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【古代史 基礎講読 02】聖武天皇の願い ~国分寺建立の詔~

九條です。

いまから1280年ほど前の天平13(741)年3月14日のこと[01]。

聖武天皇[02]は、各国に国分寺と国分尼寺を造ることを発願し、その思いを「国分寺建立のみことのり」として発布しました[03][04]。

その聖武天皇の願いを読み解いてみたいと思います。

原文は漢文ですが、読み下してみると非常に美しくリズミカルで格調高い古代日本(奈良時代)の文章です。お時間がお有りの時にでも、ぜひ味わってみてください。

ですから今回の「読み下し」は、いつもよりかなり丁寧に「ふりがな」をつけてみました。^_^

※なお、今回の講読内容は、去る2024年1月18日に投稿した以下の【古代史 基礎講読 01】『聖武天皇のこころ ~大仏造立の詔~』よりも少しだけ難しくなっています。ですから今回は「読み下しのための基礎的な語句解説」もつけてみました。^_^

今回の聖武天皇の「国分寺建立の詔」は、日本史(とくに古代史)においては基礎的な文献のひとつとなっています。「大仏造立の詔」よりもメジャーな文献です。

では、早速…。

【原文】
乙巳、詔曰、朕以薄徳、忝承重任。未弘政化、寤寐多慙。古之明主、皆能光業、国泰人楽、災除福至。脩何政化、能臻此道。頃者、年穀不豊、疫癘頻至。慙懼交集、唯労罪己。是以、広為蒼生、遍求景福。故前年、馳驛増飾天下神宮。去歳、普令天下造釈迦牟尼仏尊像、高一丈六尺者、各一鋪、并写中大般若経各一部。自今春已来、至于秋稼、風雨順序、五穀豊穣。此乃、徴誠啓願、霊※〔目兄〕如答。載惶載懼、無以自寧。案経云、若有国土講宣読誦、恭敬供養、流通此経王者、我等四王、常来擁護。一切災障、皆使消殄。憂愁疾疫、亦令除差。所願遂心、恒生歓喜者、宜令下天下諸国各令敬造七重塔一区、并写金光明最勝王経、妙法蓮華経一部。朕、又別擬、写金字金光明最勝王経、毎塔各令置一部。所冀、聖法之盛、与天地而永流、擁護之恩、被幽明而恒満。其造塔之寺、兼為国華。必択好処、実可久長。近人則不欲薫臭所及。遠人則不欲労衆帰集。国司等、各宜務存厳飾、兼尽潔清。近感諸天、庶幾臨護。布告遐邇、令知朕意。又毎国僧寺、施封五十戸、水田一十町。尼寺水田十町。僧寺必令有廿僧。其寺名、為金光明四天王護国之寺。尼寺十尼。其名為法華滅罪之寺。両寺相去、宜受教戒。若有闕者、即須補満。其僧尼、毎月八日、必応転読最勝王経。毎至月半、誦戒羯磨。毎月六斎日、公私不得漁猟殺生。国司等宜恒加検校。

※目+兄(目へんに兄)

(『続日本紀』天平十三年三月乙巳条より[05])


【読み下し】
(天平十三年三月)きのとみことのりしていわく、ちん薄徳はくとくを以て、かたじけなくも重任ちょうにんくれども、政化せいかいまだ弘まらず、寤寐ごび多慙たきなり。

いにしえの明主は、皆な光業こうごうくす。国やすらかに人楽しみ、災を除き福至る。何の政化を修めてか、く此の道をいたさんや。

頃者ころは年穀ねんごく豊かならず疫癘えきれいしきりに至る。慙懼ざんくこもごも集う、ただ労己の罪なり。是以これをもって、広く蒼生そうせいの為にあまねく景福を求む。故に前年さきのとし、使いを馳せて天下てんげの神宮を増飾す。

去歳さるとし[06]、あまね天下てんげに令して釈迦牟尼仏しゃかむにぶつ尊像、高さ一丈六尺、おのおの一鋪を造り、ならびに大般若経おのおの一部を写さしむ。今春このはるより已来このかた秋稼しうかに至るまで風雨順序、五穀豊穣ならん。

此れすなわち、まことあらわねがいひらき、霊※〔目兄〕りょうきょう答ふる如し。載惶載懼たいごうたいぐ。以って自寧無し。経[07]を案ずるに云く、

し国土ありてこの経王を講宣読誦こうせんどくじゅ恭敬供養くぎょうくよう流通るつうせば、我等四王しのう[08]、常に来りて擁護せん。一切災障、皆消殄しょうてんせしむ。憂愁疾疫もた除差せしめ、所願は心に遂げてつねに歓喜を生ぜしむ

