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クリストファー・ノーランと航空機 〜前編〜

クリストファー・ノーラン監督の映画には、実に多様な航空機が登場する。『TENET テネット』でオスロ空港に突っ込んだジャンボジェット機、『インセプション』でロバートが搭乗を断られたビジネスジェット機、『ダークナイト・ライジング』で空中分解したターボプロップ旅客機、そして『ダンケルク』で素晴らしい活躍を見せたスピットファイア。
これらの航空機は各々がストーリーに密接に関係する非常に効果的な役割が割り振られており、今やノーラン作品には欠かせないアイコンのひとつと言っても過言ではない。

本記事ではノーラン作品に登場した航空機の特徴や魅力、機体記号を含むオリジナルの塗装、変遷、また航空機が使用されなかった作品とその理由について前後編に分けて言及する。

│ 作品内で初めて登場した航空機

ノーラン作品に初めて航空機が登場したのは『インソムニア』(2002)である。アラスカで起きた殺人事件の捜査のため、ロス市警から二人の刑事が現地に向かう際に搭乗したのがビーチクラフトモデル18だ。

ビーチクラフトモデル18

ビーチクラフトモデル18は、アメリカのビーチ・エアクラフト社が開発したレシプロ軽双発輸送機である。「レシプロ」はエンジンの一種で、サイクルの全行程をシリンダとピストンだけで行うエンジンを指す。「軽」は軽飛行機の略で、その名の通り小型の飛行機のことだ。「双発機」とは左右の主翼に一基ずつのエンジンを搭載した航空機を示す。
劇中で使用された機体には、オプションで水上飛行用の降着装置(通称フロート。浮きのこと)が取り付けられている。ビーチクラフトモデル18は革新的な設計と高性能で爆発的な受注数を誇り、軽双発機市場の黎明期となる画期的な機体となった。

『インソムニア』に続き『バットマン・ビギンズ』(2005)では2機の航空機が登場した。ガルフストリーム・エアロスペース社のビジネスジェット機ガルフストリームVと、フランスのアエロスパシアル社が開発したユーロコプター エキュレイユだ。

ガルフストリームV
ユーロコプター エキュレイユ

ガルフストリームVは、冒頭で行方不明となっていたブルースを迎えに行く際にアルフレッドが搭乗していた航空機である。この航空機は非常に優れた航続性能を備える民間用のVIP輸送機で、米軍やアメリカ沿岸警備隊、政府機関、日本の海上保安庁などでも運用されている。ブルースのような富裕層の要人が利用するのも納得の機体である。

ユーロコプター エキュレイユはゴッサム市警がバットモービルを追跡するために使用した軽量ヘリコプターで、劇中での機体記号は「N450CC」と塗装されている。「機体記号」とは航空機を識別するために付けられた個別の記号のことで、国籍記号と登録記号によって構成される。主に最初の2〜3文字でどこの国に属する機体かわかるようになっているが、劇中に登場した機体に記されていた「N4」という記号に当てはまる国はない。これはゴッサムシティが架空の都市であることに起因する。

シリーズの続編である『ダークナイト』(2008)では、前作より更に多い6種類の航空機が登場する。ここではその中でも特に印象的だったHU-16ロッキード L-100 ハーキュリーズを取り上げる。

HU-16
ロッキード L-100 ハーキュリーズ

HU-16はアメリカのグラマン社が開発したレシプロ双発水陸両用飛行艇である。「飛行艇」とは、水上発着できる機体のうち胴体部分が直接水面に接するように設計された航空機のことだ。
先ほど言及した『インソムニア』のビーチクラフトモデル18はフロートを取り付けることで水面発着が可能になる(胴体で着水するわけではない)ため、飛行艇ではなく飛行機に分類される。
この飛行艇はもともと第二次世界大戦でアメリカ空軍が使用していた機体の後継機で、パイロットが墜落した際の捜索救難機として設計された水陸両用機である。『ダークナイト』ではブルースが香港でラウを捕まえるためにロシアのバレエ団との(偽装の)休暇を抜け出した際に、海上で当機が登場した。

ロッキード L-100 ハーキュリーズはアメリカのロッキード社が開発した民生機(一般家庭での使用を目的とした機体)で、元は軍用飛行機として使用されていた機体を改良したものである。
劇中に登場したのはL-100-30というモデルで、先行機の胴体を更に2.03m延長したモデルだ。胴体がより長い機体を使うことで気球や引き上げ用ロープ等の嵩張る積載物の搭載が可能になり、スカイフック(地上にいる人間を航空機によって回収するためのシステム)の描写に説得力を生んだ。

ダークナイト三部作の最終章である『ダークナイト・ライジング』(2012)では、オープニングシーンから2種類の機体が激しい展開を見せる。ここで登場するのがエンブラエル EMB110 バンデイランテC-130Aだ。

エンブラエル EMB110 バンデイランテ
C-130A

エンブラエル EMB110 バンデイランテはブラジルのエンブラエル社が開発したターボプロップ機で、商業用の旅客機である。「ターボプロップ」はエンジンの一種で、ガスタービンの軸出力でプロペラを駆動させ推進力を得るエンジンを指す。
前述のレシプロエンジンはサイクルの全行程をシリンダとピストンだけで行うのに対し、ターボプロップエンジンは圧縮された空気で燃料を燃やし、その燃焼ガスでタービンを駆動させる。レシプロエンジンは騒音や振動といった難点があるが、ターボプロップエンジンは燃費が良く静粛性に優れているため、近年では多くの航空機に使用されている。
劇中のエンブラエル EMB110 バンデイランテもターボプロップエンジンを搭載した航空機だ。パヴェル博士や傭兵を輸送するために用いられた旅客機のため、救助体制の設備やミサイル等の搭載はなく、攻撃力はない。
この機体はベインの策略により空中分解して墜落するが、ここでベインをスカイフックによって回収したのがロッキード社の航空機C-130Aである。

前述のロッキードL-100ハーキュリーズ(ブルースがスカイフックのために使用した機体)は民生機だが、C-130Aは軍事用に設計された輸送機だ。当機は翼下に追加の燃料タンクが取り付けられており、第二次世界大戦後は戦術輸送機として最多の生産量を誇ることで知られている。
スカイフックを行うという同様の目的でも、ブルースが使用した機体は民間用、ベインが使用した機体は軍事用であることを考慮すると、双方の闘いに対する方向性に明確な違いが見えて面白い。

ちなみに当機の機体記号である「ZS-NVB」だが、「ZS」は南アフリカ共和国の国籍であり、実在した機体である。当機は撮影のためにスコットランドのインヴァネス空港近郊に運ばれ、撮影後は回収されて南アフリカで貨物用の定期便として再利用されたが、2013年に霧による視界不良が災いして墜落。この事故で惜しくも2名が死亡した。

│ 航空機が登場しないノーラン作品

ノーラン作品において重要な立ち位置を占める航空機だが、『ダークナイト・ライジング』以前に航空機が登場しない映画が2作品ある。『メメント』(2000)と『プレステージ』(2006)だ。

『メメント』はノーラン監督がハリウッドで注目されるきっかけとなった作品だが、低予算で製作されたこと、またストーリー展開が一つの街に留まることから航空機は登場していない。『プレステージ』は19世紀末のロンドンが舞台であり、当時は蒸気機関車が普及し始めた時代だったため、ここでも航空機が姿を見せることはない。
ちなみにライト兄弟が世界で初めて有人動力飛行に成功したのは1903年で、航空機としての実用化が進んだのは第一次世界大戦(1914〜1918)以降である。

後半では、中期〜後期のノーラン作品に登場する航空機について言及する。