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【読書ノート】『読書について』(ショーペンハウアー著、鈴木芳子訳)

読書っておもしろい。
書いた人の考えを知れるし、自分の学びにもなる。
これまで読んできた本でいうと、生活習慣とか、自分との向き合い方とか色々と取り入れながら生活している。
推理小説が好きな人、歴史小説が好きな人などたくさんいるだろう。
娯楽として読む人、学びとして読む人など、目的も様々だ。
電子書籍が出てもなお、やはり紙の本が好きだという人もいる。

こう考えると、読書はその人の個性そのものとも思えてくる。
だから、おおっぴらにするのは少し恥ずかしくも感じる。

これまでの読書観を覆すような「読書観」が示されていた。
その「読書観」とは、「本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ」というものだ。そう言われてしまうと返す言葉が見つからないな。知識がない普通の人にとって、読書とは、他人の考えをなぞりながら学ぶことができるだけでも素晴らしいことだと思うのだが…

ショーペンハウアーは、読書より自分で考えることを上位としていた。人の創造物に頼るより自分で創造することのほうが上位であることは確かだ。ただ、自ら0から1を生み出すことは、非常に難しい。だから、読書によって知識を積み重ねていくものだと思っていた。ショーペンハウアーからすると、順番が逆なんだろうな。

多読は避けるべきこととされていた。
新書をよく読む友人がいて、その人は毎月に多くの本を読む。「新書は2,3時間で読めていいよね」なんて言っていたけど、どうだろうな。最近の新書は難しい内容が書かれている。2,3時間で読んで理解することは難しいのではないかと思った。2,3時間で読むにはもったいないレベルで貴重な本が増えているな。そう考えると、多読は注意しなければならないし、それを自慢するなんてもってのほかじゃないか。

読書は多くのものを与えてくれるし、自分の感情を受け止めてくれるものでもある。たまには文学にどっぷり浸って、主人公に自分を投影する時間が会ったっていいと思う。ショーペンハウアーは決して読書を批判しているわけではないと読む。もっと自分の頭で考えることが大切だと強く言っているように思う。短時間で何事もできてしまう現代ではあるが、じっくり考える時間を設けることも大切なのではないだろうか。

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