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つまり作詞センスってどんなもの?

才能 VS センス

 音楽業界のすみっこで作詞を続けてきたけれど、なんとなく音楽業界は才能論が多く話題にされる場所だと思う。もちろん、音楽センスという言葉は十分浸透しているので、音楽だってセンスが必要。でもセンスより、才能の方が、音楽の神様に愛されてます感でるよね。

 そんな音楽業界のすみっこにいた私は、それまで全く興味がなかった「お笑い」というものにここ2年ほど触れている。お笑い芸人さんが多く出演する番組を観たり、YouTubeを見たり、ラジオ番組を聞いたり。それで気づいたのだけれど、もちろんお笑いにも天才と呼ばれる人はいるらしいが、圧倒的にセンスという言葉を多く使っていると思う。あのツッコミのワードセンスがどうとか、センス系のネタだとか、コントのセンスがどうだとか。ふむふむ、所変われば品変わる。同じエンターテイメントというくくりではあるけれど、こちらの業界は才能よりセンスかなのか・・・そう思った。そして2年くらいお笑いを見聞きして、なんとなく彼らの言う「センス」なるものが、本当にぼんやりとだけれど、わかってきた気がする。

 さて、音楽業界にもどろう。自分のフィールドに帰ろう。今まで、作詞のたくさんの才能をみてきた。ああ、かなわないなあと思った回数は数知れず。でも才能がある人が成功するとは限らないわけで・・・ ある人が言った。才能はなくても、センスは身につけることができるって。じゃあ、音楽センスって何?作詞センスってなんですか?

センスを一言で?

 作詞センスとは?という問題に一言で答えられたら…多分私は大物作詞家になっていることだろう。残念ながら、私も志半ばで、一言で説明することはできない。でもとても簡単に言うと、Sense(センス)と言う英語は日本語で感覚だ。たいていの人間は五感というものを持っているわけだけど、あの、人によって違うと声高に叫ばれているあれだ。そう、感覚とはひとそれぞれ。同じ映画を見て、面白いと思う人もいれば、つまらないと言う人もいる。同じものを食べて、おいしいという人もいれば、あまりおいしくないという人もいる。いい匂いの基準だってひとそれぞれ。こんなふうに曖昧であやふやなものを、感覚というのだ。人間の数ほど存在する感覚をどう捉えればいいというのだ。そんなの、果てしない大海を漂う小舟のように、寄る辺のない、頼りないものだ。

コンペ作家の答え合わせ

 人それぞれ違う感覚を、どう使っていいのかもわからない。そんなセンス問題の糸口は、実は多くの作家が参加しているコンペ(楽曲コンペ)にあるように思う。3か月前に参加したコンペの楽曲が、ついにリリースになる。それはそのコンペに参加した多くの作家の答え合わせの機会だ。「そうか、こういう方向性だったか」とか「この手があったか」とか、作家のレベルによって答え合わせの度合いも違う。まだ作詞を始めたての頃は、「こっちの方向なのか」と反省することが多かったけれど、最近では「うまい落としどころだな」と感心することが多い。この「落としどころ」というのがミソなんだと思う。そもそも楽曲制作の際に、タイアップなどがつくと、アーティスト側の思惑と、タイアップ先の意向と、その両方の条件をうまく満たし、なおかつリスナーを惹きつけるものが「落としどころ」になる。ひとそれぞれ違う感覚なのに、みんながある程度納得し、いいなと思うもの。それを見つけられる感覚を、人はセンスと呼ぶのかもしれない。

センスは最大公約数を見つけること

 まだ一言では表せないけれど、あえてチャレンジしてみれば、センスは最大公約数をみつける力。いくつかの数字が目の前に並んでいる。『次の最大公約数を求めよ』なあんて問題を学生時代に解いた気がするが、あんなようなもんだ。みんなが納得しそうな「落としどころ」を見つける感覚を、多くの人がセンスと言う・・・そんなふうに今は思っている。とにかく、この感覚を磨いてゆかねば。研ぎ澄まさなければ。曲先行で作詞をすると、ついついメロディーにマッチするだけの言葉を選んでしまうけれど、それだけでは「センス」にほど遠い。その言葉を聞いただけで、多くの人が納得する・・・そんなタイトル、そして歌詞のワードを見つけ出してゆかねばならぬ。自戒をこめて。



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