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「誰かのために何かしたい!」の根っこ

清潔な世界が結構苦手なのよ。
優しさに溢れていて、笑顔で受け入れてくれて、悪意なくて。
けどそんなのって無理じゃない?
それが実現出来ると思ってる人って、そんなことが夢想できるくらい
平和なところで生活してる人だけでしょって思ってしまう。

どうやったって生き物だから不条理な物事は山程あって、
目の前で起こることに理由とか、折り合いとかを見出して、
無理やり噛み潰してゴクリと飲み込むものでしょう。
そしてその不条理を起こしている人にも痛みがあって、
自分が起こされた側だった時に想像力を失う。
いつも語られないところに根っこの真実があるような気がしている。
みんな痛みと共に生きてる。

そんな世界の中でも「誰かのために何かしたい!」みたいな人は結構いて、
世の中を良くしようとしてたり、誰かに心、身体、物、金、時間、色んなものを配ったり、寄り添ったりしている。
世間で言ういい人たちだね。
そういう人たちが清潔な空間を作ってくれてたりして、社会の福祉の一部となっている。

私、割といい人とか、優しいとか、よく言われるのよ。
まぁ、自分自身でもめちゃくちゃいいやつだとは思うんだけど、
人からかけられるその言葉はあまり好きにはなれなかった。
現実とは程遠い清潔な人間である事を要求されているように感じたんだろうね。
けど事実として、人の痛みは無視できないし、困ってる人はほっとけない。
「誰かのために何かしたい!」みたいな人に見えると思う。
けど清潔な空間は作れない。

世の中には結構「誰かのために何かしたい!」って人がたくさんいるよね。
それを全面的に押し出してくる人にめちゃくちゃ違和感あるし、
ひどい言い方するとちょっと気持ち悪い。
とはいえ、やっぱ私もそういう人間だと思われがちなのよ。
だから世間にあるその想いの根っこってなんなんだって考えた。

結局、「誰かのために何かしたい!」ってのは、冒頭で話した痛みに対する対処が多いんじゃないかって思うんだ。
いくつか答えを見つけたから、想いの根っこを類型化してみた。

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①痛みを避ける。
何かしてくれる人を攻撃してくる人って、あんまりいないと思うのよね。
だから何かをしてあげる事で関係づくりをする癖がついてしまってる。
与えることでしか自分の価値が生まれないと思ってるんだろうね。
何もしてなくても、なんか一緒にいるのが良いつながりなのに。
色んなもの奢って友達を作る人とかも、これかもしれないね。

②痛みを癒やす人であることで他者に認められようとする。
優しい人、すごい人って思われたい人だね。
そして自己評価が高くて、誰かに何かをしてあげられると思ってる。
こういう人は総じて押し付けがましいおせっかいをかます。
相手を見下してるケースも散見される。
僕はたぶんこういう人が苦手なんだね。笑

③他者の中にある自分の痛みを癒やすことで、自分を癒す。
他者の痛みが見えた時に自分の痛みを投影する癖がついているんだろうね。
それを自覚してるのか、してないのかでアプローチが変わる気がする。
自覚してない人は自己犠牲を積み上げてエラい事になりがち。誰かに対処しても自分の問題が解決されなければ、繰り返し共倒れになるだけだからね。
自覚してる人は冷静に分析して、互いがしんどくならないように慎重になる。

④幸せのおすそ分け。
強く満たされていると感じていたり、自分の痛みが見えなくなってしまっている人だね。
本当に満たされている人であればいいんでないかな。
心のノブレス・オブリージュ。まぁ、あれは基本的に強者の①だけど。
脳内お花畑かな?って人がこういうのだったりもする。
感謝はされるけど、意外と優しいって思われない感じ。

⑤貰ったものを継承したい。
バトンを受け取ったから次の人に渡す義務があると使命感を持つ人だね。
感謝の連鎖。優しさの連鎖。ペイ・フォワード。
めちゃくちゃ健全でこれがどんどん拡大すればいいと思う。
感謝の心をたくさん持てる人はこれが大きくて、
これだけが本物の優しい人じゃないかと思っている。

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5つに分類できた。参考文献なしなので、他にもありそう。
みんな、それぞれが色んな割合で入ってると思う。
自分が「誰かのために何かしたい!」と思った時に、自分の感情のベースに自覚的かどうかで、かなりスタンスややり方は変わると思う。

私は「誰かのために何かしたい!」が利己的なものだよと言い切れる事で、とても楽になれた。
自分が利他的だと言われるのが、どうも気持ち悪くて、違和感がすごい。
本質的に利他的な生き物は存在しないと思っていたし、誰かを傷つけてきた自覚もたくさんたくさんある。
清潔な世界のファンタジー生物でもなければ、①でもない。
清潔じゃない。我強い。眠たい。ダラダラしたい。

私の中身は②③のハイブリットが中心だと思う。
嫌いな②は多分、自己嫌悪も入ってる。
一生おせっかい焼きのうぜぇやつだって、自覚しておきたい。
けど昔よりは③の割合が増えてきた。
人のパーソナルな部分に触れると、自分を見つけられる。
自分を発見していくのって、とっても面白いのよね。
心が言語化されていって、概念が形を持つ。

昔はみんなと上手く協調できず尖って、関わる人を絞っていた。
社会に出て気付かされたのは、ただ自分が上手く関われなかっただけでみんな色んな要素を持ってるってことだ。
みんな面白いとこあるし、それぞれの人の中に自分を見つけて、改めて自己を言語化するきっかけをくれる。
これがめちゃくちゃ貴重でありがたい。

だから私が利己的に作った空間で対話しながら、一生懸命自己分析して言語化していく過程で、ついでに誰かが自己発見するきっかけが作れたら嬉しい。
もちろん快適な距離感を見つけてからの話だけどね。

色々言ったけど、そんな高度な欲求よりもよりシンプルに利己的でいたい。
ていうか基本的には自分も誰かもぼーっとしてる空間を作りたい。
そっちが先行してる。ダラダラしたいので何もサービスしたくない。
けどどんな人でもただそこにいていいって空間。
痛みがあってもなくてもね。
ついでになんか面白そうなもん見つけたって思って貰えたら、結構、価値あるやんって思う。
そのおまけのおまけに対話ができればと思う。
それぐらいのスタンスじゃないと持続性がないと思ってるのもある。

そんなこんなで清潔な空間ではなくて、すごく利己的でパーソナルなスペースで、居場所を作っていきたい。
昔の自分の痛みと向き合って癒やすために居場所を作りたいってのがあると思う。
だから出来る範囲のことしか出来ないし、無理なことは専門家にパス出来るようにしたい。
サービスはしないけど、場所があることで自分も、誰かもいろんな形で少し楽になれたらいいかなと思ってるんだ。
早く開けるように準備しないとね。

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