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和蝋燭に見立てて

本日は仏教でいうところの、祥月命日。
ここのところずっと廃人だった。
仕事に行けない日も多く、追い詰められていた。

葬儀は完全に無宗教で執り行い、墓もない。
夫が亡くなって2年経つ(仏教的には三回忌)今日という日に、一体何をすればいいのか、さんざん悩んだ。


仏教的に一周忌の昨年は、夫が長年敬愛してきた哲学者に会いに行った。
夫のことを悼んでもらい、持参した著書にサインしてもらった。
厳密には命日の前日だったが、曜日としてはまさに亡くなった土曜日を、哲学者たちの集う場で過ごせて、また、翌日(命日)の朝まで飲み明かせたことで、最高の追悼イベントとなった。

秋には回顧録的エッセイをとある刊行物に寄稿した。
彼の敬愛する哲学者と某国文学研究者に読んでもらえた。
私の敬愛する著述家にも読んでもらえた。
グリーフのステージがぐっと上がって、このまま乗り越えられそうな気がした。

しかしそうは問屋が卸さなかった(言い回し、古っ!)

そういえば、一周忌の翌日からは実家の両親と妹を連れて温泉に行った。
遺骨も持って、山口県の湯田温泉へ。
こちらは縁もゆかりもないが、夫と2人で敬愛していた鉄道と温泉好きで知られる政治学者のおすすめの老舗旅館。
お料理も温泉も最高だった。
激動の日々を献身的に支えてくれた家族へのせめてものお礼だった。


義父とは葬儀の日以来完全に決裂。
なぜあんなことになってしまったのか。
もはやどうにもならない。
しかし修復に費やす労力は、当時も今も、微塵もない。
義弟家族とは仲良くしているが、今日会うのは辛かった。
実家の両親や妹にも会いたくなかった。
今日はなんとか仕事に行けたので、帰ってからどうしよう。
何も思いつかず、帰途についてからさらに悩むことになった。

まずどこで夕食をとろう。
家で自炊する気分にはなれなかった。
2人でよく行ったお店は、1人客だとおそらくカウンター。
荷物が多いのでそれは困る。
2人では2、3回しか行ってないし、故人はそんなに気に入ってなかったけど(2人で行った場合、運悪く狭いテーブルに通されてばかりだった)、1人で行けば意外と席を広々と使えて、美味しいご飯も食べられる。

観光客の列に混じって待つこと十数分。
予想より早く通されて、美味しいディナーにありつけた。
赤ワインの気分だったが、韓国料理なので、マッコリのカクテルに。
ザクロ酒マッコリ。
注文をきいてくれた新人っぽくてちょっと鈍臭い(毒)店員のお兄ちゃんは、ザクロシュマッコリが全然言えず、何回も噛んでいたw

食後のことを考えていなかった。
思い出の場所をめぐる?
そんなことはほぼ毎日している。
したくなくても生活圏が変わらない限り、思い出があちこちに散りばめられていて、そこらじゅうに地雷が埋まってもいる。

思いついたのは、京都タワーを眺められる駅ビルの空中経路。
たしか付き合い始めた頃に行った記憶が。
夫の前に好きになった人との思い出のコースだったが、それを夫の愛で塗り替えることができたと思ったことは鮮明に覚えている。
そんな恋人たちのルートを、こんな形で、孤独に、哀しみのなかで、辿ることになるとは。
悲劇を通り越して、喜劇!


京都タワーは和蝋燭がモチーフではないそうだ。
でも初めて見た時、蝋燭みたいだなぁと思ったし、大学のドイツ語の先生にも和蝋燭だと教えられた気がするし、夫も和蝋燭だと言ってた気がした。
実のところ、モチーフは灯台。
海のない京都(市)を照らすというコンセプトだとか。
だとして、誰がなんと言おうと、わたしにとっては和蝋燭だ。
彼が亡くなった時刻までにはまだ時間があったが、和蝋燭に見立てて祈りを捧げた。
そして、4月からはネーミングライツで「京都タワー」でなくなろうとも、どうか、わたしのこれからの未来を照らす灯台として、機能してくれ!!!
渾身の思いをこめた。

空中経路を歩きながら絶望しつつも、次のプランはすぐに決まった。
彼が息を引き取った病院に行こう!

いまだにあの病院に近づくのは辛い。
葬儀場もしかり。
でも、いやでも視界に入る。
どちらも生活圏内にあるから。

病院に辿り着いたのはちょうど「あの時刻」の数分前。
宣告された時間ではなく実質的にフラットになった時刻。
当該病院のICUを見上げながら黙祷した。
キリスト教徒でもないのに「主の祈り」が口をついて出る。
長年の習慣ってすごい。
(かつて仕事で必要だった。)

病院は都心の人通りの多い場所なので完全に不審者だったけどおかまいなし。
すれ違う人々はビビってみんなスルー。
そりゃそうだよNE!


なんでわたしを置いて行ってしまったのか!
わたしにできることはきっとあった!!
無理矢理病院に連れて行けばよかった!!!
でも、たぶん、違う。
そうはならなかった。
それが直感的にわかるからこそ、本当の意味での後悔に襲われることはない。
おそらくどうにもできなかった。

手術は成功したのに、まさかのタイミングで、別の要因で亡くなることなるなんて。
そもそもの病因は例のワクチンが遠因としてあったのかもしれないし、亡くなるきっかけとなった症状には当直医のミスがあったかもしれないし、信頼していた主治医の判断ミスがあったのかもしれないし、手術がそもそも成功していなかったかもしれない。
わたしの手から離れなくてはならない試練がどうしても「あった」としか思えない悲惨な結末。
小さな不幸中の幸いを積み重ねた結果がこれ。

神(いるかどうかは知らんが)は、とにかく奪い去った。
わたしの大切な人のいのちを。
最愛の人を、わたしから、この世から。

そういう意味では「主の祈り」なんて唱えている場合ではない。
怒って怒って怒りまくって、戦闘態勢に入らねばならない。
3年目に向けて、グリーフのステージはどうなるのだろう。
いつかわたしの心に平安や平穏が訪れるときがくるのだろうか。

追悼。
黙祷。
喪。
祈りに悼みに怒り。
さまざまな感情が交錯した、絶望的に孤独な夜であった。

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