と。宜しく天下てんげの諸国をして、おのおのつつしみて七重塔一区を造り、ならびに金光明最勝王経[09]、妙法蓮華経[10]おのおの一部を写さしむべし。ちん又別に擬して金字こんじの金光明最勝王経を写し、塔ごとにおのおの一部を置かしめん。

こいねがうう所は、聖法しょうぼうの盛んなること天地とともに永くながらえ、擁護の恩幽あきらかかぶらしめてつねに満たんことを。

造塔ぞうどうの寺は、兼ねて国の華なり。必ず好処をえらび、実に久長ならしむべし。人に近ければ則ち薫臭くんじゅうの及ぶ所を欲せず。人に遠ければ則ち衆の労して帰集するを欲せず。

国司くにのつかさ等、おのおのの宜しく厳飾ごんしょくを存し、兼ねて潔清けっせいを尽くすに務めよ。近きは諸天を感じ庶幾こいねがわくは臨護せんことを。

遐邇かじに布告して朕が意を知らしめよ。

またくにごと僧寺そうじ[11]にはふう五十戸、水田十町、尼寺にじ[12]には水田十町を施せ。僧寺には必ず廿にじっ僧有らしめ、の寺の名を金光明四天王護国之寺こんこうみょうしてんのうごこくのてらとなせ。尼寺にじには一十いちじっありて、の寺の名を法華滅罪之寺ほっけめつざいのてらとなせ。両寺相去あいさり、宜しく教戒を受けよ。若しけつ有らば即ちすべからく補いてみたすべし。

その僧と尼、毎月つきごとの八日に必ずまさに最勝王経を転読せよ。月半ばに至るごとに戒と羯磨かつまを誦し、毎月つきごとの六斎日ろくさいのひには公私に漁猟殺生すること得ざれ。

国司くにのつかさ等宜しくつね検校けんぎょうを加うべし。

※目+兄(目へんに兄)

(九條による読み下し)


◎読み下しのための基礎的な語句解説
【重任】(ちょうにん)重い責任
【寤寐】(ごび)寝ても覚めても
【疫癘】(えきれい)疫病、流行病
【慙懼】(ざんく)自分の恥を恐れる気持ち
【蒼生】(そうせい)人々のこと
【天下】(てんげ)普天の下。「てんか」は漢音読み
【霊〔目兄(目へんに兄)〕】(りょうきょう)神霊からの賜りもの
【講宣読誦】(こうせんどくじゅ)多くの人に読み聞かせ、内容を講義すること
【恭敬供養】(くぎょうくよう)心から敬って供養すること
【流通】(るつう)広く行き渡らせること。仏教では「るつう」と読む
【四王】(しのう)護世四王(こせしのう)即ち四天王のこと
【聖法】(しょうぼう)仏の教え。仏法。仏教
【諸天】(しょてん)諸天善神(しょてんぜんしん)。護法善神とも言う。仏教の守護神たち
【遐邇】(かじ)(都から)遠い所も近い所も
【廿】(にじゅう)二十
【教戒】(きょうかい)仏教の教えと戒律
【闕】(けつ)欠員
【須く】(すべからく)必ず、速やかに
【転読】(てんどく)長大な経典に対して全文を読まずに経題や主要部分だけを抜粋して読むこと←→全文を読むことは「真読」
【羯磨】(かつま)仏教の儀式。または儀式の所作を記した文書
【六斎日】(ろくさいのひ/ろくさいにち)毎月8日・14日・15日・23日・29日・30日。律令下においてはこの日に殺生を禁じていた
【検校】(けんぎょう)調査、監査



【意味(現代語訳)】
(天平十三年三月乙巳 きのとみの日に聖武天皇は)詔でおっしゃった。

私は徳の薄い身でありながら、かたじけなくも天皇という重い責任の地位につかせていただいています。けれども、いまだに人々を教え導く良い政治ができず、寝ても覚めても恥ずかしい思いでいっぱいです。この自分の至らなさを情けなく感じ、私は果たして天皇に相応しい人間なのだろうかとの恐れで心がいっぱいです。

昔の名君は、みな代々の仕事を良く受け継いで国家は安泰で、人々の暮らしは楽で、災害もなく幸せに満ちていました。一体どのようにすれば私にもそのような政治ができるのでしょうか。

このごろは実りが豊かではなく、疫病も流行しています。それを見るにつけて私は恐れ、自責の念に駆られています。そこで、広く人々のために大きな幸せをもらたしたいと決意しました。以前には諸国に駅馬を走らせて各地の神社を修繕しました。

