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家族3人で2.2kmを3時間かけてゴミ拾いしたら、約180Lのゴミとヤバイ事実が集まった

あの夏の日、あの路上で、ポイ捨てを目撃したあの瞬間から、私は世界の見方を決定的に変えてしまったんだ」

はい、なんだか「天〇の子」っぽいキャッチコピーで今回は始めます。結果だけ知りたい方は、目次内「3人×2.2km×3時間=180Lのゴミ」までジャンプして下さい。

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あの夏の日、あの路上で

「行ってきまーす」

主人も息子もはまだ起きていなかったその日、家を出た瞬間からセミの鳴き声が耳にうるさく、太陽もこれでもかとばかりに照り付けていた。モワっとアスファルトから昇ってくる熱気に負け、着ていたジャケットを脱いで二つ折りにし、手に持った。

夏は好きだ。低体温・低血圧の身体に、太陽が惜しげもなく温度をくれる季節だから。

家から駅までは閑静な住宅街の道を通る。下り坂に背中を押されて、歩幅も大きくなる。この道は、私の通勤路として、良くできている。カバンの重みも相まって、歩くスピードがどんどん上がる。照り付ける太陽の、あのカッとした感覚が、脳内のアドレナリンとドーパミンをどんどん引き出してくれている。頭の中で複数のタスクを片付けていくプロセスがどんどんイメージ化されていく。大丈夫…今日は、息子を保育園に迎えに行くまでに、やるべきことが終わらせられそう!

そのとき、目の前を歩いていた男性が目にはいる。黒いマスクを顎まで下ろし、赤と黄色の缶に入ったエナジー飲料を飲んでいる。真っ白なTシャツとジーンズにジーンズという格好で、どことなく、私より若く見えた。体調悪いけど、頑張ろうとチャージしてんのかな…と、夜遅くまで机に向かい、勉強をしている姿が目に浮かぶ。

そのとき。

目の前で空き缶が宙を舞った。缶は、空中に弧を描き、とあるマンションの植木へ落ちていった。サクッ。
缶が空中を飛んでいる光景は、スローモーション映像を思わせた。

一瞬、彼が缶を捨てたことが理解できなかった。周りで鳴いていたはずのセミの声も消えたようだった。

え?




我に返り、セミの声が、周りの雑音が耳に戻ってきたその刹那、約5秒くらいの間、「声をかけるべきだろうか」「もちろん、かけるべきだ」「いや、ガタイのいい男性だし、絡まれたら怖いな」「でも、勇気を出して言おうか」「いや、でももう行ってしまわはるし」とすごいスピードで脳が判断を迫ってきた…が、

結論。

私は声をかけなかった。

ふと投げられた缶を見ると、デカビタCだった。「やっぱり…昨日、仕事が遅くて朝帰りとかなんとか事情があるのかもしれない。疲れてるんかな、上司に理不尽なこと言われたんかな。」そんな思いになりながら、缶を拾った。缶はまだ、自販機から出てきたばかりのように冷たくて、少し汗をかいていた。

私は、駅前まで空き缶をもちながら歩いた。駅前には、自販機が並んでいる場所が数か所あり、ゴミ箱もあることはわかっていた。

携帯でgoogleを起動させ、「自販機前 ゴミ箱 捨てる」と調べた。結果、諸説あるものの、ドリンク会社がごみ箱を設置して空き缶を減らす運動をしていることから他社製品であっても、ごみ箱に入れることを許可している、というような記事を見つけた。

自販機が三つ設置されたその横の缶のごみ箱は、もうすぐこぼれ落ちそうなほど、溢れていた。わたしは、そこの上に缶をそっと置いた。

人の並みに押されるように駅の改札を通った。なんだろう、いいことをしたような気分は確かに胸の真ん中で胡座をかいて座っていた。でも。声をかけて一言「ポイ捨てやめてください」と言うべきでなかったのだろうか…と、後悔が背中から手を伸ばしていた。

8時24分。通勤電車を待ちながら、携帯を取り出し、写真フォルダを開けた。実は、缶を拾ったときに、主人に見せようと思い、写真を撮っていたのだ。声をかけなかったと決断した瞬間に後悔していた。主人に見せることで、罪悪感から逃れたかったのかもしれない。主人なら、「いいことしたね。大丈夫。帰りに拾えばいいよ」なんて、言ってくれるだろう。植木に刺さったデカビタCの写った写真をタップし、LINEで送ろうとした。そのとき。


写真の端に何かが写っていた。

デカビタCの横に別の缶が残っている!!!気づかずに残してしまっている!!!!!!(↓実際の写真)

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衝撃画像だった。

全く気付かなかった。

投げたのは缶が1つ。だから、植木には1つしか缶がないと思い込んでいた。いてもたってもいられない気持ちだった。

拾って、イイコトシタなんて思ってたけど、あの植木には、まだ空き缶が残っているんや…。写っている缶を見つめながら、、植木のあるマンションのオーナーさんや住人に思いを馳せた。

