見出し画像

MIMMIのサーガあるいは年代記 ―67―

67/n
      第 四 章
  -囚われの戦場のプリマドンナ-

「私はそれを吸った。さっきの沼の匂いに似たそれと香ばしい火の匂いとが混ざり合い、一瞬大きな燃えている熱帯樹の幻を見た」
 三島由紀夫『煙草』より

「まだ撃つな!」と、鋭い声が響きます。もう一人見落とした敵がいたのでした。その敵は用心深く銃を構えながら姿を現します。彼の胸には双眼鏡が揺れ、大きくまくりあげた左腕には三本の矢に蛇が絡まった図柄の刺青がありました。指揮官ベンジャミンです。

「両手をあげたままゆっくり立ち上がり顔をみせろ」
 彼は火災の明かりで、なめるように彼女を注視します。
「わたしは桃子よ。人質にとったら核爆発中止の交渉ができる。殺さないで」
「写真どおりの顔だ。この前、待ち伏せ攻撃の部下を大勢倒した娘に間違いない」
 彼は桃子を照準する部下の横をまわりこみ、もう一度、誰も撃つなよ、と命じました。源さんのSUVによる攻撃を受けても無力化できなかった四人が彼女に近づいてきていたからです。
 
「スーツ型核兵器なんて持っているわけがないが、交渉材料には使える」
「ないと思ってるの? 今どき核兵器の設計図なんかネットに転がってて、プルトニウム239と高性能火薬さえ手に入れればあとの部品なんかホームセンターで揃うんだから、爆縮型なんて誰でも造れるわよ。それから蛸薬師小路家はNIT(西淀川工科大学)という高度研究・教育機関をもってるのを忘れないで……。そんなことより時間が残ってない。交渉よりすぐに降伏して。みんな死んでしまう」
 
 ベンジャミンは、NITのくだりで瞬時考え込みましたが、すぐさま自分の迷いを振り払い、近寄ってくる四人に娘を拘束するよう命じました。
 と同時に、二発の発砲音が近くで響き桃子に寄ってきていた四人のうち二人が倒れました。源さんです。ボルトアクションの四十四式騎銃とは思えぬ素早さでした。不意をつかれたベンジャミンたちは咄嗟に伏せましたが、桃子ばかりに注目していたので発砲炎を見落とし、音源だけをたよりに源さんを探ります。ベンジャミンが命ずるまでもなく、桃子の右手から近寄ってきた生き残りの二人は、散開して匍匐前進してなだらかな丘の稜線の頂へ進みました。
 桃子は伏せることなく、棒立ちのままです。

 ベンジャミンの横で桃子に照準を合わせていた副官の一人は、たまたま持っていた暗視装置で狙撃者を探すためにヘルメットから接眼部を下ろしかけると、丘の見通せないところで小石がころがる物音を耳にして、向こう側を覗こうと無意識に姿勢を少し高くした瞬間、もう一度銃声が響き頭から後ろにのけ反り倒れました。暗視装置のレンズごと打ち抜かれたのです。
 源さんに向かった敵二人は、弾倉が空になるまでめくらめっぽう乱射し、手榴弾二発を投げました。が、彼らに応射する者はいません。

 桃子がはじめて動きました。地面を這うよう低い姿勢で、弾倉を交換してチャージングハンドルを引こうとしていたベンジャミンの斜め前からタックル気味に体をあずけます。
 霊長類最強女子とうたわれた吉田沙保里ほどのタックル技術も体格もなく、体重でベンジャミンに劣っていますから、タックルそのものでなくベンジャミンの手元に飛び込み、彼の自然な動きにさからわずにしなやかに銃口をそらし、ついで巻き取るように銃を奪いました。
 
 だが奪い取った銃にこだわらずに足元に落とします。エリカたちからさんざんに仕込まれ、師匠を超えたシステマの技です。
 ベンジャミンも歴戦の傭兵ですから、足元に落ちた銃に手を伸ばして屈むほど不用心ではなく、左脇下ホルスターからグロックを抜こうとします。

 桃子はベンジャミンのこの動作を予測していたかのように片手を彼の胴に廻して、ここを支点として背中へ回り込み、拳銃を手にした彼の肘を上へ跳ね上げます。桃子のこの予想外の反撃に彼は引き金を引いてしまいました。空に銃口を向けたままに……。彼が過ちに気づいた時には、喉に自分のナイフが突き立てられていました。桃子が瞬時に背後にまわり胸のナイフを引き抜いていたのでした。

