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『Generique』 vol.2 【小説】

思えば、あの頃から、ハナに惹かれていたのかも知れない。

一度だけ、映画に誘ったことがある。
古い、フランス映画だった。
主役の女優が、顔立ちは全然違うのに、ハナに似ている気がして、それがなぜなのか、どうしても、この目で確かめたかった。

ハナの顔は、デフォルトが「への字」口だ。

普段、キメ顔のタレントの写真ばかり、撮っているせいか、顔の造作より、何気ない表情に惹かれると、その人を、もっと知りたくなる。

「わたしね、フランス映画とか観てると、ホッ
 とするんだぁ。どんな映画でも、あなたはそ
 のままで良いよ、と言ってる気がして。

 あ、でもそれって、音楽も、おんなじかぁ」

映画を気に入ったのか、観終わって、映画館を出ると、小首を傾けて、ハナが言った。

実は、ジャンヌ・モローに、ハナの顔の、どこが似てるのか知りたかったんだ、と俺も、種明かしをした。

「への字口かぁ・・・そうなんだよね。
 女優やってるとき、カメラに、まったく笑え
 なくてさぁ。そっかぁ、わたし、フランスで
 女優になれば良かった。
 
 なんてね」


円山町の、やばいエリアを、二人であてもなく歩き、ひとりソワソワしている俺をよそに、

「カメラって言えばさぁ、昔ね、小学生のころ
 の記憶があって・・・」

ハナは饒舌だった。

 
「わたしは、友だちのお父さんと歩いてた。突
 然、パンツを下ろして、ってお父さんが言っ
 たの。ぴかっと光って、写真を撮った。

 笑って笑って、うん、すごく可愛いよ。それ
 から、何回か光った。

 友だちに言ったけど、信じてもらえなくて
 さ。ていうか、なんか怒ってるみたいだっ
 た。お父さん、家族の写真は、撮ってくれな
 いのに、って。

 担任の先生にも言ったけど、だれにも言うな
 って。友だちのお父さんは、隣の中学の校長
 先生だったの。保健室の円谷先生だけが、話
 を最後まで聞くと、どこかに電話をかけて、
 大丈夫だよ、でも、もう友だちの家には、行
 っちゃダメって。
 
 円谷先生も、二学期が終わるころ、どこか遠
 くに、異動になっちゃった。五年生くらいっ
 て、身体も不安定で、もっと相談したかった
 のにな。

 うちの家族? おばあちゃんには、帰るとす
 ぐに話したよ。

 暑い夏でね。

 前に、この季節の、むうっとするような、青
 い草の匂いが好き、とおばあちゃんに言った
 ら、「いやらしい」って言われたの。ほら、
 梅雨の明ける頃の、蒸せるような匂い。

 銭湯に行く途中にね、真っ白い花の咲く林が
 あって、(そこで写真も取られたんだけ 
 ど・・・)着いてから脱衣所で、裸になった
 わたしの胸を見て、おばあちゃんが、まぁ、
 あんた、ヒロちゃん(ていうのは、わたしを
 預けて、男と暮らしてた母だけど)みたいな
 オッパイになって、いやらしいね。それと、
 あんた、さっき、青草の匂いが好きって…絶
 対、よそで言っちゃいけないよ、いやらし
 い、って。

 身体のことと、草のこと、そのふたつが、ど
 うして「いやらしい」のか、分からなかっ
 た。

 おばあちゃんに、友だちのお父さんに、写真
 撮られたって、話したときも、
 いいかい、二度と男の前で、笑っちゃいけな
 いよ、って。
 それだけ。それでおしまい。

 今日、新木さんに話すまで、忘れてた…
 
 そっかぁ、わたし、カメラに笑えない理由、
 分かったよ」


結局、井の頭線で、シモキタに出ることにした。
神泉駅の、踏切近くで、どこかほっとしたように、笑うハナの横顔に、俺は持っていた、一眼レフのシャッターを切っていた。

それから、ハナと出かけるときは、いつも銀塩カメラを、持ち歩くようになった。

 

仕事は、忙しくなっていった。
撮りたい写真と、求められて撮る写真の、区別が、自分の中でも、つかなくなっている…
もがけばもがくほど、露出を計り間違えたフィルム写真のように、自分が、虚しく現像液に沈んでいく…


そんなとき、ハナの何でもない表情が、ハナのなにかが、俺を惹きつける。被写体として。 

夏の草むらで、聖職者のクソ野郎に、奪われたハナを、俺は、俺の写真で取り戻す。
いつしか、そんな思いでシャッターを切っていた気がする。


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 (続)

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