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サムライ瞑想 No006

今回は、第一章 サムライの死生観と瞑想 第一節 儒教を基礎とした死生観
の中の、第四項 戦国時代の死生観、第五項 短い人生を(精一杯)懸命に生きる、それと第一節のまとめ、です。やっと第一節が終わりということになります。
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第一章 サムライの死生観と瞑想

第一節 儒教を基礎とした死生観

第四項 戦国時代の死生観

儒教の中で特に子孫の継続を最優先する観念は、命より名誉を重んじ、恥辱を注げずに死ぬことを最も嫌うサムライの死生観を解き明かすための鍵となる。ただし、サムライは何を名誉としてかつ何を恥と感じたかについての詳細は、ここでは言及しない。名誉と恥の価値感は、時代、文化によっても大きく異なるからだ。そして後述するが、 “サムライ瞑想”は、名誉と恥の概念が理解できれば、その価値観とは関係なく、多くの人にとって有用なのだ。またサムライの死生観に大きく影響している儒教は戦闘が激減した江戸時代に普及した。しかし戦国時代にはこの儒教の影響も少なく、死生観は名誉と恥の価値感をダイレクトに反映するものが多い。ここでは戦国時代の様々な死生観を示す例をいくつか紹介する。

関ヶ原の合戦で捉えられた石田三成(いしだみつなり)は、“死中に活、僥倖を見いだす”(思いがけない幸いを見いだす、絶望的な状況の中から必死に活路を見いだすこと)との死生観を抱き、刑死(斬首)を恥辱と思わかった。
彼は、“大義を抱くサムライは、本望を達せんと最後の瞬間まで一名を惜しむものだ”といって、刑死直前まで地震や雷光などの天変地異を期待して、望みを捨てなかったという。
徳川と豊臣の政権争いである関ヶ原の合戦に先立ち、真田昌幸(さなだまさゆき)は、長男信之(のぶゆき)を徳川側へ送り、自分と次男幸村(ゆきむら)は豊臣側に味方して、家を二分した。これは、どちらが勝利しても真田家を守るための策略とされており、負けた側は家、一族とその子孫のために命を賭す覚悟をしたということになる。
戦国時代も終盤に差し掛かったころ、籠城した城では城兵の助命のために自身の命を投げ出して自決した城主が何人かいる。備中高松城で水攻めにあったが清水宗治(しみずむねはる)が有名である。彼は揺れる小船の上で城兵のために切腹している。
しかし戦国時代の終盤では、武術で身を立てようとする武芸者と呼ばれるサムライが出現している。五輪の書で有名な宮本武蔵などである。国同士の戦闘とは違い、武芸者の試合は、相手を殺して自分が生き残ることが目的だった。武芸者の試合は、“死合”と書くと殺し合いの意味になる。そこで武芸者は、相手を殺して試合に勝利するために、卑怯と罵られるような方法も含めてあらゆる手段を講じ、自分が死なないことを最優先したのだ。

戦国時代の多くのサムライにとって、命に執着するのは恥辱に他ならない。武運拙く戦いに敗れ、死に臨んだ時の勇敢さ、潔さこそがサムライの美学の極地という時代であった。そこで、刑死や病死は死に恥を曝すこととなり、恥の極みとなる。
このように、恥や名誉などの価値観は時代によって大きく変化することが理解できる。

第五項 短い人生を(精一杯)懸命に生きる

戦国武将の織田信長は、幸若舞-敦盛の一説:

“人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり、一度生を享け、滅せぬもののあるべきか”

を若い頃から愛唱していた。普通ならば“諦め”ととらえる歌詞なのだが、血気盛んな若者が歌うと、“人生の短さを嘆くよりは、その短さを短いままに直視し、生きている間を思うざま生き抜くべし”という意味になるはずだ。
これは“短い人生を懸命に生きよう”とする典型的なサムライの死生観の一つである。そして“懸命に”という表現は命を賭してという意であるが、この中にサムライに共通した行動パターンが読み取れる。それは、生命の重要性を前提にしてもなお、自分の命を人生の中で使い切ろうとする気概である。命の使い方は多様であるが、サムライにとって腹切などの自死は命の使い方の一つに過ぎないのだ。再度確認しておくと、ここには生命を軽視する観念が入り込む余地はない。

また儒教に基き確立されたサムライの死生観では、子孫のためにならば自分の命を使うのはやぶさかでないとなる。子孫を守るための名誉となるならば切腹で自分の命を使っても構わない、あるいは恥を雪げず子孫に迷惑をかけるならば切腹で自分の命を絶っても構わない、といった考え方である。

****まとめ:サムライの死生観(1) ****
 “自分の価値観に基づき短い人生を懸命に生き、自身の決めた目的のために自分の生命を様々な様式で使い切る”
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やっと第一章 サムライの死生観と瞑想 第一節 儒教を基礎とした死生観 が終わりおわりました。
次回は 第二節 サムライの日々の心身鍛錬に入ります。
なお、本文でアスタリスクを使うために、コメントの区切りを※マークに変更します。
気が向いたらまたお立ち寄りくださいませ。
                          雄乃三毛猫


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