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透明の穢れ

其の一 紗雪 

 透明感があるとよく云われます。
 きっとそれは私の肌が透ける様に白く全体的に色素が薄く髪の色も薄く瞳がヘーゼル色だからかも知れません。ハーフなの?なんて訊かれることもあるのですが母も父も北の生まれなので或いは寒い国からの血も流れているのかも知れません。透明感という言葉とともに美しいという言葉を受け取ることも私にとっては日常茶飯事です。私はただ微笑みを返すことしか出来ませんが内心はうんざりしているのです。そんな言葉聞き飽きているのですもの。何かもっと私を悦ばす言葉を知る者はいないのでしょうか。私に見惚れる者達の惚けた阿呆面も見飽きました。嗚呼退屈。

 そうして私は新しい街に移り住みました。今まで住んだどの街よりも穢れた都会。心の穢れた私にはお誂え向きだと思いました。それに美しい女達が沢山いるから私はその中に埋もれ隠れる事が出来るだろうと思ったのでした。
 私が働いたのはクラブです。美女だらけの職場ならば私も目立たないと思ったのです。ひらひらした衣装も素敵なのですがいつも着物を着ました。闇い色の着物を。私は闇い色が好きなのです。鮮やかな色取り取りの服なぞその様な心持ちで生きている方々がお召しになれば良いのです。
 源氏名は本名から音を取り紗雪さゆきとなりました。
 水のお商売は初めてでしたが女達をよく観察出来てとても楽しく勉強になります。私を見るなり爪先から頭まで全身を値踏みする様な者もありましたしいきなり目の敵にする者もありました。ええ。採用して下さったママでさえも嫉妬心を抑えるのが大変だったご様子でした。ふふふ。なんてお可愛らしい。
 お客様達も新人の私に夢中になりました。私は口数の多い方ではありませんが相槌を打つのは得意の様です。退屈な話にも頷き感心してみせるとお客様は気分を良くされて高いボトルを入れて下さいます。ふふふ。なんてお可愛らしい。
「紗雪は魔性の女だな。嗚呼怖い怖い」
お客様はそんなことを仰いますが私は何もおねだりしたことなぞございません。私は只見詰めて微笑んでいるだけですのにお客様自らボトルを入れて下さったり同伴しようと云ってプレゼントにお着物を買って下さったりするのです。
「嬉しいです。有難う御座います」
そう云ってお客様の手を両の掌で握ってお礼を申し上げるだけ。
ホテルに行こうと云われましても「不可いけませんわ。貴方様のことをもっとよく知ってからでないと紗雪は怖いのです」なぞと云い簡単にからだを赦したりなど致しません。

 透明感?美しい透明なものはきっと自然界にしか無いのでは。私の心はとても穢れています。



其のニ 不二子

 いいえ。
 私は決して女知音レズビアンなどではございません。とんでもないことです。それなのにあの方に夢中になって仕舞ったのです。あの美しい紗雪さんに。紗雪さんのヘーゼルの瞳は魔力を持っています。彼女に見詰められると抱きつきたい様なひれ伏したい様な可笑しな気持ちになるのです。
 あの夜私は信頼していたお客様に裏切られ更衣室で泣いておりました。所謂「太い客」であった前澤様の会社が倒産してしまい逃げてお仕舞いになったのです。私の売り掛けは一千万近くになっておりました。私に会う為に沢山のお金を使ってくださった前澤様に私は身も心も差し出しておりました。前澤様の為に工作員スパイの真似事さえしました。前澤様が私に多額のお金を使って下さるのは愛であり私はその愛に答えているつもりでいたのです。
 それなのにもうお仕舞いです。私は恋を失ったばかりでなく借金を背負って仕舞いました。彼の物だと云うマンションに住んでおりましたがそれは彼の物ではありませんでした。私は全てを失ったのです。
 前澤様が私に誓った愛は偽物でした。ええきっと私の愛も偽物だったのでしょう。
 紗雪さんは泣いている私を抱きしめ背中を優しく撫でて仰ったのです。
「お可哀想な不二子さん。でも大丈夫よ。私の所にいらっしゃい。売掛も何とかなるわ」
 私は彼女の慈悲に縋りました。彼女の住む高級マンションに居候させて貰うことになりました。
 彼女は数ヶ月前にお店に入ったばかりにも関わらず既にナンバーワンでした。ママやチーママでさえも彼女に嫉妬してしまいますし自分の座を奪われるのではないかと焦っています。御多分に洩れず私もそんな一人でしたが慈悲深い彼女に助けられ一緒に暮らす様になってから彼女の何とも云えない魔性の魅力にやられて仕舞ったのです。
 なんて不思議なお方なのでしょう。

