13年間の復興の一端について。

 東日本大震災から13年が経過した2024年3月11日は全国で2万2222人の死者・行方不明者(関連死を含む)を追悼するとともに、被災地の復興状況を見つめる日となった。
 沿岸部では高台移転や防潮堤の建設などのインフラ整備がほぼ完了し、住宅や商業施設の再建が進んでいるが、人口の減少や高齢化、産業の再建などの長期的な課題が依然として残っている。
 復興には被災地の人口減少や高齢化、経済や生産の混乱などは必須の問題で、以前の状態に戻すかどうかは大きな疑問がある。こういった視点を復興計画に取り入れる必要があった。
 やはり、現状では人口の減少と高齢化、若者や子育て世代の定住や雇用創出、地域コミュニティの再生などが重要なテーマとなっている。巨額な復興予算を費消してインフラ整備が行われたにもかかわらず、住民主体の復興は未解決の状態にある。
 宮城県石巻市女川町の牡鹿半島では、津波で壊滅的な被害を受けた漁業集落が浜ごとにあった。震災後それぞれ高台に集団移転団地ができ、漁港も復旧した。しかし、50戸ほどもあった集落は震災前の半分以下に減少し、そのうち後継ぎがいるのは2、3軒だけで、団地は空室が目立つ。
 岩手県陸前高田市は最大17.6メートルの津波に襲われ、死者・行方不明者が約2千人に上った。市の中心部は命を守る街を目指し、標高10メートル程度までかさ上げをしたが、貸地や売地の看板が立ち、空き地ばかりが目に付く。飲食店などが軒を連ねる街角は午後7時も過ぎると、街灯に照らされた通りに人影は見当たらない。
 被災地のどこの住民たちも当初は自分たちで復興計画を立てようとしたが、利権やゼネコン中心の政府の計画にことごとく潰され、もっぱら行政におまかせになった。今から思うと、自分たち自身がどんな復興を目指すべきか、何がどれだけ必要か、将来どうなるか、もっと話し合うべきだったと反省と怨嗟の声が頻りに聞かれる。
 政府の復興構想会議の議長を務めた五百旗頭(いおきべ) 氏(3月6日死去)は、生前に首長や行政によるトップダウンではなく、住民の合意が得られるよう、話し合いは早く始めた方がいいと提言していた。
 国勢調査によると、震災前(2010年)から震災後(2020年)までの10年間で、
東北地方全体の人口は約6%減少した。被災地では若者や子育て世代が都市部に流出し、さらに人口の高齢化や過疎化が進んだ。
 この減少率は地域によって大きく異なっており、津波被害が深刻だった岩手県大槌町や宮城県女川町、同県南三陸町では3割以上も人口が減った。福島県では原発事故の影響で人が住めない「帰還困難区域」が7市町村に残っており、浪江町や双葉町などでは人口減少率が8割を超えている。
 帰還困難区域では、除染やインフラ整備などの復興作業が継続されており、汚染地区の避難指示の解除や緩和も進捗しているが、帰還困難区域は広い範囲に及ぶ。今でも健康や安全に対する不安や信頼の回復、風評被害の解消などが大きな課題として残っており、住民の帰還意欲は低く、再び以前の暮らしができるような見通しはない。
 復興予算はインフラ整備などで20年度までに約31兆円を費やした。

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