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ちょっと苦手なセリフ

会話の中で、「自分は〇〇なタイプだから」「自分は〇〇な性格だから」と頻繁に口にする人がいる。そういうセリフが、ちょっと苦手だ。その後に続く言葉にはだいたい相槌を打つことしかできない。

自分を主語にして何かの理由を述べたりすることはとても当たり前のことだと思う。それまで生きてきた経験や、その時に育まれた感情をもとに自分の考えが生まれるのだからそれは全然気にしない。(私も自己主張強めですし)

だけど「自分はこういう人間だ」と言い切ることを、その後に続く話の根拠にしてしまうような言いぶりはどうしても少し乱暴なような気がしてしまう。

最初に言い切られてしまうと、私は「そうなんや」としか言えなくなってしまうのだ。だって、何を言っても「でも私は〇〇なタイプだから」という冒頭の言葉が返ってくることが想定できてしまうから。

それは、自分のことをちゃんとわかっている人だからこそ発せられる言葉なのかもしれない。だけどもしかすると、自分が見えていないものに気付く機会を失っているんじゃないかとも思う。

『自分はこういう人間だ。』なんて、他人から見たときの自分が本当にそうなのか、実際のところはわからない。だから自分以外の人からかけられる言葉が多ければ多いほど、知らなかった自分に気づく事ができるんじゃないかなと思う。

「自分は〇〇なタイプだから」という言葉は、それを知る機会を自分から放棄しているように思えてしまう。同時に、「この人は自分が変わることに対して否定的なんだな」とも。要は、『頑なな人』だなと感じてしまうのだ。

そういう時、私はもやっとした感情が少しだけ残って、言いたいことが喉でつっかえて、それ以上の言葉がうまく出てこない。それは多分、自分の言葉がもしその人の考えと少しでも違っていた時に返ってくるかもしれない拒絶や否定に対する怖さのせいだ。

「いや、だから私は〇〇な人間だからあなたの言ってることは的外れですよ」、なんて言われたら普通にへこむ。(そんなストレートな言葉でないにしても)そんな不安を無意識に感じているのだと思う。ある意味、この言葉に対する苦手意識は傷つきたくない私の一種の防衛本能なのかもしれない。


私自身、根が頑固で自分の考えを誰かに踏み込まれることが苦手だと、過去のnoteに書いているので、自分のことを棚に上げている感も否めないけれど、これが防衛本能だとすると同時に私は自分が否定されること全般が怖いのかもしれないなぁ。

noteを書いていると最初に浮かんだことから段々と書きたいことが変わっていって、大体が自分の弱い所にいきついてしまうから不思議だ。

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