 不思議。と云えば。
 紗雪さんの家に住まわせて戴く様になってから何故か私は記憶と夢等が混ざり合っている様な……。夢は潜在意識や願望や怖れなどを表すと云いますが、先日とうとう紗雪さんと交わる夢を見て仕舞いました……。私は夢の中で紗雪さんに抱かれ愛されたのです。
ー不二子さん可愛いお方ね。
そう仰って私の唇を奪うとゆっくり丁寧に私のからだを優しく触ってくれました。天使の羽で擽られているのかと思いました。紗雪さんの触り方があんまりにもいやらしく気持ち良くて私ははしたない声を漏らしていたかも知れません。私の部屋と紗雪さんの部屋は離れていますから聴こえてはいないと思うのですが……。
ー嗚呼紗雪さんもっともっと私を可愛がって下さい。
私はうんと淫らにおねだりをしました。
ーあら不可いけませんわ不二子さん。私達は女同士じゃありませんか。
そう仰って私の一番感じる場所を執拗に責めて下さいました。夢の中で私は昇天して仕舞いました。なんてリアルな夢。目覚めたらシーツがびしょびしょでした。私はその日から毎日夢の中でいいから紗雪さんに可愛がられたいと望む様になりました。
 どうかしています。でももう駄目なのです。紗雪さんに愛されたい。紗雪さんに愛される為なら私は何でも致します。そう叫んで紗雪さんに抱きつきたい衝動を抑えるのに苦労しております。 


其の三 浜野

 紗雪に出会う迄は女に狂うなんて自分の人生には起こるべきではないと思っていました。しかしこの女を自分の手に入れたいと思ってから私は生きている実感を味わっているのです。
 初めて紗雪を見た時の衝撃を私は忘れられません。天使なぞ見たことはありませんがその様な透明感が彼女の存在をこの世のものとは思えぬ美しさを輝かせていたのです。こんな女がこの世に存在するなんて。その透明さは勿論アルビノの様に色素が薄いのが一因ではあるのですが人では無い様な儚さです。血の通った人間であることは直ぐに分かりましたがそれにしても……。モナリザの微笑み。アルカイック・スマイルが紗雪の魅力です。言葉少ないのですが隣りに座りじっと見詰められ微笑みをかけられただけで魔法にかかって仕舞います。いつも品の良い闇い色の着物。銀座の女達が好んでつける分かり易い香水ではなく練り香水やひょっとしたらお香なのかも知れません……そんな特別で神聖な香りを紗雪は身に纏っているのです。
 私は親から受け継いだ幾つかの会社を経営しており取引先の接待で訪れた高級クラブで紗雪と出会いました。
 私は家庭を持っていますし金持ちの息子としては珍しく元来真面目な質でその様な接待も大して嬉しくなくどちらかと云えば苦手なのでした。恋愛には疎くまた興味も持てず親に云われる儘お見合いで結婚しました。私には勿体無い美しく優しい妻。可愛い二人の子供達。自分が恵まれていることは重々承知です。こんなにも恵まれているのだからそれ以上のものを求めることは憚られます。日々を淡々とこなし感謝を忘れずに自分に与えられたもので満足すべきです。激しい大恋愛など私の人生には無縁。ですからまさか自分が女に狂う日が来るなど夢にも思いませんでした。
 紗雪と出逢った翌日から私は毎日彼女に会う為に店に通いました。どうしても外せない用事がある時以外は必ず。可能であれば同伴してアフターして。紗雪に会いたい。只々紗雪と一緒にいたい。これが恋でなくてなんだと云うのでしょうか。もしも彼女が私を愛してくれるのならば全てを捨ててもいい。それ程に思い詰める様になって仕舞いました。頼まれてもいないのに私は紗雪にマンションを与え車を与えました。頼まれてもいないのに金を与え心を与え愛を与えていました。
 紗雪は幾ら与えても只々「有難う御座います。浜野様。紗雪は幸せ者です」と微笑むばかり。初めて恋した少年の様にドキマギする私。紗雪を想うと勿論身体が反応します。悩ましく悶々として仕舞います。しかし私は自分を慰めることさえ紗雪を穢すことだと思っているのです。
 一度だけの接吻キス
 同伴で寿司屋に行き酒に弱い私が格好つけて冷酒をグイッと呑んでしまったものだから少しフラフラした時にビルとビルの間に引っ張り込まれ突然接吻されたのです。私が驚いて硬直していると「好き」と耳許で囁いて何事も無かったかの様に歩き出しました。私は既に奴隷である自分を確認させられたと云う訳です。それで構わない。私は紗雪に狂い続けたいのです。熱病の様に紗雪に恋焦がれていたいのです。からだを許してくれなくてもだから良いのです。
 そう思っていたのに。意外にも早く紗雪と愛し合う時がやって来ました。
「浜野様。お願いがあるのです」
接吻の翌日のことでした。また同伴でこの日はイタリアンレストランで食事をしておりました。
「お願い?紗雪のお願いは初めてだね。出来ることは何でもしますよ」
「本当ですか?では」
声をひそめて紗雪は云いました。
「紗雪を抱いて下さい。ニ千万円で」
私は口からステーキの肉片を吹き出しそうになり懸命に堪えてむせて仕舞いました。紗雪は席を立ち私の背中をさすってくれました。私が何とか水を飲んで落ち着くと紗雪は私の耳許に唇を寄せて云いました。
「浜野様。紗雪のことを嫌いになりましたか?」
「まさか」
即答しました。
「私は紗雪の奴隷なのですよ。貴女はよくご存知ではありませんか」
「まあ嬉しい。何てお可愛らしいことを」

