2023年のお盆に京丹後へ「帰省」した話
わたしが2023年のお盆期間を過ごした先は京都府京丹後。訪れるのは3回目。地元ではないが、なぜか落ち着く場所。
緊張して早く起きてしまった遠足前の小学生みたいな自分。予約した新幹線の出発30分前にはホームに到着。帰省ラッシュに飲み込まれ、非日常さに心躍った。
長くて濃い夏休みの、はじまりはじまり。
ライドシェアで旅を満喫
結果的に、滞在中の移動はほぼ人の車に乗せてもらい成り立っていた。
「明日はここに行かなきゃいけないけど、どうやって行こうか」と悩んでいると助っ人が現れる奇跡が連発。
移動中アクシデントも多々あったおかげで、一層増す旅感。今回の旅を語る上で欠かせないライドシェア体験。まずは、乗せてくれたみなさんにBIG THANKSを!
(写真はないけど、maomaoもありがとう!次もよろしく!)
丹後を訪れるのは3回目だが、毎回誰かしらに移動を助けてもらっている。ライドシェアは、もはや丹後の文化と言ってもいいのかもしれない。
「ここでしか体験できないこと」づくし
滞在中のほとんどを上世屋(かみせや)という小さな集落で過ごし、紙漉き職人のご家族にお世話になった。
「自然とともに暮らす」充足感
人口は23人11世帯。車道が狭いところもあるが、意外と交通量が多い。集落を歩くと誰かしら知り合いがいて、井戸端会議をしたり、物々交換をしたり。昔の人たちはこんな風に分かち合いながら暮らしていたのかなと、ほくほくとあたたかい気持ちになった。
小さな冒険家たちと家のそばにある滝を目がけて坂を登る。真夏だがひんやり心地よい。
せっかくなので、滝のやや下にある水辺で紙の原料になる植物を洗う体験をさせてもらった。
この作業は「紙を漉く」に至るまでにはまだまだ序の口で、乾燥させたあとは、原料を一日中叩く作業も必要らしい。何だそりゃ。紙を作るためにそんなに工程があるの?知らないことばかりの人生だ。
余談だが、原料を運ぶための電動リアカー(爆音)を、初めて扱うにもかかわらずコントロールが上手すぎた自分が誇らしかった。
See you again 夕日ヶ浦海岸
実は、滞在初日の夜は海の家のDJイベントに誘われていた。
最高のロケーションと天候だったにもかかわらず、「海に沈む夕日を見る」という体験を逃した上に、maomaoのDJにも間に合わず、はしゃぎすぎた反動で体調が思わしくない状況、に撃沈。
地元の宮崎では「海から昇ってくる太陽」は当たり前だけど、「海に沈む夕日」を見ることは絶対にできない。悔しい思いをしたからこそ、考え方を変えてみた。きっと、またわたしがここへ来る理由になったのだと。そう考え直してみると、なんともまあ納得がいった。
(補足:イベント後には体調回復。その後DJさん宅で朝4時まで飲んでいた。うん。濃い初日だったね。)
※こちらのnote更新後、お礼も兼ねてDJさんにnoteを共有したら、なんとも美しい写真を共有してもらった!ハッピー!
地元の海を愛する人との出会い
上世屋からさほど遠くない宮津湾は、日本三景の一つである「天橋立」の隣に位置する。今回は湾内の釣りだから、波も穏やかで酔いにくい。狙うは、鱚(きす)。わたしにとっては久しぶりの沖釣り&初めての疑似餌以外の釣りということで、テンション爆上がりだった。
結局自分で餌はつけられなかったが(くねくねが無理だった)、みんなで力をあわせ大量の鱚をゲット。
なんとわたしは蛸も釣れた。「この餌で蛸を釣った人は初めて見た」と船長に言われ天狗になったが、その直後に同じ餌でクロダイを釣った天才が現れた。ちくしょう。ミラクルが起き続ける宮津湾。
「なぜ海の上で松が育つのか、不思議でしょう。それは、宮津湾にミネラルの豊富な湧水が沸き続けているからなんだよ。だから、ここで育つ魚たちは、臭みもなく本当においしいんだ」と熱弁する船長。
海を大切にすること、漁業や農業という一次産業がこれからの日本にはもっと大切なこと、それらを支援する意味についても話してくれた。
天橋立を横目に、宮津湾と仕事を愛する船長の熱い想いを聞くのは贅沢な時間だった。
素材・味付け・彩り・量を愉しむ食事たち
とにかく、食べた。だって、おいしいんだもん。
「もう食べきれないよ……」幸せな悲鳴が聞こえる食卓
「与謝野駅前集合ね!」がこれからの定番だと思う
今年の7月にオープンしたばかりのTANGOYA BREWERY & PUBLIC HOUSEは、丹後屋醸造に併設されたビールが飲める飲食店。与謝野駅から徒歩30秒という吞兵衛にはありがたい立地。
気さくなお兄さんが、うんまいビールとうんまいおつまみを出してくれた。絶滅危惧種に認定されそうというキャロットラペは撮り忘れた。
HOTELすず&居酒屋すず&喫茶すず
寝るところも、お酒も、食事も至れり尽くせりのHOTELすず。ここに来たが最後。丹後から抜け出せなくなるブラックホール。
童心に返る。丹後に帰る。
日常生活でも3歳のお友だちと暮らしてはいるが、旅の途中で出会った多くの小さな冒険家たちの振る舞いに、わたしの心はだいぶかき乱されていた。
遊びたい。食べたい。眠い。いたずらしたい。帰りたくない。欲だらけ。自由。エネルギーの塊!
