君の名は。


流行りの映画の話ではない。「名前を知らない人と話す」ことがよくある。たとえば、たくさん人が集まるパーティーでも、デパートのエレベーターの中でも、バーで一杯やってるときでも、なんでもいい。トイレに並ぶ行列の待ち時間でもいい。ふと宙ぶらりんになった時間に、たまたま隣にいた相手と一言二言言葉をかわす。定型化された質問をしあうなかで、たいていは何か共通のことが見つかる。ふたりのたゆまぬ努力によって、思いがけずその場が盛り上がってしまう。

そんなあたり障りのない会話を楽しみながら、僕は今目の前で話している相手の、顔も、職業も、出身地も、趣味も、恋人の有無だって知っているのに、名前を知らない、と思う。それだけで、その人が途方もなく遠い存在に感じてしまうのは、なんでだろうか。名前を聞くことなんてそう難しいことではないんだろうけど、結局、聞かないまま別れた。


名前を聞く、もしくは名乗るということは、相手がこれまで過ごしてきた人生の一部分に参加するということだ。例えば、この文章を書いている人間が松尾翼という名前だとすると、この文章はあなたにとって「ただの文章」から「松尾翼の書いた文章」になる。分かりやすく言うと、あたまの中に「松尾翼」というフォルダができるようなことだと思う。

「ただの文章」はすぐに記憶の波にのまれてしまうけど、フォルダ分けされた「松尾翼の書いた文章」は、少なくとも数日は記憶の片隅にのこるだろう。名前には、ひとにフォルダ分けを強制させてしまうくらいの引力がある。そんな強制をあなたに強いたくはないし、僕も強いられたくはない。今日はそんな日だった。

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