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1年半越しの新婚旅行が延期になった後の話


日曜日、朝からインターホンが鳴った。
ドアホンを見るとエントランスではなく玄関からのチャイムだ。訪問者は火災報知設備の点検の作業員さんだった。

「ああ、今日だったか」

告知されていた点検日がこの日だったということに初めて気が付いた。事前に配布されたA4サイズの書面を律儀にキッチンのよく見える場所に吊るしたのは私だった。

手際よく検査を終え、作業員さんはほんの3分ほどで次のお宅へと向かった。時間帯の指定はできなかったので早い時間に済ませてもらえてラッキーだった。

文面の示す日付は4月12日。「検査を実施するのでご自宅にいてください」という言葉を最初に見たとき、参ったなぁと思った。
11日の夜、つまり前日の夜、私たちはハワイから帰ってくる予定だった。疲れと時差ボケを想像すると、翌朝早起きできる自信なんてなかった私は点検作業が午後でありますようにと願うしかなかった。だけど現実は、朝は8時には起きていたし点検作業は早くきてもらえてよかったな、なんて考えている。私たちはハワイに行けなかった。

新型コロナウィルスがハワイでも確認され、州知事から国内外問わずハワイへの訪問を自粛するよう世界に発信されたのは新婚旅行出発の2週間ほど前だった。結婚から1年半経ってようやく決まったハネムーンをまさかこんな形で延期することになるとは思っていなかった。この時ばかりは小さく発狂した。

だけど時間が経過するにつれ、私たちのハワイ延期がさして大きな問題でないレベルだと感じるようになる。新型コロナウィルスによって世の中が受ける影響はすさまじく、むしろ結果的にキャンセル料無しで延期できた自分たちはまだ運がよかったと感じるほどだった。日常生活における感覚が短期間でがらっと変わった。

会社が営業先への訪問やお客様との打合せを原則禁止し在宅ワークを推奨し始めた。
夜は大半の飲食店が閉まっていて、店先にはテイクアウトの張り紙が目立つ。
大都会の街中は人通りはまだあるものの、正常時と比較すればやはり人の流れは激減し異常な光景だ。
友人の結婚式はことごとく延期の連絡が入った。
高齢の祖父の体調が心配だけど、実家にはしばらく帰れない。
テレビで昔から見ていた有名な方が亡くなった。日本中の人たちがそうだと思うけれど、その知らせは驚くほど悲しかった。
病院が医療崩壊の危機を叫ぶ。
現在10000人を超える死者を出しているフランスが3週間後の日本の姿だと訴える現地に住む著名人の言葉に恐怖と危機感がさらに増した。
8割人との接触を減らせ。
現実的に保証を受けられる人がどれだけいるのか。
怖くても働かなきゃ生きていけない。
自宅待機で孤立する人への援助は。
そろそろ情報収集もしんどくなってきた。

とにかく緊急事態で異常事態の中、自分にできることは『家にいながら夫婦2人分の小さな経済をまわすこと』だけだ。つまり何もできないと同意だ。でもそれしかない。だから仕事でどうしても仕方がないとき以外は家で過ごしている。これでいいと言い聞かせるしかない。

本当だったら、すでに1週間のハワイでのバカンスを終えて帰国しているはずだった。「現実に戻りたくない」と泣き言を言いながら名残惜しくハワイをあとにし、日常の生活に戻っている頃だ。だけど現在の日常は今までのものとはまったく違う別物になってしまった。「帰りたくない」と言っていたであろう当たり前の今までの生活がこんなにも尊くて大切なものだと気付く。何100万年も前から教訓として伝え続けられているはずなのに私たちは失くさないとその価値に気付けない。多分、この状況が落ち着いて元の生活に戻って少し経ったら日常のありがたみはきっと薄れてしまうのだと思う。だけどそれでもそんな呑気な生活に早く戻りたい。

こんな状況だけど、今になって唯一よかったと思えたことがある。それは『まだハワイに行っていないこと』だ。本場のガーリックシュリンプも食べていないし、澄みきったブルーの海にまだ感動していない。現地のスーパーで買い物をしてコンドミニアムで料理を楽しむこともしていないし、世界一美しいと言われるハワイの星空だって見ていない。それらは全部まだ『これから』なのだ。旅が終わってしまったことを淋しく思うのではなく、まだ旅の始まりを楽しみにとっておくことができる。穏やかな世界が戻ったときのご褒美としては最高だなと思った。点検作業が完了し、そのことに気付いた時少しだけ嬉しかった。
窓の外の空気は春らしく暖かそうだけれど、まだしばらくは家での過ごし方を工夫しながら暮らしてみようと思う。



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