『Sunday Morning』 vol.1 【小説】
ー京都 1956年ー
暑い一日になりそうだ。
今日の試合は、御所のコートだから、六時半に出れば間に合うが、古川のやつがまだ来ない。
古川の家は、北白川で食堂をやっている。
ウチではめったに出ない、ハムカツというのを、古川の父親が出してくれるんだが、これがめっぽう旨い。練習の帰りに、わざわざ遠回りしてやつの家に寄ると、
「なんや、今、帰りかいな
めし、食うてくか?」
と親父さんが、厨房から声をかけてくれる。お袋さんが、かっぽう着で手を拭きながら出て来て、
「おかえり、まあ汗臭いわー
二人とも、はよ水浴びといで!」
と、ぼやぼやしてると、水でも掛けられそうな勢いで、追い立てられる。
古川と二人で、井戸の水を頭から掛け合って、さっぱりして出てくると、食堂の隅のテーブルには、もう揚げたてのハムカツが載っている。
「八木くん、お姉さん、どうや?」
どんぶり飯にハムカツをほお張っていると、お袋さんがコップに水を足しながら尋ねる。
「なんも、変わりあらしまへん
古川くんのおじさんおばさんには、いつもおおきに、言うてます」
箸を置いて、口の中のものを、急いで飲み込んで、答える。
隣で古川が、
「お母ちゃん、毎度、同じこといらんでくれ
八木も、困ってるさかいに」
と飯粒を飛ばしながら、母親に注意した。
「そやかて、心配やもん
まぁ、八木くんとこは、お兄さんお姉さんも、みんな立派なお方やし、
なんも心配いらんのやけど
八木くんも、先生にならはんの?」
うちの家系は、代々教員ばかりで、この春、小学校の校長を退いた父親は、今は近所の幼稚園で、園長をしている。ひと回り上の兄は、父と同じく、府内で小学校教師になり、早くも教頭を務めていた。
兄より二つ下の姉は、僕たちの高校で、英語教師をしている。
「いや、まだ・・・
今は、大学で、テニスは続けたい、思うてます」
やはり小学校教員だった母は、僕を産んでから病気がちになり、僕が中学を出るころには、ほとんど、奥の座敷で臥せっていた。
身の回りのことは、姉の美都子が、なにかと世話を焼いてくれていた。
ある日を境に、姉の世界が変わってしまうまでは。
「ま、八木くんは優秀やさかい、
おばちゃん、なぁんも心配せえへんよ
問題は、うちの、このボンクラや」
とばっちりを受けた古川が、なんやそれ、と言いながら、大盛ご飯をおかわりする。
ぼんやり、そんなことを思い出しながら、待っていると、七時近くになって、古川が、汗びっしょりになって、自転車で坂を上って来た。
「八木、すまんすまん、遅うなって
お前、後ろ乗れ、御所まで飛ばすぞ!」
日曜の朝は、まだ人出も少なくて、僕らは吉田山から、丸太町通りまで、一気に駆け下りて、ぎりぎり、試合受付に間に合った。
が、高校生だとはいえ、一日三試合はきつい。まして、この暑さだ。
古川とは、高校でペアを組んで、今年、最後の引退試合・・・
結果は、準決勝進出を、惜しくも逃した。
帰りに、いつものパン屋で、コッペパンの残りを安く買い、いつもどおり、売店のアイスクリームを挟んで、二人で泣きながら、黙々と食べた。
高校三年の、夏が終わった。
(続)
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