「銃を捨てて降伏しなさい。時間がない。みんな死んでしまう」
 また四十四式騎銃の銃声がし、指揮官に近寄ろうとしていた二人のうち一人がうつ伏せに倒れました。そうして。わざとゆっくりと、音高く槓杆を操作する音が聞こえ、源さんが片膝立ちに姿をあらわしました。予想外の場所からです。

「撃ち殺せ」
 ベンジャミンがただ一人生き残った部下に命じましたが、それは桃子と一緒に人質にとられた己を撃つのか源さんを撃ち殺すのか、部下にとっては不明な命令でした。
 その部下は、指揮官と源さんを見比べてから銃を投げ捨て、両手をかざしました。自分の銃口が源さんから逸れていて、逆に源さんが正確に狙いをつけていたからです。彼が狙いを付けて引き金を引く前に、騎銃の6.56㎜弾が眉間を貫くことが明らかでした。それ以上に不気味に白く輝く二つの瞳に尻込みしたのかもしれません。その双眸は生き身の人間のものとは見えませんでした。

 桃子も源さんの姿を目の端で見て身がすくみました。ついさっき車中で見た顔よりも怖ろしいものでした。
 ベンジャミンもグロックを落としました。

 彼女はグロックとアサルトライフルを遠くへ蹴り退けて、「さあ早く、部下に撤退と降伏を命令しなさい。もう時間がない」
「ちょっと遅すぎたようだ」ベンジャミンが嘲る口調で言い返しました。
 
「命令系統も組織もなかば崩壊している。満足に命令を聞きそうにない」と言って、首を蛸薬師小路邸の火災の方にゆっくりと向けました。彼が言うように、傭兵たちはかってな方向へ武器や装具をすてて逃げ去ろうとする者たち、攻撃しようと前進しながら発砲している者たち、まちまちの命令を叫んでいる指揮官たちばかりでした。
 冷静に命令に従う部下が幾人いるか、想像もできないような混乱ぶりでした。戦術核兵器起爆のカウントダウン放送の効果がでたのでしょう。ですが、烈しく攻撃を続ける少数部隊がいる以上、蛸薬師小路側は解囲されていないのです。それに烏合の衆となった傭兵たちがここに押し寄せたならば、現在の桃子たちの小さな優位は霧消してしまいます。
 
 桃子は、屋敷周囲の様子を一瞥して、彼の返答を信じました。

「それにオレは降伏できない。母と娘が人質に取られている。この作戦に失敗した上に降伏したら……、結末はわかるだろう。いっそのことオレをすぐ殺せ。さあ、そのナイフの一突きですべてを解決しろ。オレが死んだら人質は用済みになって助かるかもしれない。さあ!」
「シェークスピア劇の台詞みたいに勇ましいこと」
 彼女は冷たく言い返しましたが、どうすることもできません。

「殺してくれだと、卵の殻が尻についたままのヒヨッ子がきいた口をきくな。インパールの白骨街道では、赤痢で糞尿を垂れ流し、飢え衰えて傷口にはウジがたかったてまともに口もきけない行き倒れの兵が、自決用に手榴弾をくれとねだった。そんな手の施しようもない傷病兵なら分からないこともない。ところがお前のような本当の敗残をしたことのない小僧が、軽々しく殺せだと」源さんは銃剣の切先をベンジャミンの腹に突きつけて言いました。

 彼は、さきほど武装解除した傭兵を追い払ったあと、ベンジャミンの言葉を聞き咎めてここへきたのですが、源さんは英語が分からないはずです。
 桃子が慌てて英語に翻訳しましたが、ベンジャミンは通訳なしでもその語気の不気味な強さになんとなく理解しているようでした。その証拠に先ほどまでの捨て鉢で半ば桃子をなめたような態度が失せ、死神に口づけされたように筋肉が強張っているのが、後ろから抱え込んでナイフを突きつけた桃子にも伝わってきました。
 
 源さんに目を向けた桃子は、あまりにも多くのことが同時に発生する今の状況と、目の前の源さんの姿に、桃子の脳が処理能力を超えてしまいました。「でも、でも」と無意識に口走っていました。
 
