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【二次創作】三角と吸血鬼

「……アリス、この紅茶、渋い」
そう言うと、密くんは紅茶が注がれたカップにマシュマロを大量に詰め込んだ。
「おいおい、そんなにマシュマロを入れたら紅茶の風味が台無しではないかね。それに、ワタシの入れた紅茶が渋かったことなんて今までにあったかい?」
私は自分のカップに注いだ紅茶を一口啜った。
「渋いというより、開封してしばらく経つから風味が飛んでしまっているね。ワタシとしたことが密くんの口に合わない紅茶を出してしまったとは。代わりに、密くんの好きな茶葉を調達しよう。もちろん、マシュマロも一緒にね」
これで密くんは納得するだろう。そう言って密くんに目をやると、彼は怪訝そうな顔で私を見ていた。
「……アリス、オレは味が薄いなんて言ってない」

詩を詠むことと同じくらい紅茶を淹れることには自信があるのだが、などと考えながら紅茶とマシュマロを調達して寮に戻ると、監督くんが大量のカレーを作っている最中だった。いつもなら寮の外までスパイスの香りがするので、キッチンに入るまで気が付かないとは珍しい。
「ただいま監督くん。スパイスが香らないカレーもあるのだね。どんな味か楽しみだよ」
見るからにご機嫌そうな監督くんの顔が一瞬にして曇った。
「今日はコリアンダーを多めに配合したから、寮の外まで香っているはずなんだけど……」
今日の私はどうもおかしいらしい。

夕食のカレーは味がしなかった。食後に淹れた紅茶は昼間に買ったばかりなのに香りすらしなかった。舌も鼻も駄目になってしまったのか?私は怖くなり、皆が寝静まった後、キッチンにあるありとあらゆる食材の香りを確かめたが、どれも香りは分からなかった。
「ありす〜?なにしてるの〜?」
背後から突然声がした。驚いて振り向くと、三角くんが不思議そうに私を覗き込んでいた。
「あ〜!これ、さんかくのにおいだ〜!」
三角くんは冷蔵庫を物色し、シトロンくんが握ったであろう綺麗な三角形のおにぎりをすんすんと嗅いでいる。
ありすも嗅いでみて、と言われ、ずい、とおにぎりが私の鼻目掛けて差し出される。
三角くんに倣って鼻先に差し出されたおにぎりを嗅いでみたが、おにぎりの香りは分からなかった。
しかし、おにぎりの香りとは異なる甘美な香りがした。無我夢中でその香りの元を辿った私は、気が付くと三角くんを抱きしめていた。
「オレ、そんなにいいにおいする?」
いきなり抱きしめるなんて私はやはりどうにかしてしまったのか。自分のとった行動に狼狽えていると、
「ありす、オレ以外のにおいわからないんでしょ。ばんごはんのときも様子がヘンだったもん」
そう言った三角くんは真剣な目をしており、私は正直に打ち明けることにした。

「そっかぁ、においもあじもわからないなんてかなしいね」
三角くんは本当に悲しそうな顔で私を見ていた。
「三角くんが気にすることはないよ。確かに香りも味も分からないのは悲しいとは思うがね、香りや味が分かるように振舞っていれば、演技の幅も広がると考えているのだよ」
私は心配をかけまいと、できる限り前向きな言葉を彼に向けて発した。
「でも、オレはやだよ。ありすはいつもすてきな し をよんでくれるもん。オレ、ありすがおいしいとおもうものをもってくるよ」
そう言うと、三角くんは台所から消えていた。

「おはよ〜ありす!これたべてみて!」
その声で目を覚ますと、三角くんがベッドの梯子に登ってズボンのポケットからごそごそと何かを取り出し、じゃらじゃらと小さな三角形の何かを掛け布団に並べていた。
「さんかくさんかく〜!さんかくはおいしいよ〜」
よく見るとそれらは三角形のチョコレートや飴玉や小石だった。寝起きで物を食べるのは気が引けたが、チョコレートを口に放り込む。三角くんのポケット中で温められた生ぬるい食感の固形物が、口の中で溶けてゆき、なくなった。味はしなかった。
「しょぼ〜ん、チョコレートもだめか〜。でも、オレのいちばんのおすすめはこっち!」
三角くんは綺麗な正三角形の小石を私の口元に近づける。
「おいおい、小石は食べ物ではないよ。綺麗な形をしているから、私イチオシのインテリアスペースに飾っておくとしよう」
そんなやり取りをしている間、ずっと三角くんから放たれる香りで脳みそがクラクラしていた。チョコレートにも飴玉にも食欲は唆られなかったが、三角くんのことを''食べたい''と思った。彼の香りは私の食欲を刺激するのには十分すぎた。
「ありす、オレのこと''おいしそう''っておもったでしょ。ありすにならたべられてもい〜よ!それじゃあおいしいさんかくをさがしにいってくるね〜!」
三角くんは軽やかな身のこなしで梯子から飛び降りると、そのまま205号室を後にした。

