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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―56―

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     第 四 章
       大 禍 時おおまがどき の 交 戦

 
 彼女は手近な置時計に頻繁に眼をおとし、源さんの帰りを待っていましたが、その時計は奇怪な代物でした。この置時計は、地下防空壕を造った源さんの個人的趣味で、むかしアメリカ宇宙軍の核シェルターにあったようなフリップ時計(パタパタ時計)に似ていました。薄いプラスチック片に数字の半分をしるした時刻の経過とともに、プラスチック片が半回転して時刻を表示するというアナログなものですが、源さんはプラスチック片を最新の液晶画面で表示してフリップ時計に見せかけるという、まったくの無駄なデジタル時計を創ってしまいました。この奇怪な機能が桃子の苛立ちをつのらせるのでした。
 ……
 見込んだ時間より随分早く、源さんが戻ってきました。腰を折りよたよたと小走りに外部監視室に入ってきます。大きなバッグを提げていました。
「どうだった?」彼女は肩越しに大声で問いました。
 彼は首を横に振ったあとで、答えました。
「やっぱり無理じゃった。あの婆さんも他の連中も無事には無事じゃったが……まあこれは戦闘レベルの話で、無傷やなかった。やっぱりこれを最初に報告するんやったな」と、自問自答します。

「それで?」
「婆さんが言うには、もう手遅れやと。敵が何者か知らんが、蛸薬師小路家の者とそれに関わる者どもを殲滅、いわば族滅が目的で、交渉や降伏の余地はもう皆無だ、という見立てやったわ。だが、桃子と地下防空壕の連中が生き残ってくれたら、蛸薬師小路家は再興できるさかい、絶対に無傷で生き残れ。そこから出るな、と言うきつい伝言じゃ」
「それでお婆さんは、どう闘うつもり?」
「前と変わりない。半日持ちこたえれば政府は絶対に介入して襲撃部隊を鎮圧してくれる、と言っておった」

「秘策とか隠し球がある、と言ってなかった?」
「何も……。ただワシに早く帰れ、とな。あとは砲声を聞きながらメキシコ人に静かに命令しておった。大した婆さんやわ。二百三高地の乃木将軍も顔負けじゃ」と、変なところに感心していました。
「桃子はどうすれば?」
「婆さんの言いつけを守るしかない」

「……」
 桃子はこの答えに失望と怒りあまり、源さんの顔に丸椅子まるいすを投げつけようとしましたが、すでに椅子はヒロコーに投げつけてしまって手元にありません。しかたなしに手近にある悪趣味な似非えせフリップ時計を台座から引きちぎり源さんに投げつけますが、彼はひょいと頭を傾けて簡単に避けてしまいました。避けられた桃子は一層腹立って、座っていた椅子を投げつけようとしました。

「落ち着け、お嬢」
 源さんは重い声で言うと、するっと前へ進み出て桃子の両腕を押さえ込んでいました。
 彼女は両腕を脱力し、次に腕を落とし、同時に左膝蹴りを見舞おうとしましたが、これも源さんが簡単にかわしてしまいました。押さえこんだ桃子の両腕をあっさりと手放し、数歩うしろへステップしていました。彼女が使おうとしたシステマの初動動作のさらに手前で簡単に躱されてしまったのです。エリカたちをも倒す自分のシステマ術が、よぼよぼの腰の曲がった老人にあっけなく手玉に取られて、茫然としました。なにしろ初めての敗北ですから。

「お嬢より十倍も生きてたら大抵の体術は承知しておるわ。文字どおりまだ百年早い」と、沈んだ声で囁きました。
 眼前の小柄な老人の曲がった腰がすくっと伸び、足先から小指の端まで殺気が宿ったように、彼女には映りました。

「……」
「お嬢、ワシの考えも聴け。聴いてから殴っても蹴っても手遅れにはならん」
「……」
 彼女は荒れた息を整えながら構えを解き、棒立ちの姿勢に戻りました。

「あの婆さんは、やっぱり何か大逆転の一手を隠しているにちがいない。その一手は最後の最後の時にしか使えんようなものじゃと、見込んでおる。それに肝心のたこの爺さんからまったく連絡がないのも明るいきざしじゃ、と思う。爺さんも何か手を打っているに違いない。だからお嬢はここで安心してここにもっておればよい」
 彼女は源さんの考えにまったく賛成できませんでしたが、何一つ妙案がうかばないのですから、黙って肩をすくめることしかできません。

「何がはいってるの?」と、源さんが運び入れた帆布製の長大なバッグを指さしました。
「お嬢のために持ってきた。着替えじゃ。ジャージ姿だけでは心細いと思ってな」源さんはこう言って、迷彩色の折りたたんだ戦闘服とコンバットブーツを取り出して積み上げましたが、バッグにまだはいっているようでした。

