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『Generique』vol.1 【小説】

モノクロ写真が好きだ。


赤いランプの車に、追いかけられるのは、ごめんだが、赤ランプのこの部屋に入ると、どこよりも、心が安らぐ。
 
溶液を準備して、印画紙を現像液に浸す。
この瞬間が見たくて、写真を撮っているんじゃないかと思う。

〝専用〟のデジカメも出る中で、手焼きのプリントにこだわるのは、ただこの一瞬のため、かも知れない。

停止液、定着液、そして水洗い、これを繰り返す。


この事務所に入って、自分専用の、暗室をもらえると知ったときは、俺にも、やっと運が巡って来たと思った。
小さな芸能プロダクションで、外部の写真家を使っていたが、アメリカ育ちの社長が、より自分好みの戦略で、日本に打って出るために、新しく写真部を社内に設けた。

ニューヨークのスタジオで、アシスタントをしていた駆け出しの俺を、育てるつもりで拾ったのだという。そう言いながら、社長は、いっさいの設備、機材の購入に口を出さず、俺に任せた。

信じられなかった。 

社長の、その気風の良さが、事務所を、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いで、大きくしたのかも知れない。ここ数年は、田舎の両親に言っても、分かるような若手タレントを、次々に抱えるようになった。
 

暗室の扉を、だれかがノックした。
はい、と返事して、ドア越しに用件を聞く。

「警察です」

はっ? 思わず、トングに挟んだ印画紙を、落としそうになった。

「新木くん、麻布警察署から、お巡りさん。
 ちょっと、ここ開けて良い?」

総務の北川さんの声が、後ろから聞こえた。

ドアを開けると、刑事らしき男が、図体ばかりデカいお巡りの後ろから、行く手をふさぐように現れた。

「あなたは社長の指示で、タレントの写真を撮
 っていたそうですが・・・」

数年前から、取引先のひとつである、大手プロダクションで、性虐待のスキャンダルが噂されていた。とうとう、うちの社長にも、警察の捜査が入ったというわけか。

北川さんが、暗室の入口から、無遠慮に中をのぞいている。

写真部とは実質、俺だけの部署で、暗室に入れる人間は限られていた。社長と、営業のハナだけだ。というか、ハナは俺が特別に入室を許した、唯一の同僚だった。
 
 

ハナは、俺が入社したのと同じころ、あるタレントのマネージャーとして付いて来て、そのまま事務所に雇われた。
かつては自身も、女優を目指していたらしい。いくつかのサスペンスドラマと、大河の端役に出ていたが、三十を過ぎて引退し、就職することにしたのだという。


ハナは写真が好きだった。
仕事に似合わず、写真を撮られることが苦手で、自分は被写体ではなく、撮る方が好きだと、女優をしているときに気がついた。

だけど、写真家になるほど、わたしガッツは無くて。新木さん、すごいね、と言った…

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(続)

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