 紗雪のマンションは私の持ち物なのですが私は一度も訪れたことはありませんでした。紳士を気取っていたかったのです。そして紗雪から誘って貰わなければ行くべきでは無いと思っておりました。自分でも純情過ぎると思います。紗雪は簡単に落とせる女であって欲しく無いですし少しでも私の初恋を長引かせたかったのだと思います。勿論意気地なしですし正直なところ紗雪から誘って欲しいと願っておりました。
 ですから従順な犬の様に彼女に云われる儘アフターは無しで紗雪のマンション近くのホテルで待機しておりました。部屋を綺麗に整えてお迎えしたいからとその様にしました。ホテルの部屋でも全然構わないのですがきっと紗雪はおもてなしをしてくれるつもりなのでしょう。
 彼女からの電話を待ちました。そわそわと落ち着かなく発狂しそうなときめきに身を捩らせて仕舞いました。電話が来て私は紗雪のマンションへタクシーで向かいました。初めての紗雪のおねだり。ネオンの光が煌々きらきらと銀のアタッシュケースを夜の虹色に輝かせました。
 闇い部屋にキャンドルを灯して彼女は私を待っていました。黒いナイトドレスを着て髪を下ろした紗雪を柔らかく照らす焔。
「お座りになって」
云われるが儘にソファに座ると紗雪は云いました。
「浜野様。紗雪の魔法にかかって下さいませ。夢の様な時間を過ごしましょう」 
そうして私は夢の様な現実の天国で本物の紗雪と交わったのでした。