「ほかには?」
「九八式円匙えんし/(えんぴ)と四四式騎銃」(注1)
 柄の長い錆びついたショベルと古いボトルアクションライフルを引き出します。「これはワシ用じゃ」
 収蔵庫にあったとのことでした。サンチョが九二式歩兵砲を発掘したあの贈品のガラクタを放り込んでいる倉庫のことです。
「円匙は塹壕ざんごうが砲撃で崩れて生き埋めになったら掘り起こすための必需品じゃ。四四式騎銃はもしもの時の自衛用。扱いやすい名銃やで……。お嬢、渡せと言っても無駄じゃ。婆さんに禁じられておる。それにお嬢ではボトルアクションの銃は使えまい。初めて見るはずじゃ」
 確かに桃子には使い方がわらないので、両手を降参のしぐさのように挙げて諦めました。

 このように蛸薬師小路たこやくしこうじ邸を取り巻く交戦は推移していくのですが、このまま書き続けると敵味方の戦闘、作戦や政府の対応など大局的な全体像が分かりません。
 そこで、後日、マスコミ報道や警察の実況見分報告書など各種公文書、それに入手先不明ながらかなり詳細な報告書情報を基に整理した客観的な文書が残っていますので、これを以下引用します。ある意味、この文書は公的文書より詳細で客観的なものです。

 この文書とは、『稲生家日次記いなおけひつぎき』です。過日、「走れヒロコー、メロスになれ!」とたきつけられて、桃子の待ち伏せ攻撃場所から蛸薬師小路邸へ駆け戻る途中軽四トラックを借りた、あの民家で書き続けられていた記録日誌のことです。なお、〈 〉内書きは引用者注です。

             
 『稲生家日次記』
  乙卯年文月朔 きのとうねんふみづきみそかの事件分
      (同年師走晦日しわすみそかに追記)
  
〈同日次記の日付はいずれも旧暦表示。新暦換算 令和十七年八月四日
 

交 戦 の 経 緯
 文月朔ふみづきみそか大禍時おおまがどき、蛸薬師小路邸は大規模な武装勢力から奇襲をうけた。

 完全な奇襲となったのは、一帯の停電、有線電話不通、携帯電話通信基地局の機能不全、中・短波通信への電波妨害などから、蛸薬師小路側は襲撃を予想していたが、その時刻はもっと後、深夜から未明、明け方と予測を誤り、襲撃時には休息をとり監視要員も最小限にしていたからである。

 それでも屋上のメキシコ人監視要員の一人が、国道二十四号線から脇道へ数輌の大型トラックとバンの車列がはいってくるくるのを発見して奇異に感じたが、蛸薬師小路邸に向かい合う丘陵に隠れて直視できなくなった。このとき敷地外各所に隠蔽設置した監視カメラで確認していたら、敵の位置、配置、攻撃準備などを十分事前察知できたはずであるが前述のとおり戦闘要員の過半が休息をとっていたため、見すごされた。

 襲撃に気づいたのは、屋上の監視要員が迫撃砲弾特有の発射音と飛翔音を聞いた時である。
 彼は「モーター! 敵襲!」と叫んで、司令棟四階の指揮所につながる有線通話口に怒鳴った。
 指揮所から応答がある前に、迫撃砲初弾が掩蔽壕から引き出していた九二式歩兵砲に至近弾となった。初弾命中! 迫撃砲としては驚くべき命中精度だった。続く二発が直撃し、蛸薬師小路側が秘密兵器と頼みにしていた同砲は、初撃で損傷、使用不能となった。旧ソ連対空自走砲ツングースカも同様だった。丘陵の東側に不格好で目立ちやすい対空偽装をして配置していたが、迫撃砲二発で損壊した。

 つるべ打ちに発射される襲撃部隊の迫撃砲弾は、続いて司令棟屋上と敷地内要所に配置した機関銃座に着弾した。襲撃側のこれらの戦果は、偵察小型ドローンで前もって、蛸薬師小路側の武装配置と要所を正確に把握し、標定していたからである。

 蛸薬師小路側が重火器を初撃で失ったにも拘わらず、不幸中の幸いと言うべきかどうかは分からぬが、戦闘要員が休息中であったためにこれら重火器に配置されておらず人的被害が無かったことだった。屋上の監視員も「敵襲!」と叫んだ直後に屋上階段室へ飛び込んだため戦死を免れた。このことは襲撃側に比べて兵力で圧倒的に劣る蛸薬師小路側には怪我の功名的結果となった。
 もしも、総員が戦闘配置についたままの態勢で奇襲をうけていたならば、戦闘要員の半数程度は戦闘不能になった可能性がある。

  (稲生家日次記《いなおけひつぎき》からの引用が続きます)

(注1)円匙/九八式円匙

参考1)冒頭画像は、シャイアン・マウンテン空軍基地(Cheyenne Mountain Space Force Station)の核シェルター
 (出典:CENT Inside Cheyenne Mountain, America's Fortressから)

  
参考2)格闘技システマの実際



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