「お嬢、落ち着け、落ち着け。そのヒヨッ子は離しても、もう何もできぬわ」
「……でも」
「核兵器のことか? カウントダウンの十分間はとっくの昔に過ぎておる」
「ええっ! だったら、だったら……」
「あれが嘘だと言い切れぬが、ファンキーでそそっかしい蛸の婆さんのことだ……、カウントダウン宣言しても時間を計るのを忘れたんだろう。それにこの苦戦では、手を離せまい」
 桃子がいいつけどおりベンジャミンの喉元からナイフを離すと、彼は力なく蹲り、源さんを震えて見上げるばかりでした。

「お嬢、ゆっくり考えろ。お嬢の頭ならこの難題を解決できる。グズグズすると傭兵どもがこっちへ来る。頭を切り替えろ。なんならこのヒヨッ子の殻のついた尻を蹴り上げてやれ。言い考えが浮かぶかもしれんぞ」
 源さんの口調は、地獄の底から湧き上がるの獄鬼の声ではなく、以前の柔らかく懐かしいものに戻っていました。
 
 言いつけに率直に従って、彼女はベンジャミンの臀部を力いっぱい蹴り上げました。一回だけではうかばないので、続けて三回蹴り上げました。
「うん。浮かんだ」と彼女は源さんに微笑みかけ、ベンジャミンには厳しく問い質しました。
「家族が人質になってることは本当なの? 監禁されている場所は?」
 すでに戦意を完全に喪失し、源さんに脅えきったベンジャミンはスマホを放り投げ、「このとおりだ。嘘はない。場所が分かれば世話はない」と捨て鉢に応じました。
 
 画面をスクロールして動画を再生して、手早く確かめた桃子が言いました。
「なーんだ、簡単だわ。通称ベンジャミン、雇い主に作戦が成功したとすぐに報告しなさい。さあ早く」と、スマホを返します。
「お前たち一族の首を切り取って持参することが契約にはいっている。自分で首を切るのか」彼は桃子の指示にまったく関心を示しませんでした。
 
「お嬢、簡単というのはどういうことだ」
「作戦成功をでっち上げて解放させればいい。簡単なこと。今どき首狩なんて流行らないし、首なんて重いもの抱えて、この戦場から逃げられない。雇い主に常識があって、ニュースなんかでここの様子を見ていたら、首を要求しない。証拠をでっちあげればいいだけ。桃子やお婆さん、エリカたちの射殺死体や。切り取った首の画像か動画を送ればいいの。一時間もあれば地下防空壕に避難しているエンジニアたちが、本物より本物っぽいのをつくってくれる。その一時間をかせげればいいのよ。ベンジャミン、それらしい口実をでっちあげるのよ。そう、お前の母親と娘の命がかかっている、さあ急げ」
 桃子は、『Y社』になり替わり、ベンジャミンに肉親を人質にして脅しました。

「そんなに上手くいくのか? それとこのヒヨッ子の始末はどうする」
 源さんが慎重な口ぶりになっていました。
「技術的には問題ないわ。だけど、こいつのアカデミー主演男優賞クラスの演技は必須ね。あとの処理は、ベンジャミンを桃子がつくる予定の民間軍事会社の取締役か社外役員にする。CEOはもう決めてるから、このポストで満足するのね」と、彼女は日英両国語で二人に伝えましたが、民間軍事会社のくだりは二人とも半信半疑でした。

「さあ時間がなーい。迫真の演技をするのよ、ベンジャミン。二人をもう一度抱きかかえたいなら……。自決する以上の覚悟で演技するのよ」
 こう言って彼女は、彼の臀部を思いっきり蹴りました。
 深呼吸をして息を整え、スマホ画面の明かりをしばらく眺め続けたベンジャミンが厳しい顔つきになり、やおら手をスマホに伸ばしました。

「お嬢、それだけは無理じゃ。もう手をつけられぬようになった」と、源さんが辺りを見渡してから告げました。統制を失った傭兵たちが銃をあたりかまわず連射しながら。こちらに走りまわり、互いに銃撃している姿もありました。敵も味方もなく、ただ目の前の人間を手当たり次第撃ち殺しているようでした。
「このクソッタレがクソ電話を終わるまで、あいつらクソ外道の母親の腹からひねり出された馬鹿どもが、ここに来まで時間を稼ぐのよ」
 あのフランスパン型の丘でエリカやメキシコ人たちを指揮した時のように、悪態の氾濫は闘志が奔流する本来の彼女です。
「やっと元にもどったな。桃子お嬢」こう言い終わらないうちに、源さんは片膝立ちの姿勢で、脅威のある敵を見分け確実に倒していきました。
「ここは委せろ。五分は時間をかせぐ。お嬢は、そのヒヨッ子がアカデミー賞の演技をするか横で見張ってろ」

