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ベースになるスタイルが決まっていればおしゃれはラクになる、ラグジュアリー・スニーカーというジャンル、今週のリコメンド...2019.1.25(22)


服と暮らし

2019.1.25(22)

目次

①ベースになるスタイルが決まっていればおしゃれはラクになる

②ラグジュアリー・スニーカーというジャンル

③今週のリコメンド





①ベースになるスタイルが決まればおしゃれはラクになる


「スタイルを持つ大人」というのがファッション誌で特集されているのをよく見かける。やっぱり人は人のこだわりというのが気になるのだろうか。それとも「こだわる人になりたい」とひそかな憧れをもっている人が多いのだろうか。

もしも『服と暮らし』を読んでくださっているあなたがそうなのであれば、あれこれ調べるよりも「自分がどんな装い、暮らしであればそれなりにご機嫌でいられるか」ということを思い返してみるのがいいかもしれない。


たとえば僕は、大学生から社会人になって何年かまではシャツとスキニージーンズ、スニーカーというスタイルを貫いていた。

それは僕が華奢だったという理由でTシャツ1枚だと貧相に見えること、あとはあれこれ買うお金がなかったからである。

自惚れかもしれないけどシャツはけっこう似合う方だと自負していたから、シャツを着ているとそれなりに自分に自信が持てた。(言うまでもないかもしれないけど、ファッションは「自惚れ」です)

冬は上にコートを着たけど、夏は本当につらかった。Tシャツ1枚の格好をしない理由と同じように、半袖のシャツを着ることも(僕の中の僕に)許してもらえなかったから、夏は長袖のシャツをまくって着て、汗だくで京都の暑い夏をやり過ごすことになった。

今はもう死語になっているかもしれないけど、「お洒落は我慢」という格言(?)も当時はわりと説得力を持っていたのだ。

後に軽い気持ちで買ったヘインズのTシャツ1枚で外に出たとき、その快適さに感動してからは、とにかく着やすくて、ルーズでも小綺麗に見える格好へとだんだんシフトしていく訳だけど、でも、当時の僕にとってはそれが一番ラクに自分のご機嫌をとれる方法だったんですよね。

そしてきっと、スタイルを持つ大人たちというのは、スタイルを持ちたいから持った訳ではなく、自分なりにラクに自分のご機嫌がとれるように工夫していった結果、それが「スタイル」になったんだと思う。

最近になって思うのが、自分のベースになるスタイルを決めてしまえば、気分によってそこから今日は少し離れてみようだとか、自分にとって冒険だと思う服を買ってみてもそれほど苦労せずに自分らしい合わせ方が見つかるようになること。

言い方を変えると、ご機嫌と好奇心のバランスがとりやすくなる。

でも、それがクセになってしまうと次から次へと欲しいものが増え続けて収拾がつかなくなってしまうのが、最近の個人的な悩みです。「欲しいものがある」というのはすごく健康な状態だと思うけど。




②ラグジュアリー・スニーカーというジャンル

ここ数年のスニーカーブームもあってか、毎シーズンスポーツ界の有名ブランドはラグジュアリーブランドや著名人とのコラボレーションの話を目にするようになった。(もしくは、僕が知らないだけでその流れはずっと続いているのかもしれない。)

〈アディダス〉と〈ファレル・ウィリアムス〉や

〈アシックス〉と〈キコ・コスタディノフ〉

〈ナイキ〉と〈サカイ〉

〈リーボック〉と〈ヴィクトリア・ベッカム〉なんかも。

もともと10代の少年でもお小遣いを貯めれば買えるおしゃれだったスニーカーからいわゆるデザイナーズ・スニーカーがというジャンルが生まれたのはたしか90年代(つまり、今のブームの一周前)だったと思う。

「だったと思う」というのは、僕はそれをぎりぎり経験していない年だからだ。

そして、当時10代だった少年たちが40代に差し掛かる頃、あの輝かしい過去を取り戻すかのようにリバイバルブームがやってきた。

こういうのって、つまりは彼らが「ビジネスを決定する立場になった」ということらしい。

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