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字の大切さ。

今週気づいたこと。
「ろ」と「3」が区別がつかない!

衛生管理という資格の勉強の際に、尿のところを一生懸命にノートに書いているときに事件がおきた。
「ろ過」とあったので、ろ過とそのまま書くと、どうしたって「3過」になってしまう。

たったこれだけのことで、勉強がストップ。次第にはnoteを開き、「ろ」が書けないと文章にする。(noteとノートでまたややこしい)
何度も「ろ」を書いては「3」になる。字が汚いと、このようなことになるのだ。

小学生のときに、字は綺麗に書きましょう!と先生に教えられた。なんで?と当時は思っていた。結局答えを見つけることは出来ずに、綺麗にすることを怠った。
社会人になれば、字は自分だけが読むものではない。上司、同僚にメモをする場面が出てくる。字が汚ければ、読むのにストレス、時間が掛かってしまい、仕事に支障をきたす。メモの文化はデジタルが支配したとて、無くならないだろう。
小学生の俺に伝えたい。字は綺麗に書きましょうと。

話を戻す。「ろ」と「3」
自分しか読まないノートなので、多少は汚くはなるのだが、それにしても時間を奪うことになるとは夢にも思わなかった。なんど「ろ」と書いても数字になってしまう。
分解してみた。
「ろ」を「フ」と「つ」にした。「フ」に押しつぶされた「つ」を書けばいいんだ!と思いノートに書いてみると、超事件が。

今度は「万」に見えてきた。
練習の「ろ」が「3」に見え
練習の「ろ」が「万」に見え
俺は3万円がほしいやつに変わっていた。
恐怖。字の恐怖。

「ろ」が消えた。
永遠に書けない気がしてきた。
「ろ」が気になり永遠に勉強できない気もしてきた。
『もういいか、「ろ」なんて滅多に登場しないし』と考えるが、その結果が未来の事件に繋がるのだろうとも思う。
「ろ」の呪縛からは逃れられない。
ここは練習あるのみだ。

デジタルが移行して良い部分は、「ろ」と「3」がはっきり区別できることだ。
仮にこのnoteがアナログで、手書きのものを見せるというサービスだとしたら、僕の今回のnoteは非常にややこしいだろう。

今日のnoteの途中にある文章。

自分でも、これはストレスだわ。第三者からしたら、この人は「3」がお好きだわねぇの感想になるのが自然だろう。noteがデジタルで良かった。

字は綺麗に書こうと決意した日となった。未来の自分がストレスなく読めるために、文字は綺麗に書く必要がある。本来は小学生のときに、知るべきことを、31歳の男は、本日の朝に気がついた。あと一ヶ月経てば32歳となるのにだ。
勉強もストップし、noteに書く事態にまで発展した。恥ずかしい限りだ。
そんなわけで、ボールペン字練習帳を買いにいこうと決意し、今日のnoteは終わる。

ー終わりー

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