其の四  岩井

 そりゃあ俺だってあんな絶世の美女に言い寄られたらトチ狂ってしまうと思いますよ。でもまさか。まさかまさかまさか!あんな衝撃的なこと……。
 俺は黒服のプロフェッショナルだと云う自負が有ります。もうこの道一筋で二十数年。役者を目指して上京しましたがいきなり芝居で飯が喰える筈も無く。きっかけは同じ劇団の先輩女優のバイト先であるクラブ「désirデジール」でボーイのバイトに誘われたのです。俺は根っからの面喰いで美女だらけのこの職場では可愛がられることも多かったし日常が芝居であるホステス達の仕事ぶりやおぼこい田舎娘が一端の女狐やら女豹やらに成長していく様など水商売の面白さにハマっちまったと云う訳です。へぼい大根役者だった俺が一端の演出家の様に女優を育てている気分を味わい自分自身も黒服として育てて頂き成長してゆきました。お客様の前では高級クラブの黒服を演じているのだから言葉遣いもまるで変わります。
 変身願望と云うものはきっと男女問わず誰にでもあるのではないかと俺は思ってるんですよ。休日は変装して出掛けるのです。休日の俺はチンピラっぽかったりオタクっぽかったり優男風だったり。休日に店関係の誰かに会うのは非常に面倒くさいと云うのが理由でしたが満たされない表現のリビドーを満たす為とも云えますね。きっと劇団にいた頃よりも演技が上達しているのではないかと思います。しかしこれが行き過ぎたら危険だなと思ってます。下手すりゃ詐欺師になってしまう可能性があります。
 理性と衝動。拮抗するそれらを抱えた俺は時々叫び出したくなるのです。偽りの自分。幾つもの仮面。それを自ら喜んで着けている俺。どれが本物なのでしょうか。どれが紛い物なのでしょうか。
 俺は芝居をしたくて主に劇団員で構成されるレンタル○○の派遣会社に登録しています。時々で良いから演技をしたいのです。一番楽なのは結婚式のエキストラです。新郎新婦のどちらかの親戚だったり上司だったりを演じるのです。美味いものも喰えますしめでたいですしほとんどの参列者がエキストラなので気も楽で楽しいです。
 それであの日も結婚式のエキストラのバイトでした。いやぁ驚いたの何のって。式当日の打ち合わせに来た花嫁はうちの店のナンバーワンの紗雪だったのです。紗雪は顔色ひとつ変えずに俺にも挨拶をしてくれました。友人や親戚が少ないので恥ずかしいとエキストラを頼んだとか。かなりご老齢の紳士と結婚をしようとしていました。
 俺は紗雪の本名なんて知りませんし雇われた側でしたので歳の離れた従兄弟役でスピーチも無く気楽でした。ウェディングドレス姿の紗雪は正に姫君。否姫と云うよりも女王。彼女の美しさに皆溜息をついていました。式の途中キャンドルサービスの時に耳許で囁かれました。
「岩井さん。今日は有難う御座います。でもどうか私の結婚のことは内緒にして下さいね。紗雪はまだまだお店で働きたいのです。御礼はまた後日させて下さいね」
勿論紗雪は俺の事に気づいていたのです。女って恐ろしいなと改めて思いました。
 紗雪は新郎とハネムーンに行くでも無く翌日の月曜日にはいつもの様に浜野様と同伴出勤をして来ました。彼女はいつも着物なのですがどんどん高級な物を纏う様になりました。何故かいつも闇い色ばかり。結婚式のお色直しで着た様な燃える様な緋色もお似合いなのに。ナンバーワンの紗雪はいつも忙しく必ず浜野様と同伴して来ます。浜野様がお忙しければ待ってましたとばかり違うお客様と同伴。そんなこんなで彼女と話す機会も無くしかしわざわざ話しかけるのも気がひけました。なのでそのまま只秘密を胸に仕舞っておきました。
 それから数日。相変わらず紗雪からは何も云って来ません。気にならないと云えば嘘になりますが……もう忘れて仕舞うべきなのだと思いました。美女というものは謎めいているからこそその美しさに磨きをかけるものです。
 しかし。そんなある日俺は見ちまったんですよ。
 閉店後に家の鍵を忘れた事に気づき店に戻ったらさっきは消えていた灯りが点いてたんです。入り口と看板の明かりは消えた儘店内へと至る通路の灯りが点いています。鍵は締まっていました。可笑しいなと思いました。俺はママから預かっている鍵で扉を開けました。息を殺して忍び足になってしまったのは何故でしょう。声が聞こえました。喋っている声では無く女性の喘いでいる声です……!俺は動揺しましたが鍵を取らなくてはならないし好奇心を止められず……そおっと歩いて行きました。
 女性の喘ぎ声にドキドキしていましたが見ない訳には行きません。もしも店の誰かが閉店後にそんな破廉恥をしていたら注意しなければなりません。俺は柱の影からそっと薄闇い店内を覗きました。
 店の中央に鎮座する黒く光るグランドピアノにしがみつくママの香夜子かやこさんに背後から着物をはだけて腰を振る紗雪。
頭が混乱しちまいましたよ。
 何故香夜子さんが?
 何故紗雪が?
 実は女知音レズビアンなのでしょうか。紗雪はペニスバンドでも着けているのでしょうか……。
 頭の中が真っ白になって仕舞いました。香夜子さんは溢れ出る声を我慢していたのですが紗雪が更に激しく腰を振ると獣の様な凄い声で叫びながら絶頂を迎えました。
「香夜子さん気持ち良かったでしょう。あら。失神しちゃったのね」
捲り上げた香夜子さんのドレスを優しく直し香夜子さんを抱き上げると直ぐそばのソファに寝かせました。紗雪が随分と力持ちなので驚きました。スレンダーな香夜子さんですが紗雪はか細い腕で軽々と運んだのです。そして紗雪は私の方を振り返り云ったのです。
「岩井さんたら。また私の秘密を見て仕舞いましたね」
心臓が縮み上がりました。紗雪は着物を整えるとこちらに歩いて来ました。乱れた髪。先刻までの行為の激しさをうかがえます。しかしペニスバンドなど身につけている様子では無かったです……。一体どう云うことなのでしょうか。俺は動揺していたにも関わらず不思議に思っていました。
「岩井さんは紗雪のことをどうお思いですか?」
着物の袂から何かを取り出して俺の手に握らせました。これは……俺の家の鍵。忘れた筈の。
「岩井さんが見ていて下さったから紗雪はとっても興奮して仕舞いました。香夜子さんは失神しちゃいました。ふふふ。岩井さんも興奮して仕舞いましたか?」
紗雪は俺の目の前に立ち俺の目を覗き込みました。ヘーゼルの瞳に至近距離で見詰められ俺は怖気付きました。何も云うことが出来ません。正に蛇に睨まれた蛙です。優しげな声が恐怖心を更に掻き立てました。
「岩井さん?大丈夫ですか?悪戯してごめんなさい。ちゃんと息をして!ゆっくり深呼吸して下さい。さあそこにお座りになって。ゆーっくり息を吸って……ゆーっくり吐いて……」
紗雪に云われる儘俺はソファに座り深呼吸をしました。
「うふふ。岩井さん心配なさらないで。なぁーんにも問題ありませんわ。大丈夫大丈夫。ゆーっくり吸って……ゆーっくり吐いて」
だんだん気持ちが落ち着いて来ました。