さらに(天平9年11月には)一丈六尺(丈六=約4.8m)のお釈迦さまの像一体を造らせ、あわせて大般若経を書写させました。その甲斐あってかその年は春から秋の収穫の時期まで天候が順調で穀物も豊作でした。これは神仏に私の真心が伝わったためであり、神霊からの賜りものだと言うことができると思います。その霊験は恐ろしいほどのものでした。

『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』を読むとそこには、

「もし世の中に対して広くこの経を講義したり、読経暗誦したり供養をしたり、広く人々の間に行き渡らせれば、仏教を護り国を護り世の中を護り民を護る護世四王こせしのう(四天王)は常に来りてその国と民を守り、一切の災いは消滅し、人々の憂いや疫病もまた除去され、心のままに願いが叶えられ、歓びに満たされるであろう」

と記してあります。そこでいま私は再び各国に命じて謹んで七重塔それぞれ一基を建立し、あわせて『金光明最勝王経』と『妙法蓮華経』おのおの一部を写経させることにします。私もまた別に、金の文字で金光明最勝王経を書写して各塔に一部ずつ納めようと思います。

私の願いは仏教が興隆し、天地ともに永く続き、仏の守護の恩恵が現世から来世までずっといつまでも満ちることなのです。その七重塔を持つ各国の国分寺は国の華でありますから、必ず良い場所を選んでいつまでも長く久しく続くようにしてください。

その国分寺の場所については、人々の集落に近すぎて生活臭を感じさせるようなところは良くありませんし、かと言って人々の集落から遠すぎて人々が国分寺に集ったり国分寺から自宅へ帰ったりするのに苦労するような場所でも良くありません。

国司などの役人は国分寺を厳かに飾るように努めてください。常に清浄を保つように尽くしてください。人々が国分寺へ来れば、仏や仏教の守護神たちが護ってくださっていることを実感できるような場にしてください。

みやこからの遠近を問わず、国中にこのみことのりを布告して、私のこの願いを人々にしっかりと伝えてください。

(ここまでは聖武天皇が国分寺を建立する意義を述べています)
-------------------------------------------------------------------------------------(ここから以下は、聖武天皇から各国の国司などの役人たちへの命令になります)

各国の国分寺には寺の財源として封戸を五十戸、水田十町を施し、各国の国分尼寺には水田十町を施すこと。

各国の国分寺には必ず20人の僧を住まわせ、寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」とすること。また各国の国分尼寺には10人の尼僧を住まわせ、寺の正式名称は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」とすること。これら2つの寺は離れていなければならない。そしてこれらの寺の僧と尼僧は共に仏の教えを学び戒律を受けるようにすること。もしその僧や尼僧に欠員が出たときは必ず速やかに補充すること。

各国の国分寺と国分尼寺の僧と尼僧は毎月八日に必ず金光明最勝王経を読み、月の半ばには戒律と様々な儀式の取り決め事を暗誦すること。また毎月の六斎日には公私ともに漁や狩猟をしてはならない。

国司などの国の役人においては、常に以上のことが正しく守られているかの調査を怠らないようにしてください。

(九條による現代語訳)


【註】
[01]平安期の『類聚三代格』に拠れば二月十四日
[02]第45代天皇。平城宮または紫香楽宮か?/741(天平13)年9月には恭仁京(山背国相楽郡/京都府木津川市)京域に左京右京を定めたが結局この恭仁京は完成することはなかった
[03]『続日本紀』天平十三年三月乙巳条
[04]律令下においては基本的には天子による臨時の意思表示を「詔」とし、常時ものを「勅」とした(『令義解』による)
[05]国史大系版『続日本紀』(前編)吉川弘文館 1974
[06]天平九年十一月
[07]金光明最勝王経
[08]護世四王
[09]『金光明最勝王経』は古代において護国経典(国を護り国の民を護り平和と幸福をもたらす経典)とされていた
[10]『妙法蓮華経』(略して『法華経』)は古代において『薬師経』とともに滅罪経典(人々の罪や穢れの一切を消滅させる経典)とされていた。なお古代を通して見ると『妙法蓮華経』よりも『薬師経』のほうが重んじられていたと言える
[11]国分僧寺。国分寺(正式名:金光明四天王護国之寺)のこと
[12]国分尼寺(正式名:法華滅罪之寺)のこと


※1997年に行なった市民講座向けの講義ノートから抜粋・編集しました。


©2024 九條正博(Masahiro Kujoh)
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