リリカル

文章を書くのが好き。久々にその気持ちを思い出して書いています。1年後2年後今書いている…

リリカル

文章を書くのが好き。久々にその気持ちを思い出して書いています。1年後2年後今書いている文章がどう変化していくのか実験中。現在一児を育てながら会社員をしています。

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    私のこと。個人的なこと。

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    私が普通に生活している中で気づいたことや出来事まとめてます

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    新卒で入社した職場に10数年いて気づいたあれこれまとめてみました

最近の記事

noteを始めて良かった話

目まぐるしく変化する毎日で、すっかり自分の気持ちを言語化することに逃げていた、今日この頃。 時間が少し出来たので、2023年を振り返ってみようと思う。 今年は自分の気持ちに素直になる、を念頭に置いて動いた一年だったように感じる。 noteを始めたのもそのひとつ。 誰も読んでいない、誰も求めてない、だから何も発信しない。 そう思ってSNSからは距離を取っていたのだけど、自分が書きたいんだから書けばいいじゃない。 結局始めてみて、読まれない、求められていないことが恥ずかしい

    • 他責思考の塊のような言葉が落ちてきた

      職場で仕事をしている時、後ろから 「全部、会社が悪いんだよ」 そんな声が聞こえてきて、ギョッとした。 隣の課でパソコンの調子が悪い人がいたらしく、それを見ていた別な人が揶揄して、そう軽口をたたいたようだ。 その後も、これも会社のせい、あれも会社のせいと盛り上がっていた。 全部、会社が悪いんだよ 他責思考の塊のような言葉だ。 ズドンと私の心に落ちてきた。 時短で働くようになる前まで、私もそう思っていたことを思い出した。 課の中で思ったような働きをしてくれない人がいたら

      • 慣れると楽しくなることもある

        息子が生まれて、やる様になったことの一つが料理だ。 学生の頃から一人暮らしをしていたので、簡単な料理は作れる。 気に入ったらそのメニューが何日続いてもいい、そんな性格だったので1週間キムチ鍋とか、1週間豚とキャベツのパスタとかそんなことばっかりやっていた。手の込んだメニューは面倒で、作り慣れているものばかりを作っては食べていた。 そして家の近くにはいつもコンビニがあった。お察しである。 とはいえ、息子が生まれ離乳食を作らなければいけないし、息子の健康を維持するためには私の

        • 私の私による私のための本棚

          本の背表紙が焼けてしまうことが嫌で、本棚にカーテンを掛けている。では並べなきゃいいじゃん、となるけど、仕舞い込んでしまうと何の本があったか忘れてしまって、永遠に読む機会が失われることになる。とはいえ、カーテンを掛けてしまって、目隠しされた状態なので、意識しないと本があることを忘れてしまうという、でも背表紙は焼きたくない、そんなジレンマを抱えながらの本棚なのだ。 たまにカーテンをペラりと捲ってみる。するとどうだろう、まああれも読みたいこれも読みたい、とんでも無く魅力的な本棚が

        noteを始めて良かった話

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          11月1週目の目標は体力回復

          10月は前半後半息子が体調を崩して、休みに休みまくったので、なんだかあっという間に過ぎ去ってしまった。 瞬きをしている間に、時が過ぎたのかもしれない。本当それくらい一瞬だった。 ようやく息子の体調も復活して、保育園に行っているのだけど、迎えに行く時の空が暗くなるスピードにまた驚く。そんなに急いで暗くならないで、と病み明けで少し不安になりがちな息子を少し早めに迎えに行く。 体調を崩した子というのは、母を呼ぶ回数がいつもの2倍になる気がする。目に入るところに居ないとすぐに呼ぶ

          11月1週目の目標は体力回復

          学習性無力感と小さい箱

          自分の人生なのに、自分で決められることが少なくて、ままならないなと毎日思う。 それが10月の感想。 自分で決められることが少ないと思うのは、視野が狭くなってないか、逆の立場で考えたらどうか、色々考えてみるけど、追い詰められた気持ちになっている私は四方が壁に見えて、ここからは出られないと諦めてしまう。 頑張っても逃れられないと学習してしまった状態を、学習性無力感というそうだ。 有名な実験で、二つのグループに分けられた犬に対して電気ショックを与えるというものがある。 一

          学習性無力感と小さい箱

          「継続」と「連続」は別物ということ これでもいいのだを読んで

          私は隠れ完璧主義者である。 だから日記を書き始めても、書く時間が取れなく空白のページが出来るともう嫌になってしまう。その日記帳に空白があるということは、完璧な日記ではない様な気がしてしまうのだ。継続することに意義があるのは分かるし、一日二日書かなくたって、飛ばして書いてしまえばいい。そしてそこからまた再スタートを切ればいいのに、やる気が出なくなって二月半ば頃でやめてしまった日記帳が家にはたんまりある。(完璧主義者なので、一月一日から書き始めたがる、もしくは四月一日) そん

          「継続」と「連続」は別物ということ これでもいいのだを読んで

          本屋さんへの憧れと畏敬

          私は本がある空間が好きだ。 本屋さんも図書館も本が売りのカフェも服屋さんの片隅に置かれた本も、自分の本棚も。 見せる前提の公共の場で少しでも本が置いてあれば、どれどれと見てしまう。 逆にプライベートな場で本があったら目を背けてしまう。それは個人的なものでジロジロ見たら失礼なんじゃないかと思ってしまうから。でも興味はすごくあるから、見てはいいかと聞いてから、見る事も多い。 私は私の蔵書をあまり見られたくないと思っている。あまりにも個人の趣味嗜好が出過ぎているからだ。 幸い