密くんを起こしてリビングに向かい、団員の皆と味のしない朝食を食べ、執筆中の詩集の打ち合わせのため出版社へと向かった。
「有栖川さん、最近物騒な事件が増えたと思いませんか?」
詩集の打ち合わせが終わった後、担当者が話しかけてきた。この担当者が時事ネタを振ってくるとは珍しい。私は毎朝新聞やニュース番組にはひと通り目を通しているので、特にどの事件について気になっているのか訊ねてみた。
「ネット記事で読んだんですけどね、仲の良い恋人間での殺人事件が増えてるんですよ。痴情のもつれならともかく、仲は円満なんだとか。人間の心理は怖いですよね〜。あっ、しかも、ただの殺人ではなく、食べちゃうだとか食べられちゃうだとか?ネット記事なんでよく分からないですけど、人間が人間を食べるって……。あれ、有栖川さん聞いてます?どうかしました?」
物騒な内容に気を取られ、相槌を打つのを忘れていた。
「江戸時代ならともかく、食に溢れた現代社会で人間が人間を食べるわけが無いだろう。それに、新聞やニュース番組では取り上げられていないのだから、デマだと思うがね」
人間が人間を食べる、その言葉にどきりとした私は、そそくさと会話を切り上げ出版社を後にした。

寮に向かう電車の中で担当者から教えてもらった事件について調べてみると、恋人間での殺人事件を取り上げたネット記事が多数ヒットした。特徴としては、どのカップルも傍目に見ても仲睦まじいことから痴情のもつれとは考えられず、また、被害者の遺体は食いちぎられたような無惨な状態だったとのことだ。
人の心情には疎い私だが、記事を読んで加害者側、つまり記事の内容が事実だとしたら恋人を食べてしまった側の動機を想像できてしまった。
これらの加害者は私と同じように食べ物の味や香りが分からなかったのではないか?恋人にのみ食欲を駆り立てられていたのではないか?そして、その衝動を抑えきれなくなってしまったのではないか──?私と三角くんは恋人同士ではないが、私も加害者になってしまうかもしれないという恐怖に飲み込まれた。早く眠ってこの現実から少しでも逃れたい。

寮に戻ると、三角くんが屋根から飛び降りてきた。
「ありす、いいさんかくをみつけてきたよ〜!」
彼はポケットから右手を出し、握りこんだその手を私の目の前に突き出す。
「ただいま三角くん。今日はどんな三角を見つけたんだい?」
先程まで落ち込んでいた気分も、三角くんが私の帰りを待っていてくれたことを思うと晴れてくる。
──開かれた三角くんの右掌には、毛と血がこびり付いた三角形の何かが置かれていた。
「ここらへんをよくあるいている ねこさん の みみ だよぉ〜」
三角くんはきらきらとした瞳で切り取られた猫の耳と私を交互に見つめている。
私はヒッと小さく声を上げた。
「おひさまがよくあたるばしょで ひなたぼっこしてたから ふかふかでいいにおいがしたんだよ〜。ありす、いいにおいすきでしょ?」
それに、きれいなさんかくだし!と三角くんは続ける。私が嬉しそうな顔をするまで彼は続けるだろう。可愛がっていた猫の耳を切り取るなんて信じられない、と思うと同時に、私のためにこんなに残虐な行為に及ばざるを得なかったのかと申し訳ない気持ちが浮かんでくる。
「……三角くん、気持ちは嬉しいが、それは受け取れないよ。ワタシのために動物に痛い思いをさせるのはやめてくれたまえ」
それだけ絞り出すと、私はおぼつかない足取りで205号室に向かった。
「どうぶつは だめ、かぁ」
背後から聞こえた三角くんの呟きに何か危険な予感を覚えたが、それどころではなかった私は聞こえなかったことにした。
生きた猫の耳を切り取るという凶行への恐怖と、猛烈に食欲を掻き立てる三角くんの香りが混じり合い、理性を保つことで精一杯だった。

ギャーッ!!!!!誰か来てくれ!!!!!
悲鳴と助けを求める怒号で目が覚めた。何事かと思い慌てて廊下に出ると、悲鳴と怒号は1階から発せられているようだった。寝ぼけ眼のまま階段を降りようとした瞬間、食欲を掻き立てる香りが鼻腔をくすぐる。顔を上げると、目の前に血塗れの三角くんがいた。おはよう三角くん。何事かね、と言いかけると、しぃ〜っと黙らせられる。
「こいしでも どうぶつでもない さんかくを とってきたよ」
三角くんは小声でそう呟き、乾いた血がこびり付いた左手を差し出して、開いた。