 彼は続けて発砲しますが、弾丸は十五発しか持っ来ておらず、すでに四発を使っていました。当初十五発で十分と判断したのでしたが、状況が変わってしまったのです。源さんには似つかわしくない誤算でした。彼は前方の敵を照準しますが、広範囲に拡がってあちこちに駈ける敵を倒すには、先ほどの狭い視野で近距離射撃より時間がかかり、また、防弾ベストやヘルメットに命中して敵が再び立ち上がることが何度かありました。
「急いでくれ」と、源さんらしくない焦った声がかかります。

「電話は初っぱなから高飛車に出るのよ。交渉でなく最後通告って感じで……。相手の通話が聞こえるようにスピーカーモードにして」
 ベンジャミンは老母と愛娘、それに自分の命を賭けて通話しました。
 
  <パープルスワローからマザーグースへ。認証コードは88017BPD00>
 パープルスワローは彼の暗号名、マザーグースは『Y』の作戦責任者のそれです。
  <こちらマザーグース。認証コードを確認した、パープルスワロー。今まで連絡がないのはどうした? 作戦が遅れている。それに戦術核兵器がどのうの、と標的が放送したが……>
  <作戦は成功した。主要メンバーはすべて措置し終わった。核兵器はデマだ。これから撤退する……人>
 桃子がマイクを手で遮り、親指で喉を切る仕草をしました。
 <……これから……撤退する。こちらの契約は履行した>
 <首を切り取って持ち帰れ。それが契約だ>
 <無理だ。そんなものを持って移動できない。目につきすぎる。動画をあとでそちらに送る。敵の残党とまだ交戦している。それどころではない。この銃声を聞け>
 彼はこう言って、スマホを銃声がする方向に向けました。
 <このとおりだ。すぐ引き上げる。お茶会の談笑をしている時間はない>
 <まだだ、首をみるまでは……>
 マザーグースが言い終わらないうちに、ベンジャミンが通話を終了させ、電源を切りました。
 
「なんとか及第点ね」
「あれでマザーグースが納得するはずないぞ」ベンジャミンが激しく言い返しました。

「もう手に負えん。この辺りは奴らの逃げ道になってる」
 源さんが這いよってきて、アサルトライフルとグロックを拾い上げました。四十四式騎銃の弾は撃ち尽くしていたからです。さらに悪いことに、彼が初めて手にするアサルトライフがフルオートの状態だったので、弾倉の弾丸をあらぬ方向にばら撒いただけに終わりました。ついでグロックを撃ちまくりましたが、これも使い慣れないのでほとんど命中しませんでした。

「まずいことになってしもうた。お嬢はそいつを連れて、逃げろ。白兵突撃をかける」
 こう呟くと、手榴弾二発をポケットから取り出して地面に並べ、弾がなくなった騎銃を右脇に挟んでスパイクバイヨネットを敵の群に向けました。また獄鬼の容貌に戻っていました。

 言い返す寸刻の余裕もないので、桃子は手榴弾を蹴り飛ばし、源さんの襟首を力いっぱいに引きました。
 桃子が何か言いかけましたが、言葉にはなりませんでした。このときです。ジェット機の爆音が近づきました。銃声に紛れてこれまで爆音に気づかなかったのです。桃子も源さんも、新たな敵があらわれたのかと、見上げました。ベンジャミンも見上げています。いや烏合の衆となった敵傭兵たちも見上げています。

 爆音元は、赤、緑、白の翼端灯をともした四機編隊のジェット戦闘機で、高度四百メートルくらいの低空をフィンガー・フォー編隊(注1)で戦場の上空を南から北へ航過すると、編隊のまま急上昇しました。そうして高度を高くとると編隊のまま大きな楕円を描いて二度旋回したのち、二機が離れ、横一列のアブレスト編隊をとり、超低空で蛸薬師小路邸へ超低空ー多分百メートル程度ーで轟音と排気ガスをまき散らし再接近してきます。今度はデコイ(囮)として、フレアとチャフを邸宅の直上で盛大にばら撒きました。
 