 ……それから気づくと俺は紗雪と交わっていました。店内のソファの上で。狂った様に激しく。快楽と云うものを今までの俺は知らなかったのだと思い知らされました。今まで沢山の女達を抱いて来たと云うのに。
嗚呼。こうして俺も紗雪の罠に嵌って仕舞ったと云う訳です。



其の五  香夜子

 私の美しさは偽物。Plastic surgery整形手術で作られた紛い物。それでも私は美しいと云われ続けて参りました。そんな私でさえ紗雪の透明感溢れる美しさには吃驚して仕舞いました。

 類い稀なる美しさ。

 紗雪が面接に来た時この世の者とは思えぬ空恐ろしさを感じたのです。それだけでは無く。只者ではないと感じたのです。……人の皮を被った悪魔の様だと。只感じたのです。この子は普通の人間では無いと。そしてとんでもなく稼いでくれる子だと。私の勘は当たっていました。
 私は勿論紗雪を採用しました。
 ひと月も経たぬ間に紗雪はナンバーワンになりました。それだけではありません。紗雪の噂は瞬く間に広まってご無沙汰していたお客様がご新規のお客様を伴って紗雪に会いに来ました。経営者としては嬉しい様な同じ女としては悔しい様な……。私にもプライドが御座いますから嫉妬心は抑えていたつもりです。お店の女の子達もチーママも心穏やかではありませんでした。しかし彼女達にもプライドがあります。紗雪熱に浮かれた者達に心を乱されぬ様に淡々と仕事をしてくれていました。そんな時。ナンバーツーの不二子の太客である前澤様がお逃げになりました。一千万円の売掛を残して。可哀想ですがそれは不二子の借金です。

 不二子は紗雪が来る前まではナンバーワンだったこともありますが少々気が弱く控えめなところがあり何時でもナンバーワンと云う訳ではありませんでした。しかしながら店の稼ぎ手であり大切に育ててきました。なので売掛について少し心配していたのですが……。売掛を背負ってソープ嬢に落ちて仕舞う女もいるのです。経営者である私にとって不二子はとても可愛い従業員です。数年かけて大切に育てて参りました。嗚呼どうしたものか。私は不二子の背負った売掛について悩んでおりました。するとある日紗雪に呼び出されました。