――目玉と目が合った。

うわぁあぁああああア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!!
「あれ?これもだめだった?」

私は悲鳴をあげながら意識を手放した。
意識を手放す直前に、血塗れの三角くんが私を覗き込みながら残念そうに呟いていた気がした。

ぱちんっ、ばちんっ。
頬に痛みを感じて目を開けると、三角くんが無表情で私の頬を叩いていた。
やっとおきた、と言う三角くんは、私が痛みを和らげるために頬を摩っていることにはまるで無関心だった。三角くんの三角印のトレーナーには血がこびりついたままだ。血がこびりついているせいなのか、三角くんの香りがいつにも増して強い。
辺りを見渡すと、錆びた鉄骨や鉄の塊が散らばっていた。
「ここはね、オレが寮にくるまえに よくきていた ばしょ」
私が尋ねる前に三角くんが説明してくれた。
「何故ここにワタシを連れてきたんだい?寮の皆はどうしたんだい?……そういえば、この間のことは──」
私の話を遮るように三角くんが私の頬を叩く。
「それよりまえに いうことあるでしょ」
無表情のままの三角くんにそう言われ、何を言うべきなのかを考えるが思考がまとまらない。
考え込みながら口元に手を添えると、パリパリと薄く赤黒いものが剥がれ落ちた。
「たべてみて」
三角くんはそう言いながら剥がれ落ちた何かを拾い、私の口の中に押し込む。
条件反射で舌で溶かしたが、味が分からないので何だか分からない。
「これの ち」
三角くんが剥き出しの目玉を私の口に押し付けながら言う。
私は悲鳴を上げ、この間のように失神しそうになり、つい先程のように頬を叩かれる。
「ありすのいったとおり、こいしでも どうぶつでもない さんかくだよ。これも だめ とか いわないよね」
「痛ッ……叩かないでくれ、それに、その目玉……丸くて三角ではないと思うのだが……」
「さんかくだよ。さんかくだったの。オレをどなりつける目。これはさんかくだよ」
三角くんは聞く話によると家庭環境があまり良くなさそうだから、寮に来る前は家族から日々怒鳴られていたのかもしれないし、学校では教師や級友から奇想天外な行動を疎まれていたのかもしれない。彼を咎める人たちの目が、鋭く尖った三角形に見えていたのかもしれない。いや、寮で悲鳴が聞こえたから、団員の誰かが──?
廃倉庫と思しき場所で、いつも笑顔の三角くんが無表情で私を見つめながら血塗れの目玉を私の口元に押し付けている。そんな異常な状況下で、私は彼の生育環境や団員の安否について思いを馳せた。
「かんがえごとはおわった?オレはおわったよ」
三角くんはポケットからスーパーさんかくクンのキーホルダーが付いたサバイバルナイフを取り出し、そのまま親指の付け根に突き立てた。
何をしているのかね!?と言いかけて開けた口に、三角くんの血飛沫が飛び込む。

口の中いっぱいに広がる、味、味、味。
甘くてまろやかな風味に視界がチカチカする。
鉄臭さはまるで無い。

「ありすのうれしそうなかお!やっぱりこれじゃなきゃだめだったんだね」
私が三角くんの血の味に酔いしれている間に、彼はなんと親指を切断し終わっていた。
三角くんの体から離れてしまった親指を口元に押し付けられる。
その瞬間、私は自ら口を開き、親指を口の中に放り込んでいた。血飛沫とは比べ物にならないくらいのフルーティな風味に理性が吹き飛び、骨を限界まで噛み砕いて飲み下す。骨は紅茶と一緒に食べていたクッキーのように感じられた。

──

どれくらい時間が経っただろうか。
私と三角くんは川辺に寝そべっていた。
「やっとおきたね〜。そんなにおいしかった?これからものませてあげるけど、オレ、ふらふらだよ〜。ありす、吸血鬼みたいだった!」
二人とも、手も顔も服も血塗れだ。三角くんは嬉しそうに笑っている。親指の付け根には、スーパーさんかくクンの絆創膏が何重にも貼られていた。
「……本当に済まない、三角くん、ワタシは……ワタシは……」
ペちんっと両頬を軽く叩かれる。
「ありすがおいしいおいしいって笑ってて、オレうれしかったんだよ。だからそんな哀しそうなかおしないで」
先程の「ありす、吸血鬼みたいだった」という言葉が引っかかり、私は柄にもなく口篭る。
「天鵞絨町からもっとはなれようかぁ。せおってあげるから、し、よんでよ」
よいしょ、と軽々おんぶされて、ポエムをせがまれ、私は今までに起きた全ての出来事が遠い世界のように感じられた。
「そうだね、三角が沢山入ったポエムを詠んであげよう。だから、出来る限り早くここから離れてくれたまえ」
「うん!やっと笑ってくれたぁ。オレ、ひとをきずつけちゃったし、もうここにはいられないね。ありすも。べつのばしょで別人の演技をして、2人でいきていこう。」
 
私は三角くんの背中の上で頷いた。
彼はそれを受けて走る速度を上げた。
三角を追い求める底知れない犯罪者と、特定の者の味しか感じられない吸血鬼が川辺を駆け抜ける。
二人とも笑っていた。全身血塗れのまま。

私たちはMANKAIカンパニーで培った演技力を活かして生き延びてゆくのだろう。
二度と戻れない故郷を想いながら、それでも前に進む。
生き血を吸いポエムを吐き出して。

 







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