あかん、拾わんとあかん。




その日は結局、息子の保育園のお迎えに行ったため、例の植木の前は通れなかった。正直、夕方6時頃には、朝の衝撃も記憶の彼方だった。「まあ、誰かが拾ってるだろう」という気持ちもあった。缶を拾ったなんてそんなこと、仕事と育児家事でアップアップな日々の中に埋もれようとしていた。こういうのを"エビングハウスの忘却曲線"というらしい。人間は一時間後には覚えたものの半分も忘れているらしい。わたしも、多分に漏れず、朝の記憶を忘れる力を遺憾なく発揮していた。



次の日。
その日も、低血圧女子は、住宅街の坂道でギアをあげ始めていた。体温がどんどん上がるのを感じながら、少し遅刻しそうになっている自分に焦っていた。今日は、お客様のところに行く用事があった。全身黒のスーツに黒いストッキングを履いた私に太陽が追いかけてくる。まだ家を出て数分なのに、じわりと汗が皮膚の表面に顔を出してくるようだった。



キラッ



ハッとした。

太陽が何かに光を投げつけたようだった。勢いよく植木を通りすぎようとした私の目の端を光がキャッチする。

そうだ。昨日、気付かなかった空き缶。写真でしか見たことのなかったあの空き缶。それが、今、目の前に横たわっている。わたしは、通りすぎそうになっていた植木の方へからだを向きなおき、缶を手に取った。

ザラッ


思ってもない感触を指が感じて、缶を眺めた。缶は砂利がくっついていた。しかも、雨が降ったように表面が濡れ、砂利はそのしずくに吸い付いて青黒く光っていた。ずっと、昨日の朝、あの時から、誰にも見つかることなく、ここで待ち続けていたのだ。


その日から、あの出来事は、わたしの視界を決定的に変えてしまった。

いつもの通勤路には、タバコの吸い殻が3メートルと間をあけずに落ちていた。まるでヘンゼルとグレーテルが落としたパンくずのように、どこかへの道案内をしているようだった。中身の入ったペットボトルは、夜中の12時に魔法が溶けてしまったのか、歩道の真ん中に立ち尽くしていた。即席ラーメンのカップは、どこからやって来たのか、ハーメルンの笛吹き男のように身軽な様子で風に押されて坂を登っていった。

意識的か無意識的か。どちらにしろ、誰かが、人間の誰かが残したゴミは、その人の存在感を放つ残像のようだった。

なぜ、こんなにあるゴミに今まで全く気づかなかったんだろう。


拾った缶を右手で持ち、そのすぐ近くで拾ったペットボトルで、わたしの手はすぐにいっぱいになった。手で拾うと手が汚れるだけでなく、たくさん拾えない。わたしは、2つのゴミを手に持ちながら、駅前の自動販売機コーナーに向かって歩いた。道はゴミの宝庫だった。タバコの空き箱も、ビニール袋に入ったお弁当の空箱も、アイスキャンデーの棒も、色んなゴミが、誰かに無惨に捨てられていた。拾うには、私の二本の手では足りなかった。

その日以来、毎日ゴミを拾っている。例の植木は、ゴミ箱だと誰かが勘違いしてるのか、毎日空き缶が捨てられている。わたしの日課は、植木から空き缶を拾うことになった。

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いたちごっこのようで、途方にくれながらも、「ピリカ」というゴミ拾いSNSに投稿して、皆さんと励まし合った。毎日ゴミを見つけても、いたちごっこだって思っても、前向きに頑張れた。

日々、ゴミ拾い用のごみ袋をカバンに忍ばせて出勤し、拾ったゴミを持ったまま、保育園のお迎えに行くこともあった。息子の前でもゴミを拾いながら、一緒に帰宅した。すると、息子がゴミを見つけると教えてくれるようになった。だんだん宝探しのように楽しみながら、遊びながら帰宅するのが楽しくなってきた。ゴミ拾いのイベントに子供と参加してみようかと思ったが、すぐに行けそうなものがなく、

んんんんん・・・・もう!!自分たちでやろう!

