お父さんの男性は、
なかなか自分のほんとうの気持ちを
行動に移すことが出来ない。


けれど 
そのブロックを破って
自分の意思で 
〈行動することの方〉を選んだとき


彼の心は解放感を感じて、
自由 自然 喜び…
それらの混じった
充実感で心が満たされたんだろうな と思う。
(映像を観ていると)


以前 他の記事で
「じぶんの心が行きたい方へ。
たぶんこれ、間違ってません。」
と書いたことがあるけど


それは必ずしも
自分だけに利のある希望や 欲望だけが
そうしたがっているわけじゃない気がする。


あなたの中の〈優しさ〉が
自己表現 ー 「自分を(素直に)表現」したがってて、
その自然にき起こる欲求を
抑えつけてしまう事は、
結局、自己抑圧よくあつのひとつに過ぎない。


人間って
自然な感情としての思いやりを
人だけじゃなく 相手が動物であっても
お互いに表現し合うことで
他の人(いのち)たちとつながり、


お互い同士の 新しいきずな
このささやかな世界に
産み出そうとする生き物なんだと思う。


だから あなたも
自分の心が求めているなら
それを行動に移してあげてみて。


きっと 
自由に自己表現できるあなたの心も、
あなたに気遣ってもらえた誰かや 何かも
幸せな喜びを感じるに違いないから。


今まで 多くのキリスト教徒の人たちと
交流してみた体感としては
カトリックよりもプロテスタントの方が 若干じゃっかん
奉仕ほうし喜捨きしゃ(献金、寄付)など
自分の善意を 積極的に
「実際に」「行動で」示そうとする傾向がある気がする。
クリスマスの時期には特に。


クリスマスって
パーティで騒いで ごちそうを食べて
サンタからプレゼントをもらう日
じゃないんだよね、本来…


日本人て 特に外来の事物に関しては
「本場では」 
「本物の」 
「本当の」
といったものを よく調べたり、
ありがたがってり入れたりするのに


どうしてクリスマスに限っては
〈本場での過ごし方〉や
〈本来の考え方〉が、知られてないんだろう?
(↑べつにケンカ売ってるワケじゃないですよ💧)



さて
今夜はクリスマスイヴ。


ついでなので
パーティのオープニングっぽい陽気な音楽も
ご紹介しとこ🎵
(懐かしい♡大好き🥰)



みなさま 
どうぞ良い聖夜をお過ごしくださいね✨✨✨



去年の記事はこちら🎄



書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