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歌詞とビジュアル。作詞家松本隆さんに学んだこと。

 子供のころから、お絵描きは好きじゃなかった。絵が嫌いになった決定的な事件を、いまだに覚えている。小学校1~2年生のとき、絵具で「あけび」を書くという授業があった。私は、水で最大限に薄めた紫色をぬることで、あけびの質感をだそうとした。でもできなかった。絵具の薄め方が足りなかったのだ。一方、絵を習っていた私の友達は、うまく薄めた紫色をぬって、とても上手にあけびを書いた。そして先生に大絶賛されていた。この時に、「私は絵を描くことに向いていない」とはっきり悟った。子供ってけっこう繊細よね。

 まあ、そんなわけで。絵を描くことに苦手意識をもったまま育ったわけだけど、絵と映像は別物。映像というか、想像と言った方がいいのか。あえてここはビジュアルと呼ばせてもらう。ビジュアルと出会ったのは中学2年の時。これもはっきり覚えている。国語の授業中で、私は教科書を開いていたけれど授業を聞いていなかった。こっそり国語の資料集という教材を開いて、ぼんやり眺めていた。そこで出会ったのが、あの和歌。

「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」

西行法師の有名な歌に出会い、この文字を読んだとたん、私は教室にはいなかった。正確に言えば、もちろん教室にはいたのだけれど、急に3D映像が目の前に広がった。紺色の空、うすピンクの桜、その向こうに黄金色の満月。その3色の色合いがとてもきれいで、ずっと見ていたいけど、立ってみていると疲れる。そうだ、服が汚れるかもしれないけど寝っ転がってしまえ。寝っ転がったら桜の木のごつごつした根っこと、やわらかい草を背中に感じる。でも、ずっと空と桜と月を見ていられる。ああ、この景色が、人生最後に見る景色ならどんなに幸せだろう…

 中学2年生で国語の授業を受けている私は、白昼夢を見た。一瞬で心持っていかれたし、一瞬は”その景色”の中で呼吸をした。それがどういう意味なのか、その時はわからなかった。でも同じような経験を、大人になってから体験したときに気づいた。

「柿食えば 鐘が鳴るなり法隆寺」

正岡子規の有名な俳句。学生の時は何も思わなかったけれど、大人になってこの俳句に再会したとき、またもや一瞬で3D映像が浮かんだ。秋が深まって、日が傾いて、おいしい柿を食べていたとき、遠くで法隆寺の鐘の音が聞こえた。たったこれだけ。日常のひとこまを切り取ったそのビジュアルが、ありありと浮かんだ。その時に確信した。文字で、絵や映像を描くことができると。

 これらは作詞家になる前の経験で、そのあと私は作詞をすることに一生懸命すぎて、知っていたのに忘れていたんだなあ。言葉で、絵や映像を描くことを。7月の中頃、ふとこれを思い出した。きちんとビジュアルを描いていないから、歌詞がぼやける。だから書き出す前に、もっとビジュアルを固めようと。曖昧に書き出すなかれ。そう自分を戒めた。

 そして今週の関ジャム。松本隆さんの特集回。一番最初の松本隆さんの回答が、一番衝撃だった。それは「赤いスイトピー」の歌詞に関すること。「春色の汽車に乗って~」の“春色”とは、どんなイメージなのか、どういう意図で使っているのか、という質問だったと思う。その質問に松本隆さんは「オレンジと緑の江ノ電で、湘南の海が見えてくる景色を思い浮かべて歌詞を書いた。」とおっしゃっていた。驚きだ。私は横浜出身で、鎌倉も近いので、江ノ電の景色はよく覚えている。

 通常、春色といえば、たいていの人がピンクとか、黄色とか、パステルカラーを思い浮かべるだろう。暖かくなっていくイメージ、ほんのり幸せが見える、そんな雰囲気だ。それが正解。だから「春色の汽車」と言われて、ほとんどの人は江ノ電を思い浮かべないだろう。でも私が驚いたのはそこじゃない。「春色の汽車」という言葉を出してくるために、それだけのビジュアルが自分の中に用意されていたということに驚いている。すごく明確な映像を松本隆さんは描いている。そのビジュアルがあるからこそ、つじつまが合う歌詞が書ける。そのビジュアルに、松本さんはさらに想像をプラスしている。「赤いスイトピー」は本来はないもの。この歌が流行ってから、品種改良してつくられたのだから。赤いスイトピーも、この歌詞に出てくる男女二人も想像だけれど、しっかりとした世界観が、リアリティーさえ生み出している。言葉でビジュアルを描くって、こういうことだ。

 レジェンドおそるべし。でも、恐れ慄いているだけでは自分が前に進めない。まだ、私は前に進みたい。


#作詞 #作詞家 #松本隆 #赤いスイトピー #作詞術


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