キラキラ泡

ひゃくねんたったらだあれもいない

「地ビールの泡(バブル)やさしき秋の夜 ひゃくねんたったらだあれもいない」
俵万智「チョコレート革命」より

私、この歌が大好きなんです!
なんともやさしく、せつない歌だなぁと。

語感もやさしい。
だけど、後半はひらがなで子どものようにあっけらかんと事実を告げる。
事実なだけに酷だなぁ~と私は思う。

百年経ったら、周りの人はほぼいません。うちの子が長寿なら生きていると思いますが、私はいないですね。夫も。両親も。友人も、仲間も、お師匠さんたちも。

あたりまえだのクラッカー並みに当たり前すぎることに関して、私たちは特に意識することもなく日常を過ごしてしまう。

地ビールの泡のように儚い人生だなぁ・・・とまで感傷的にならなくても、この秋はあと何回、私に巡ってくるだろう?あと何回、秋が旬なさんまを食べられるだろう?

私は、たまにそんなことを思う。人生の折返し地点を迎えた大人にとって、旬なもの、一緒にいる人、一緒に過ごす時間は、決して決して何度も潤沢に味わえる保証はないのだ。

あのフレンチポップが好きだと語った青年は、いつものように笑顔で挨拶を交わし、あっけなく旅立ってしまったのだ。またいつでも会おうと思えば、すぐ手が届くところにいると思っていた。

後悔というか、、、またすぐにでも、いつでも会えると思っている私がいる。そんな私が置いてきぼりなんだ。彼が存在していないという現在から。

お別れを予め知ることができるのは、幸せなことかもしれない。
去る方も、残る方も、お別れまでの時間をそうと分かっていて過ごせるから。

そんなことを言ったら、みんなお別れまでの時間を共有していることには変わりはないんだけど。終わりが分からないと、ずっと続くと思ってしまう錯覚がある。そのおかげで、みんなしんみりしなくて済むのだが。

大好きな人がいたら、ぜひその気持を伝えてほしい。
あとで、なんて出し惜しみしてとっておかなくていい。
いま目の前の人とリアルに一緒にいること。
大事にして、味わってほしい。
.
.
.


そんなことを思い出させてくれた冒頭の短歌。
この短歌を詠んだ俵万智さんが、noteに参加を始めたと知って徒然と書きました。

よろしければ、万智さん著書の「恋する伊勢物語」「サラダ記念日」「チョコレート革命」など読んでみてくださいね。短歌の世界が広がります。

大好きな尊敬する歌人の方と同時代を生きているってうれしいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?