 この二機が再び急上昇するのと交代して上空で旋回していた二機はゆっくりと降下し、東からこれもまたアブレスト編隊でフレアの明るい光源を何個も発射しながら侵入してきました。すぐにアフター・バーナー(注2)に点火しました。地上の誰もが-この戦場から離れて様子を探っていた国防軍、国家警察やマスコミも含めて-口を開いて見上げると、急にアフター・バーナーを全開して超音速飛行によるソニック・ブーム(注3)を発生させました。その突然の衝撃波と轟音に地上にいた者はすべて伏せ、耳を覆います。

 二機はずっと先で互いに反対方向に横転(ロール)したのち左右に大きく分かれ(ブレイク)て急上昇しました。上空の編隊と同高度にいたると、旋回していた二機が緩く旋回しながら降下してきました。今度は速度を極端に落とし、浅い角度で戦場を目指して下りてきます。そうしてフレアをそれぞれ四発左右にまき散らして過ぎ去ります。離脱する際に馬鹿にしたようなに左右に翼をバンクさせました。
 これは兵士には明らかに分かる、爆撃か機銃掃射による対地攻撃の真似、つまり擬襲攻撃です。

 この戦闘機四機の示威飛行のサインは明らかでしょう。
 どこの国家か不詳ですが圧倒的戦力で断固としてこの紛争に介入し、逆らう者を攻撃するというものです。その証拠に、耳を覆い伏せていた傭兵たちは全員武器を捨てて、両手を挙げてゆっくりと四方へ歩き出していました。
 桃子といえば、座り込み、放心しているようでした。口をあんぐりとしていた源さんも、銃剣を地面に突き刺して銃床に身を預けて深い溜息をつきました。

「何がどうなったか、誰が魔法をつかったのか分からぬが、なんとか間一髪で助かったわい。これで三度目を生き延びた。欲を言えばもっと早くなんとかしてくれてたらな……」
 
 ……
「お嬢、もう大丈夫だ。そのヒヨッ子を連れて屋敷へ戻れ。後始末はまだ終わっていないぞ」
 それから源さんはベンジャミンに向き直り、こう言い放ちました。
「また殺してくれというのなら、望みどおりこの銃剣でひと思いに心臓を貫いてやるぞ。どうする?」と、地獄の底からうなるような声で問いました。
 ベンジャミンは弱々しく首を振ります。
 
 その仕草は完膚なきまでに戦意を喪失、敗北した亡きがらそのものでした。
 しかし源さんの言葉は、その残酷な内容とは裏腹に、死線を幾度も越えてきた体験に裏打ちされた、反語的ないたわりだったに違いありません。桃子も、この半月で二度も辛うじて生き延びた残酷な戦闘体験から、なんとなく死刑執行人の精一杯の慈悲みたいなものを理解したような気がして、オフィーリア形見の婚約指輪にそっとてを触れていました。

 ベンジャミンは大の字に寝そべり、煙草を吸おうと紙箱を取り出しましたが、押しつぶされていて吸えそうなものが一本もないことを知ると、丸めて力一杯投げ捨てました。
 源さんがズボンから取り出したシガレットケースを投げると、ベンジャミンは一本を引き抜き火をつけて深々と満足そうに肺一杯に吸い込みました。今夕から禁煙をやめたのち、はじめてまともに吸い込んだのです。彼が指に挟んだ煙草は、夜目にもそこだけ真っ白に浮き上がり、敗者の痛ましさがいや増しになっていました。
 そんな彼を見下ろした桃子と源さんは目を互いに交わすだけでしたが、思いは一緒です。生き残ったもののこの先さらに困難が待ち受け、立ち向かうしかないとの思いを交わしたのです。
 彼らのはるか上空、エンジン音が小さく聞こえる高高度で、四機編隊の戦闘機の翼端灯が夏空の星々に交わって点滅していました。

 (あらたな第五章へ)

(注1)フィンガーフォー編隊

フィンガー・フォー編隊


(注2)アフターバーナー


(注3)ソニックブーム

ソニックブーム

冒頭の画像はMicrosoftによるイメージクリエーターで作画(部分)。せっかくですので全画を添付しておきます。

囚われの戦場のプリマドンナ浮世絵風

この記事が参加している募集

宇宙SF