「これはしたい!」、「これはしたくない!」と正直に言えるうらやましさ。そして、どうしても叶えたいことがあるときにつく嘘の愛おしさ。
純粋な心に、ぐいぐいと引き込まれる。「あなたももっと素直であるべきよ!」とわたしの心に住む小さな冒険家が何度も語りかけてきた。
そのせいもあってか、わたしも随分と開放的に過ごさせてもらった。寝たいときに寝て、食べたいときに食べて、さばきたいときにさばいた。
滞在期間の節々で「わたしはきっとまた丹後に行くんだろうな」と、全身全霊で感じていた。
いや、待て。「行く」じゃなく「帰る」という感覚が近いかもしれない。
最初に訪れたときから、妙に居心地がよかったのが何故だか分からなかったけど、きっと「帰る場所」だと思っていたからだろうと今回の旅で気づいたのだ。
それは、ここが「観光」する場所ではなく、「暮らす」場所になっているからだと思う。過去の滞在を思い返してみても、これまで観光はほとんどしたことがない。(丹後のみんな、逆にわたしを観光地へ連れて行ってくれ。)
友に会うために帰り、その度に別の友が増え、次に帰る時には会いたい人が増えている。の繰り返し。
同じ「帰る」でも、「地元に帰る」とは、少し違う気がする。地元にも会いたい人はもちろん居るけど、「会いたい人が増える」という感覚にはあまりならない。むしろ決まった人にしか会わない。
いやあ、不思議。大人になってこんなに帰りたい場所ができるだなんて思ってもみなかった。
きっとまた帰るからね。童心に返るわたしを受け止めてね。そしてまたあなたの車に乗せてね。約束だよ。
P.S.旅のツレは台風なもんで
昨年9月頃に「青春18きっぷの旅」をして丹後を訪れたときも、台風と共に移動をしていたことを思い出した。
今年も昨年同様仲間を呼んでしまったようだ。ランちゃん。前回は追いつかれなかったが、今回はどうしても一緒に旅をしたかったらしい。
ランちゃんとの移動は危険と判断し、京都の実家・HOTELすずで延泊をさせてもらうことに。あまりにも実家のように過ごし過ぎて(ほぼ寝てた)、自分の図々しさにドン引きした。
せっかくの延泊も虚しく、翌日も新幹線の運休見合わせで帰れなくなってしまった。渋々諦め京都駅近くにホテルを取り、京都市内で大文字を見るまで盆踊りをしながら旅仲間が鎮まるのを祈った。
(この映像は、最後まで本当にすばらしい)
そうして迎えた翌朝。5時45分には駅のホームに到着していたにもかかわらず、新幹線に乗れたのは約3時間後。
新幹線が到着しても、すでにすし詰め状態のぎゅうぎゅうの車内に絶望の声が漏れる。「俺が先だ」「何を言う俺が先だ」と喧嘩している大人たち。
(いやいや、そもそもあなたたち、わたしより後ろにいたよな?ああん?)
と眉間に皺を寄せていると、「俺たちの方が先でしたよね?最悪っすねえ」とわたしの前に並んでいた青年が声をかけてくれたおかげで、心の大嵐が凪になった。
心優しい彼は恋人らしき人と次の新幹線に乗ることができた。見ず知らずの人の旅立ちがこんなに嬉しいとは。幸せになってくれよな、青年。
わたしの前にようやく表れた次の子は、ひかりちゃんだった。ごめん。本当は、のぞみちゃんがよかった。
ああ、もうランちゃんには会いたくないなー。
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