          本屋さんへの憧れと畏敬

          真夜中のラブレターを出したい

          プライベートの友達でも、noteのいつも私の心に刺さる文章を書いている方も、連絡したいと、コメントを書きたいと思うのはいつも夜。 真夜中のラブレターは盛り上がり過ぎる。 筆はどんどん進み、想いは溢れる。書きたいこと、伝えたいことがあり過ぎて文章は膨れ上がる。 送る直前になって、ふと我に返る。これって送っていい文章なのかな。 明日の朝また考えよう。 そのまま送信ボタンを押してしまえばいいのに。 朝、昨日自分が書いた文章を読み返して、恥ずかしくなって保留する。 こうやっ

          真夜中のラブレターを出したい

          「主体的に生きる」と「人との関わり」

          前回、自分が何か行動を起こそうとする時に、心の声が聞こえるようになったと書いた。 人と関わる時、特になんでこの人はこういう言い方をするのだろう、こういう行動をするのだろう、とモヤモヤする時。はっきり言えば不快な時に心の声が聞こえるようになった。 不思議だね。褒めてもらえたり、肯定してもらえた時は聞こえない。自分と同じ考えだと認識しているから、心の声もおとなしくしているのか。 例えば、会社で何度も何度も同じことを確認してくる上司がいる。大丈夫だよね?!と強めに言われても、

          「主体的に生きる」と「人との関わり」

          「主体的に生きる」と「内省」

          主体的に生きると決めてから、心の声が聞こえる様になった。 例えば自分には派手すぎて似合わないと思っている赤い服。でも着てみたくて自分の体に当ててみる。 「そんな派手な色着たら恥ずかしいよ」 赤が似合わないなんて、誰にも言われたことないのに、どうしてそう思うんだろう。 例えば職場の半分仕事のような飲み会ではなく、私自身が楽しむための飲み会に参加するとき。 「子供のことを置いて、夜で歩くのは母親としてどうなのかな」 以前はこの心の声に、耳を傾けすぎて、行きたいという思

          「主体的に生きる」と「内省」

          主体的に生きること

          就職してからかれこれ10数年、学生の頃に持っていた自分の意思で道を切り拓いて行くという感覚ととんと無縁になっていた。 入社した会社の体質が、元々持っていた私の楽な方に身を委ねる性質とマッチしてしまったのか、誰かが決めてくれるでしょうと、決定権を明け渡してしまっていた。それは突き詰めると誰かが責任を取ってくれるだろうと思っていたということ。 会社では、コンプライアンスの名の下にどんどんルールが出来ていった。少しの確認も必ず上司を通し、幾人の判子がいる。そこでルールを逸脱すると

          主体的に生きること

          私は私で、最高だ くもをさがすを読んで

          30歳を数年過ぎて、恥ずかしいと思うことが減ってきた。 もっと若い頃、二十代の頃までは近くのスーパーに行くのにもメイクをして、きちんと着替えて買い物に行った。誰に見られる訳でもないのに、ボサボサ髪で外に出るなんて考えられなかった。だから実家にいる時なんて、両親からあんたは出掛けるのに時間がかかりすぎると小言を毎回言われていた。 それが今や近所への外出なら、髪をとかして、その時着ていた部屋着にシミがないか確認したら、そのまま出掛けてしまう。夜に用事ができて、お風呂に入った後

          私は私で、最高だ くもをさがすを読んで

          すんなり終わらないエピソードトーク

          母親になってから、息子を交えた場で話が1回ですんなり終わったことがない。 例えば実家に帰省しで父母私息子で食卓を囲んでいるとしよう。 私 そう言えば仕事でね、研修があってさ、前話した先輩がー、 息子 ねえねぇ、今保育園でダンス踊ってるんだよね! 私 そうだねえ、踊ってるって先生も言ってたもんね (返答しながら、そう言えばこのダンスの可愛いエピソード教えてあげようと思ってたんだ!と父母に話を向ける) ダンスでね、運動会の為にみんな踊ってるんだけど、先生が最後のポーズ、

          すんなり終わらないエピソードトーク

          壁に反射した点滅する緑の光を眺めながら

          4歳と安静ほど組み合わせが悪いものはない。 あっち行ったり、こっち行ったり長い道のりを倍かけて歩くんだ。 長くても短くても同じ時間。

          壁に反射した点滅する緑の光を眺めながら

          地元の本屋さんが無くなっていた

          よくあるドラッグストアになっていた。 数百メートル離れたところにあるのに、また作るのかとなんとも言えない気持ちになる。 その本屋さんは中学生で引っ越してきた時には既にあって、私の読書ライフを大いに支えてくれていた。当時はまだ漫画の立ち読みも当たり前にできて、ちょっと行ってくるーと言って本屋に入り浸ることも可能だった。一度本屋に行くといつ帰ってくるかわからないと、母にはよく言われたものだった。 私の愛読書、ハリーポッターも毎年出る度にその本屋さんに買いに行った。ワクワクと自

          地元の本屋さんが無くなっていた