「ママ。偶には紗雪とお茶してくださいませんか」
高級感溢れる上品なカフェの個室でアフタヌーンティーを楽しみました。私達は明るい場所で会うことなどほぼ無いのですが明るい場所で見る紗雪は薄闇い店で見る紗雪ともまた違った美しさです。よく見るとかたちの良いおでこが少女の様でほっとしました
「紗雪さんよく頑張ってくれてるわね。有難う。貴女が来てからご新規のお客様がうんと増えたのよ。感謝してるわ」
「いいえママ。感謝しているのは此方ですわ。水商売なんて初めてでしたのにママが色々教えてくださるから紗雪は毎日楽しくお仕事させて頂いております」
アフタヌーンティーセットが運ばれてきました。紗雪は目を輝かせました。
「まあこんなに沢山食べられないわ!でも美味しそうですね」
「本当に凄い量ね。でも一度は食べてみたいと思っていたのよ」
私が云うと紗雪は嬉しそうに笑いました。
「今日は夜ごはんは抜きでこれを全部食べちゃいましょうね」
こんな顔もするのかと驚きました。可愛らしい笑顔でした。うっとりする様なスイーツを堪能しながら私達はお店の事や他愛の無い話をしました。
「不二子さんの事なのですが」
唐突に紗雪は云いました。
「不二子さんは今私と一緒に住んでいます。私不二子さんを助けたいのです。ここに一千万円用意しました」
淡い鶯色のちいさな風呂敷包み。
「不二子さんには了解を得ています」
私は驚きの余り喉を詰まらせて仕舞いました。咳き込んでいると紗雪は席を立ち私の背中を優しく叩いてくれました。
「ママ!お水を飲んで下さい」
水を飲んで何とか咽せが止まりました。
「大丈夫ですか?」
と紗雪は美しいヘーゼルの瞳で私の顔をじっと覗き込みました。吸い込まれて仕舞う……。私は慌てて目を逸らし訊きました。
「紗雪さん本気なの?一千万を肩代わりするなんて」
「ええ。勿論。私不二子さんがとっても好きなんです。désirデジールで初めてのお友達。ママも大好きですけれど皆のママですから……ずっと遠慮しておりました」
大好きと云うその言葉は本物なのでしょうか?私は紗雪の目をもう一度確かめました。翠色の湖の様な穏やかな瞳を。
「そうだったのね。嬉しいわ。有難う。これからも宜しくお願いします」
「時々紗雪ともデートして下さいね」
悪戯っぽくそう云うと紗雪は私の頬に接吻しました。
「香夜子さんの事もっと知りたいです」
私の耳許でちいさな嵐の囁き。紗雪の香り。
 ええ。ちょろいものでした。お恥ずかしい限りで御座います。やはり紗雪は人間の紛い物だったのです。
 その数日後のことです。
 店が終わりお客様とのアフターが終わった頃紗雪から電話がありました。話があるのだけれど人に聞かれたく無いからお店で聞いて貰えないかと。私は店に戻りました。紗雪は店の前で待っていました。
「ママ。お疲れの所すみません。来て下さって有難う御座います」
悲し気な紗雪は更に色気が増していました。私達は店に入り私は通路の灯りだけ点けました。薄闇い方が良いような気がしたのは何故だったのでしょうか。甘い期待を抱いていたからでしょうか。
 紗雪は泣きながら私に抱きついて来ました。驚きながらも私は彼女を抱きしめて云いました。
「紗雪さんどうしたの?泣いていたらわからないわ」
紗雪は只々泣きながら私にしがみつきます。私はそんな紗雪が可愛くて彼女の涙に濡れながら頭や背中を撫でてやりました。
 嗚呼。いつかの記憶が。フラッシュバックしました。私はヘテロセクシャルですが何度か或る女の子……女知音レズビアンの子と寝て仕舞った事がありました。私が寝たのはその子だけでしたが忘れられない快楽に怯えました。その子は私に本気になって仕舞い自ら去って行きました。甘く切ないからだの記憶が呼び覚まされました。
 紗雪は泣きながらそんな私に接吻キスをして来たのです。
「嗚呼。ママ。香夜子さん。好きです」
ヘーゼルの瞳に私の瞳が吸い込まれました。私はそうして紗雪に抱かれました。途中からは夢なのか現なのかわからなくなって仕舞いました。
 でも。何故か。ある筈の無いものが私に挿入されました。可笑しい。何故。そう思いながらも止まらなぬ狂おしい快感に溺れ何度も逝かされ私は失神して仕舞いました。
 気づくと私は黒服の岩井と交わっておりました。意味がわかりません。夢の中で私は眠り入れ子の様にまた夢を見ているのかもしれません。しかしその快感を止める訳には行きません。私は夢の中の夢で自分に言い聞かせていました。
 いいのよ香夜子。これは夢なんだから。思いきり感じて乱れていいのよ。


