『No woman, no cry』 vol.1 【小説】
きみが、歌っている。
幼稚園からの帰り道、東京でも、まだ畑の広がる道を、声を背中に、自転車を走らせる。
せわしない日常が、このひととき、温かさに包まれる。
習ったばかりの『ちいさい秋みつけた』。サトウハチローの詞の世界を、きみは正確に捉えて歌う。教えてくれた、若い先生に、敬意を覚えたっけ。
あれから、二十年近く経つというのに、この道、この季節、後部座席に、ちょこんと現れる。あの頃と変わらない、五歳のきみのままで。
きみとは、十八の年まで、一緒だった。
きみは、死んだ。じぶんで、死んだ。
「ママ〜あのね、う〜つろぉなぁ、めのいろ、
っていうのはねぇ、ぼおっとしててぇ、どこ
見てるか分からない目なんだよ。それがぁ、
お水に溶かしたミルクみたいなの」
ヒロ子先生が、教えてくれたとおりに、一字一句、分かりやすく説明してくれる。
先生、さすがだな。
「かざみのとり、っていうのはねぇ、ようちえ
んのぉ、コッコとおんなじぃ、ニワトリさん
なの。コッコのあたまにぃ、ついてるでし
ょ、あかいの。ママ、分かる? はぜの葉っ
ぱもぉ、コッコとおんなじでぇ、夕日みたい
に、真っ赤なの」
入り日が、自転車を横から照らし、道には、わたしたちの長い影が、歌いながらついてくる。
通っていた幼稚園は、自由だったけれど、二つだけ、約束ごとがあった。ひとつは、帽子。
「かならず被ってくること。どんな帽子でも良
いです、頭を守ってくれます」
子どもには優しいのに、大人には辛口で有名な、園長先生が、入園式で、きっぱり言った。
だから、きみは赤と黄と緑の、ニット帽。
「らすたふぁりあん、てコトバ、教えてもらい
ました」
ヒロ子先生が、笑いながら、言ってたな。
ごめん、あれは完全わたしの趣味。でも、きみも気に入ってたでしょ、あの帽子。
約束の、もうひとつは、お弁当に毎日、一つでいいから、緑のお野菜を入れてくること。
野菜が高いときは、地味にキツかったけれど、大人がコーヒー一杯、我慢すれば済むことですと、これも園長先生が言った。
わたしの場合、どうせなら、タバコ止めろよ、って感じだったけど。
「今日の緑のお野菜は?」
「ブロッコリーでしたぁ!」
が、帰り道クイズの定番だった。
幼稚園も、この春、予定通り、閉園になった。あの大きな園庭も、お山も、ブランコも、砂場も、みんな、無くなった。
駅周辺の、再開発エリアから、逃れられなくて。大きなビルが建って、これから市の施設や、クリニックが入る。
もう、何年も前から、決まっていたんだろう。
きみは四月生まれだったから、どの学年でも、少し大人びて見えた。いや、大人だったんだろう、実際。
「十八歳は、大人だろ! 大人にしてないの
は、誰だよっ」
って、よく怒っていたね。なにに向かって怒っているのか、分からぬまま・・・
あのあと、日本は、十八歳成人になったよ。でも社会は、あんまり変わってないね、きっと。
きみの怒りは、永遠に、収まらないだろう。
そういえば、十八歳になってすぐ、自衛隊から、自衛官募集の、DMが来たね。宛名の字が、メチャクチャ汚くてさ、
「これ、若い自衛官の、漢字書き取り訓練、な
んじゃね?」
って、きみは笑ってた。たしかに、きったねー手書きだった。名前の漢字も、絶妙に、間違ってたし笑。
自衛隊は、いったいどこから、全国の十八歳の、生年月日や住所を、知るんだろう。
いまだにナゾだよ。
じいちゃんが言った。
「お前さんみたいなのを、勧誘するなんざ、こ
の国も、またぞろ、愚かなもんだ」
じいちゃんは、絵描きになりたくて、美大に入ったのに、繰り上げ卒業させられて、フィリピンの、特攻隊に送られたんだって。機体が足りなくて、戦闘機を特攻用に改造中に、終戦を迎えた。現地のことや、戦争の話は、一切しなかったけど、あのとき、なにかを感じたんだろう。
当時の自分と、同じ年ごろの、きみを見て。
(続)
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