「お好きにどうぞ」が一番やさしい、と思う話

さて、本日のテーマ、
「お好きにどうぞ」が一番やさしいと思う、ですが、

先に結論をお話すると、

押し付けられるのではなく、「選んでね」のスタンスって、すごく相手のことを大事にできる気がするんですね。

嫌いの感情をぶつけずに、その人なりの距離で
あなたの好きを認めてくれる人が、
あなたにとって、本当の意味で「優しい人」なのではないか、

なんてお話です。


まず、これは私の物事に対する思いとして、

好きか嫌いかどちらでもないか、の中で一番多いのが、

「どちらでもない」であると考えています。

…私はあまり人や物に興味がないんでしょうか?

いえ、けっしてそんなことはない、と思うのですが、

それでも、私はおそらく、無関心でいられるもの、あってもなくてもいい、「お好きにどうぞ」の範囲がひろすぎるのだと思います。

無関心といえば、冷たい人、という印象を持たれるでしょう。


あってもなくてもいい、お好きにどうぞ、といえば、ある人は寛容と言うだろうし、またある人は、それは無頓着すぎないか、と言う人もいるでしょう。


でも、日々、いろんなところから放たれる「そんなの認めない!嫌いだ!」のターゲットにならなくたって、その気持ちに触れただけで、心が少しずつ削られている今の社会の中で、


「どちらでもないよ、お好きにどうぞ」という、自分の意見の「自由さ」を認められている言葉は、「やさしい」と思ったりするんです。

誰かから、「嫌い」を向けられたとき、そこから受け取る負のエネルギーはとても大きくて、

たった一つの「否定」が、その他のものにも当てはめられていって、最終的に自分の行いの全てを否定したりすることもあるんです。…実際、私はありました。

それこそ、「自分で自分のことを諦めてしまう」
…自分が、自分を諦めてしまったら、立ち上がることは難しくなります。


周囲の声も届かず、ただ一人、負の思い込みにとらわれて、誰にも気づかれずに、墜ちていく…
そこから、もう一度浮き上がれる人は、どれほどいるでしょうか…


自分の命を諦めてしまった、そんな人達が行き着くのが、自らの「死」だったり、するのでしょう。境界に何度か足を踏み入れているので、そんな認識をしています。

境界から、なんとかここまで浮上できた身で、こう考えられたら、もしかしたら、取り返しのつかない事態を避けられるのかもしれない、なんて思った考えがあります。

どうか、どんな状態であっても、誰に何と言われようとも、あなたはあなたで、
あなたの持っている価値は変わらないことを忘れないでいてほしい。


生きているだけで、あなた、という存在は、この世界に「価値」を得ています。
だって、世界の「一部」なんですから。


あなたの「好き」を認めてくれる人が、この世界のどこかにはきっといます。

それが、近くなのか、遠くなのかは、わかりません。

でも、「好き」なものをアピールしていけば、同じ「好き」を大切にしている仲間というのは、案外存在していて、「ひとりではない」ことに気付けるのだと思います。

ネットってその点すごく優秀だと思いますよ。遠くの同じ「好き」を大切にしている人と、繋がることができるんですもの。私はこの関わりに、すごく救われました。今でも私なりに大事にしてる関わりの多くはネット経由です。

自分は孤独ではなく、あくまで「一人」。
どんな人間であっても受け入れられる場所は、存在する。

それを忘れないでいれたなら、
自分のすべてを諦めなくても、
生きていける場所があることを思い出せる…

私は、そう思ったりします。

とはいえ、限界寸前まで落ちてしまったときには、何度か忘れてしまったことのある私です。

伝えることのできることを、今、未来の私のためにも、言葉にしておきたい。


…忘れてしまったら、その時に、
私の中の私は、一度、死んでしまいました。
なかなか、生き返らなかったですよ。

息を吹き返すまでにかかった時間は8ヶ月、です。

死んで生き返るまでが本当に地獄だったから、
どうか、そうなる前に心の叫びに気づいて!

最近、SNSの発達で、今までの比でないくらいいろんなところからの「嫌い」に傷つく人が増えて、どんどん苦しくなっていく人を見ていて、そんなことを思ったりします。


今回の話をまとめますと、
あなたの「意見の自由さ」を受け止めてくれることは、あなたを「認めてくれる」ということ、です。

好きでも、嫌いでも、そのどちらでもない、でも
「お好きにどうぞ」には、含まれている、と思います。

何を思っていてもいい、は「やさしい」言葉なのではないでしょうか。

もし、どこかから「嫌い」をぶつけられたら、「嫌い」の持つ負のエネルギーはとても強いので、どうか、「嫌い」に左右されすぎないように気をつけてください。

辛くなっても、悲しくなっても、どうか、何があっても、「自分」だけは諦めないでほしいです。


あなたが、あなたを諦めたその時、
あなたは、一度「死んでしまう」から。

「死んだ状態」から生き返るのは、とっても大変です。…生き返れない人もいます。

どんなあなたであれ、この世界に、
たしかに「価値」がある。
だから、生きているのだ、ということ。

このことをどうか、忘れても、何度も思い出してほしいです。

この世界には、必ずあなたのことを、諦めてない人がいるんです。どうか、苦しくて仕方ないときに、自分のことを振り返ってその人を見つけてあげてください。


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ゆるCafeれでぃお #08
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このnoteでは、私の経験を通して、なんとなく掴んできた、自分の心をラクにする『好きを大切にする』生き方を、話しています。

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そんなわけで、本日はここまでです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

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