其の六  鮎川

 僕はフィクションよりもノンフィクションが好きで学生の頃には講義そっちのけでよく裁判を見に行きました。野次馬根性かも知れません。下世話かも知れません。しかしそれが高じて今では週刊誌の記者です。
 大学では心理学を学びました。僕が一番興味を持ったのは犯罪心理学でした。人の心の闇と云うのはこの世界のミステリーの温床なのです。そしていつだって事実は小説より奇なり。
 誰かと百パーセント理解し合えるなんて幻想だと云うのが僕の持論ですが一縷の望みはきっとあるのではないかとも思っているのです。誰かと少しも分かり合えないなんて悲し過ぎやしませんか?
 とは云え理解出来ない性癖や趣味もあります。しかしこれからは益々個の時代になって行きますからね。理解出来なくとも互いを尊重して行けば良いと思っております。
 でも僕は女の子(巨乳なら尚良し)が好きですし男性を性の対象には見れませんね。ましてや女装したいなんて思ったことは無いです。だからオートガイネフィリアと云う言葉を知ったのはあのショッキングなニュースを目にしてからでした。
 銀座の高級クラブのホステスと結婚したと云う老人が不自然な死に方をして容疑者としてホステスが逮捕されたこと。その本当の結婚相手は彼女の娘(十六歳)であったこと。そして何よりもその容疑者・絶世の美女が実は男性であったと云うこと……。  
 彼女の身分を証明する運転免許証や健康保険証に記載されていた名前は紺野久之こんのひさゆき。年齢三十二歳。しかしその年齢よりもずっと若々しく透明感溢れる美貌に世間は騒然としました。

 僕は大興奮しました。こんな凄い事件はなかなかありません。拘置所に収容された紺野久之(源氏名・紗雪)に毎日手紙を書きお会いしたいと伝え何度も面会に出向きました。やはり沢山の記者が面会したがっており一日にたった一度きりの面会は争奪戦でした。紺野久之に会う為僕は徹夜しました。数日後漸く紺野久之と面会出来ました。
 拘置所暮らしの中でも紺野久之のその美は保たれていました。男性の名前で呼ぶのが憚れるほど彼は女性そのものでした。最低限のメイクしかしていないにも関わらずその美しさは見た事も無いもののけの魔性の美を思わせました。静かな凄みとでも云うのでしょうか。人間では無い様なそんなオーラを感じました。
 彼は僕に質問されるが儘に丁寧に答えてくれました。話しながら彼はとても正直に誠実に狂っているのだと僕は悟りました。濃密な十五分間があっと云う間に過ぎました。彼は云いました。
「貴方とならもっとお話したいです。またお手紙をくださいね。お返事を書きます」
 何故か僕は気に入って貰えた様です。
 手紙で再び質問をすると美しい文字で返事をくれました。
 子供の頃に催眠術の才能に目覚めてその技を磨いて行ったこと。仲良くなったホステスに催眠術をかけて自分の身代わりに太客の床の相手をさせていたこと。
 彼女達がであるところの彼女・・に誘惑され性交して仕舞っていたこと。次々に出てくる悪事。
 女装をして美しくなった自分で女性を犯すと物凄く興奮すると云うこと。相手の女性は催眠術にかかっているので犯しても気づかれなかったそうです。それどころか彼女達は彼に夢中になり自ら求めて来る様になるのだそうです。自分の客の相手も勿論途中までは自分でしているのですが最後はどうしても女体が必要になるので彼女達に相手をさせていたのです。なんと罪深い……。
 催眠術は先ず自分にかけていたそうです。鏡を見詰めて自分のヘーゼルの瞳の魔力に自らかかって。
 ありったけの情熱を注いで書いた彼の記事の下書きを送りました。するとほんの少しの校正と共に送り返し記事を出すことも了承してくれたのです。
 その記事のおかけで週刊誌は飛ぶ様に売れました。記事を読んだ関係者の人々が僕と話したいと云ってくれてクラブ関連の人々へのインタビューも出来ました。次号に載せた所そちらも大反響でした。
 紺野久之(紗雪)の凄い所は誰にも恨まれておらず寧ろ愛されており誰もが紗雪を庇ったと云うことです。本人は「私の心は穢れている」と云っているにも関わらず。

 二週間後。彼は不起訴となりました。資産家の老人の手紙が証拠となったのです。もしも自分が亡くなったとしてもそれは持病が悪化したのであり寿命であり何ら可笑しいものではないと。
 不起訴となり解放された彼は娘の暮らす外国に移住するそうです。



