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【小説】日本の仔:第7話

 徳永が天井を指差す。

「宇宙煙突?」
「地球上の熱を宇宙空間に放出するための煙突だよ」
「そんなものどうやって作るんだ」
「宇宙エレベータ構想ってのがあるでしょ。そこに排熱用のダクトを作ってもらえばいいの。途方もない計画だと思われてるけど、実質無限の電力があれば行けると思うんだよね。問題は設置する場所。宇宙煙突の周辺は気温と海水温が下がるから、変な場所に設置すると異常気象の原因になっちゃうんだよ。そこはスーパーコンピュータを借りてグローバルシミュレータで念入りに検討しないとね」

 こいつ、そこまで考えているのか。
「という訳で、宇宙煙突の建設計画もすぐに取り掛からないといけないんだ。なもんで、今話したことをまとめて推進計画書を作ってよ」
「お前が書けばいいだろう?!」
「えー?そういうの苦手だって言ったじゃん」
「お前、まさか常温核融合炉の設計書なんかも」
「当然ないよ。分解すればある程度解るでしょ。清水坂も核融合炉作ってたんだから」

 マジか...一筋縄では行かないとは思っていたが、これは相当大変だぞ。
「分かった。分解しても解らないところはちゃんと教えろよ。常温核融合炉の設計書の作成と宇宙煙突を含めた推進計画については、研究所のメンバーで検討を進めることにする」
「さすが清水坂!頼りになるなぁ」
 もう焼けだ、やれるところまでやるしかない。
「それと、敢えて言わなかったが、呼び捨てはやめろ」
「じゃあ、たかちゃんで」

 KEKに依頼した常温核融合炉の調査は、最優先で行われることになり、それまでに準備されていた実験は全て後回しにされた。それだけKEKのメンバーがこの常温核融合炉に注目しており、反応の仕組みを解明したいという科学者としての探求心が凄まじいということだろう。そして、BelleⅡ検出器のセッティングも、徳永が言っていたガンマ線、陽子、電子等の素粒子、熱の検出・測定を精密に行えるように変更された。徳永が言っていた反応で生成される反電子ニュートリノの検出はここでは無理なため、後日、岐阜県飛騨市にあるカムランドを利用して行うことになっている。

 8m四方にも及ぶ巨大な検出器の中央に、外側のカバーが外された例の常温核融合炉がセットされている。
 通常は検出部分のみ真空にしてあるが、融合炉が入らないので、融合炉が入る大きさの真空チャンバーを取り付けて検出を試みることになっている。
 普段は、SuperKEKB加速器によって光の速度に近い速度まで加速された電子や陽電子を検出器の中で衝突させることによって弾き出てきた素粒子を観察する装置だが、今回は加速器を稼働させず、徳永の核融合炉から飛び出してくると思われる粒子や電磁波を観測する。

 この核融合炉で一体どんなことが起こっているのか、まだ世界の誰も知りえない反応を観ることができるはずだ。
 実験自体はKEKのメンバーが行うが、清水坂と徳永、そして那珂研究所のメンバーも特別に見学させてもらえることになっていた。

「やっぱちゃんとした研究施設はすげぇなぁ!家とか大学にあるやつとはスケールが違うよ!」
 徳永は目をキラキラさせながら実験設備を見ていた。
「そりゃKEKは日本国内では最高性能の粒子加速器と検出器が揃ってるからな」

 この検出器、なりは大きいが、実際には素粒子レベルで物を見るための顕微鏡である。
 顕微鏡というと、光学レンズを通して、普段目で見ている物を拡大して見る器具というイメージをされると思うが、この装置はクオークなどの素粒子レベルの大きさの物体を見ることができる。これは、原子核レベルの大きさの物体を見ようとすると、可視光の波長では長すぎて解像できる大きさに限度があるため、もっと波長の短い電磁波で物をみる電子顕微鏡の原理と同じだ。

「では、そろそろ始めましょう」
 KEKの技師がマニピュレータで融合炉のスイッチを入れると、例のブーンといううなり音が聞こえてきた。
 すぐに検出器が反応を検出し始めた。
 装置の中央の漏斗のような形の部品の細くなっている部分から、ガンマ線が検出され始めた。
 ここまではうちの研究所で観測されたものと同じだ。

「何だこれは!」
 検出器からの信号を可視化するために生成されたCGは、ひっきりなしに126GeVのエネルギーを持つ粒子が現れていることを示していた。
「これは、ヒッグス粒子じゃないのか...」

 そう、2012年に初めて発見が報告された質量を生み出す神の素粒子と呼ばれるヒッグス粒子と質量が酷似している。この粒子を観測するには、通常CERN(欧州原子核研究機構)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)による実験で、数億~数兆回の衝突を行わせる必要があると言われている、途方もない時間とお金が必要なのだ。
 それを、この装置からは惜しげもなくヒッグス粒子が発生していることが示されている。

「徳永!どういうことだ?!」
「ん~?陽子と水素原子を融合させると一瞬だけその何たら粒子が出ちゃうんだよ。すぐにガンマ線かボトムクォークに崩壊しちゃうけどね。それとは別に反電子ニュートリノがたくさん出てくるんだけど、その周りが陽子で埋め尽くされてるから、陽子と反電子ニュートリノが衝突してガンマ線が出てくる訳。で、そのガンマ線を受け止めて電子の運動エネルギーに変換するのが、外側に被せてある部品なんだけど、光学迷彩を作った原理で、ガンマ線の向きを変えて円を描くように回すことで、外側にガンマ線を漏らさないで電気エネルギーに変えてるんだよ。あ、そう言えば少し漏れてたんだっけ」

 言っている意味は大体分かるが、どうしてそんなことが可能なのか全然分からない…
「これは凄い…これがあれば大型加速器を使わずにヒッグス粒子の実験がし放題だ!」
 KEKの研究員がやたら興奮している。
 それもそのはず。KEKは世界最高峰の粒子加速器と検出器を持っているとはいえ、さすがにCERNのLHCには敵わない。それをこの融合炉があればCERNと同じ水準の実験が費用も時間も掛けずに実現できるというのだから。

「それで核融合のしくみは分かるんですか?」
「色々な角度から素粒子の動きを観測して、多角的に分析しないと詳細を解明するのは難しいでしょうね。ただ、本来反発し合うはずの陽子と水素原子が整然と並んで融合していくことは確認できます。信じがたい光景ですよ」
「これで徳永の言っていたことが間違いではないことは確定したのだな…」
 本当に常温核融合が起きていることは分かったが、少し複雑な気持ちがした。これで本当に我々が開発してきた熱核融合炉はお払い箱になってしまうのか…

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