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夢には破れない ~ショートショート~

『俺は夢破れた者を、負け犬だと思ったことはない。だけど引きずり続ける夢を言い訳にして他を蔑ろにするやつは人生の敗残者やと思うけん』

 高校生2年生の頃、図書館の片隅で読んだ小説に、その一文があった。その頃はとにかくたくさんの小説を読んでいたから、他に埋もれて内容の詳細は覚えていない。けれどその一文は、なぜか私の中に残り続けた。
 残り続けたと言っても、座右の銘になったとかそんなことは一切ない。なんならほとんど思い出すこともなかった。ただ、意識のどこかに記憶されていた、という程度。

 敗残者――〘名〙 負けて生き残った者。
       出典:精選版 日本国語大辞典

 あの頃、進路を考えはじめた私たちの中に、夢を語る者も多かった。幼稚園や小学校に通っていた頃に描いたようなふわふわとした夢ではなく、地に足のついた夢。

 公務員を目指す、看護師を目指す、自衛官を目指す、警察官を目指す。

 そんな話を聞きながら、そろそろ夏も終わりかと、私は夏のにおいの消えた風を感じていた。

 進路進路進路。選択と決定を義務付けられたそれは、私にとって蜘蛛の糸のようなものだった。限りなく透明に近く、それでいて確かに私の動きを阻むもの。気づかぬうちに絡めとってくるもの。
 煩わしいの一言に尽きる。私は、努力せずとも受かる大学へ行き、必要単位だけを取得して卒業することにした。学歴だけあれば良かった。
 だって私は、世界を救うスパイヒーローになるのだから。

◇◆◇◆


 あれから10年が経った。
 私は今、仕事が終わってカフェで珈琲を飲んでいる。手には小説。最近出たスパイものだ。

 ストーリーを追いながら、私だったら、と考える。様々な展開のスパイものを読んで観てきた。私の頭の中には、無数の事件とそれに対する解決策が存在する。どんな状況に陥っても、きっと正解を見つけられるだろう。

 スパイになるためのスカウトはまだ来ない。けれどいつ来てもいいように、私はちゃんと準備してある。
 身辺整理を素早く行えるように実家暮らしを続けているし、正社員で働くと退職が難しいだろうからパートで働いている。友人付き合いをすると秘密が漏れる可能性が高まるから交友関係は持たない。恋人なんてもってのほか。

 飲み終えた珈琲のカップを返却台に置き、店を出る。カウンターに座っている高校生が参考書とノートを広げて、難しい顔をしていた。受験勉強だろうか。

 ふと、かつて読んだ一文が蘇った。

『俺は夢破れた者を、負け犬だと思ったことはない。だけど引きずり続ける夢を言い訳にして他を蔑ろにするやつは人生の敗残者やと思うけん』

 まさしくその通りだ、とその高校生を見ながら心の中で頷く。
 あの日夢を語った何人が、その夢を叶えたのだろう。夢に引きずられているのだろう。その姿を想像すると、憐れで胸が痛んだ。いかばかりに情けないことだろうか。

 私はそうはならない。一心に努力を続け、犠牲を払ってきた。
 パートで得た給与のすべてを小説と映画につぎ込み、未来の予習を日々欠かさない。
 世界情勢を知るのに必須の携帯だって、親に何万円も支払ってもらうのは悪いからと格安スマホに切り替えた。
 母親の作る料理は最近どんどん薄味になってきているけれど、文句も言わず食している。身体は資本なのだ。
 
 自分自身が誇らしく、いい気持ちで深呼吸をした。今日はいい日だ。夏ももう終わることだし、母にアイスケーキでも買ってきてもらおう。

 もうすぐ九月がはじまる。
 夏のにおいのしない夜風が、私を通り過ぎて、消えていく――。


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こちらの企画に参加しました。
最初と最後が決まっている作品を書く、という初めての試み。難しい!と思いましたがとても楽しくやらせていただきました。
ただ、テーマが「夏の終わりの一日」とのことでしたが、その感じが出せたのか不安です。
本家さんに比べてだいぶ短くなりました。今の私では1000文字越えくらいがやっとのようです。精進しよう。

サトウ・レンさん、素敵なお題をありがとうございます!


読んでいただきありがとうございます❁¨̮ 若輩者ですが、精一杯書いてます。 サポートいただけたら、より良いものを発信出来るよう活用させていただく所存です。