其の七  円


 会ったことも無い人と結婚するなんて夢にも思いませんでした。
 あたしのママはシングルマザーでママのママつまり祖母もシングルマザーでそう云うのって遺伝的で連鎖するものなのだと幼い頃から思いこんでいたのです。だからあたしもシングルマザーになるのかななんて漠然と思っていました。
 ママが死んだ時あたしはまだ穢れを知らない透明さを持っていたと思います。あたしが十六歳になったばかりでママは気づいた時には子宮癌であっと云う間に死んで仕舞いました。女手一つであたしを育ててくれたママ。たった十七歳であたしを産む為に高校を辞めたママの母親である祖母もシングルマザーでした。その祖母もママが亡くなる数年前に亡くなっていました。祖母の残したスナックでママは働いていました。パパのことを訊いても絶対に教えてくれませんでした。
 ママのお葬式に現れたあの人は吃驚するほどの美貌でした。こんなど田舎にあんな綺麗で良い匂いのする高級な着物を着た美女は不似合いでしたが驚いたことにママのお友達だと云うのです。ママの古い友達でまどかのことを宜しくと頼まれているのだと。有能な弁護士も手配しておいてくれて天涯孤独になったあたしの面倒を全て見ると云うのです。そしてあたしのパパのことを教えてあげると云って東京行きの飛行機のチケットと多過ぎるお金……良い匂いのする袱紗に包まれた札束をくれました。
 あたしはママの美しいお友達をとても懐かしく感じました。何故かって?だってあたしの瞳も紗雪さんと同じでヘーゼル色をしていたから。あたしは昔から霊感に近い様な直感の鋭さがありました。その直感が伝えてきたのです。彼女について行けと。

 東京には修学旅行で来たことがあります。ディズニーランドに行きました。その印象からかあたしは東京って遊園地みたいと思うのです。
 あたしは紗雪さんが予約しておいてくれた銀座のホテルに滞在しました。とっても綺麗な高級なホテルで最初は落ち着きませんでしたが直ぐに慣れました。昼間は紗雪さんが東京案内をしてくれたり一緒にお買い物に行ったりしました。とても楽しかったです。でも紗雪さんがお仕事に行って仕舞うと淋しさと漠然とした不安に襲われました。ママが死んでから人生が変わって仕舞い戸惑ってもいました。
 あたしが東京に慣れて来た頃。紗雪さんは云いました。
「円ちゃん。貴女のパパは私なの」
そんな予感はしていました。だって……紗雪さんの目とあたしの目はそっくりだったから。パパとは思わなかったけれど親戚だろうとは思っていたのでした。
 田舎で慎ましやかに暮らしていたあたしの世界は人生はドラマティックに一変して仕舞いました。立て続けにドラマティックな出来事がやって来ました。
「苗字が変わってもいい?貴女が一生困らないお金を手に入れたいの。貴女には結婚して貰うことになってしまうけれど」
正直云って怖かったです。でもあたしは首を縦に振りました。もうあたしには紗雪さんパパしかいなかったから。
 紗雪さんに留学を勧められて住むならどの国がいい?と訊かれ迷わずイギリスと云いました。ピーターラビットの国。幼い頃ママが読んでくれた絵本。縫いぐるみも持っていましたし幼稚園のグッズもピーターラビットで揃えて貰うくらい好きでした。ハリー・ポッターも大好きですし気候があたしの生まれ育った田舎と似て寒い国なのが良かったのです。
 私は寄宿舎のある学校へ入学しました。英語は得意ではありませんでしたが自分の力で生きて行く為に身につけようと必死で勉強しています。
 友達も出来て少しずつ自分の居場所が出来始めた頃。あたしが結婚したお相手が病気で亡くなり遺言通りに全ての遺産が相続されたと紗雪さんと弁護士さんから連絡が来ました。
 あたしにはきっと想像もつかない様な額なのだと思います。でも今一ぴんと来ません。あたしは名前が変わっただけで結婚相手とは一度も会ったことがありません。
 紗雪さんは手紙をくれました。


 円ちゃん、お元気ですか?
そちらはもうすっかり寒いのでしょうね。東京はもう秋だと云うのにとても暑いの。
 冬になったら私もそちらに移住します。円ちゃんと一緒に暮らせたらなんて夢見ておりますが貴女の好きな様にして良いのです。
 円ちゃんに負けない様に私も英会話スクールに通い始めました。習い事は久しぶりですがとても楽しいです。わからないときには円ちゃんが教えてくださいね。
 私達は雪の国で生まれたからやはり雪ってほっとするし冬のロンドンはきっと美しいでしょうね。本場のアフタヌーンティーが楽しみです。
 円ちゃんの好きな物を沢山お土産で持って行くわね。何か買って来て欲しいものがあったらメールしてね。会えるのを楽しみにしています。

                               紗雪


 今朝ロンドンでは初雪が降りました。掌に舞い降りた大粒の雪の結晶を見て早く美しいパパに会いたいとあたしは思いました。



〈了〉