主人と息子を巻き込み、週末に家族3人で近所のゴミを拾って回ることにした。

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3人×2.2km×3時間=180Lのゴミ

主人と息子と私の3人で、近所~駅付近(往復2.2km)をゴミを拾って歩いた。昼間の12時から始めてしまい、外は快晴、カンカン照り。そんな中、軍手をはめて、行き2時間、帰り1時間の合計3時間かけてゴミを拾い歩いた。Googleマップでは片道11分、往復22分の距離である。ゴミを拾って歩くと、本当に時間がかかる。ごみ袋は10枚使った。意外に中身の入ったままの空き缶が多く、漏れるために2重3重にしなければならなかった。すごく暑くて、皆汗が滝のように流れた。三人で水筒一本では足りなかった。

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■量的成果

結果、ゴミ袋4袋のゴミ(往復2袋ずつ) を回収した。袋1枚が45㍑なので、合計で180㍑となる。どんなゴミが多いのか、など検証するために、ごみの数を数えたかったが、今回は拾うことで精いっぱいになってしまった。行きに集めたゴミ袋は近くを通ったゴミ収集車が快く持って行ってくれたので、非常に助かった。神様は見ている、のだろうか。

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■質的成果(ヤバイ事実)①ごみの種類(拾う回数順)

一方、ヤバイ事実もある。明らかに捨てたのは、「心無い大人」だ。なぜ、大人だとわかるのか。だって、タバコとアルコールが本当に多いんだもの。そして、子供が届かない場所にも、ゴミは捨てられていること。いったいぜんたい、子供たちの未来に何を残すつもりなのだろうか。

〇ゴミの多さ第1位:タバコの吸殻と空き箱(圧倒的)

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路上のゴミで一番多いのは、タバコの吸い殻である。その数の多いこと、多いこと!しかも、道の隙間などに入り込んでいて拾いにくいことこの上ない。タバコは土に還ると思っている人が多いのだろうか。日本広告機構に是非、「たばこの吸い殻は土に還りません」と謳ってほしい。

〇ゴミの多さ第2位:紙類(ティッシュやレシート、段ボールの端のようなものなど)

よくわからない紙類は多い。もしかしたら、もともと大きいゴミだった端切れなのかもしれないが、風に流れていきやすいので、そもそもどこから来たのか分からない。

3位:飲み物ゴミ

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空き缶や空きペットボトルは本当に目立つ。そして、よく立った状態で放置されている。これは、「捨てていない」という主張なのだろうか。中身が入っていることも多く、更にタバコの吸い殻が入っていることも多く、分別が難しいことも、拾う側にとっては困る問題だ。

〇番外編:拾っていいかどうか不明のもの

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捨ててあるのか不明なものも多い。ぬいぐるみ、などはまだしも、上の写真のような大型放置物や、壊れて放置されている看板等はオーナーが早急に回収してほしい。置くのも責任があると思う。

■質的成果(ヤバイ事実)②ごみが集まる場所

①自販機の上、自販機と自販機の間

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笑えるのが、自販機周りのゴミだ。自動販売機には、ゴミ箱が併設されていることも多い。なのに、自販機の間に詰め込んだり、自販機の上に置いたり…人間の心理の不思議を感じてしまう。むしろ、自販機の上に置く体力を考えると、ゴミ箱に捨てた方が省エネで楽だと思うのだが…。

②植え込みの中

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植物が大嫌いな人が世の中にこんなに多いものなのだろうか。それとも、植木や花壇、街路樹をゴミ箱だと思っている人が多いのだろうか。美しい緑の葉っぱをかき分けると、ゴミが大量に隠されていることが多い。こういった緑化運動は本来、環境の美化のためにあるはず。そこにゴミが集まるのは皮肉でしかない。

③コンビニの周り、バス停など人が集まるところ

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人が集まるところにゴミも集まる。人はゴミを出さずに生きていくことは不可能なのだ、と自分への矢印を向けるきっかけにもなった事例だ。コンビニやバス停など、人の集まる場所には、必ずゴミも集まる。ひどいことに、コンビニ横の倉庫には、ゴミが押し込まれている!コンビニのオーナーは気づいているのだろうか。全部回収しました。

④ゴミ箱の周り

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これは「わかってほしい」日本人にありがちな習慣なのではないかと思う。缶やペットボトルのゴミ箱の中には入れられないから、傍に置くことで「後はよろしく」のつもりなのだろうか。ポイ捨てじゃない、と思っているのだろうが、これは間違いなくポイ捨てです。

⑤地域的には、居酒屋の集まる地域に近寄れば近寄るほど汚くなる。

居酒屋のお兄さんも呼び込みしながらでも、拾えるのではないだろうか、と思うのは私だけだろうか。自分の大事なお店だからこそ、入店してほしいと呼び込んでいるのであれば、大事なお店の周りを綺麗にすることも考えてほしいと思う。

■質的成果(ヤバイ事実)③人の反応

①一般の人:注目はいい意味でも悪い意味でも浴びる。『ありがとう』や『ご苦労様』を言ってくれる人や、足元のゴミを拾って渡してくれる人など、好意的に受け取る人が多く、喜んでくださる方が少なくない。声をかけられると、こちらも励みになった。一方、自分のゴミを私達の持つ袋に勝手に入れてくる人もいて、困惑する。(もちろん、その辺に捨てられるよりはいいのだけれど。)

②警察:途中、交番があったので、拾ったゴミの処理は自宅か区かと聞いてみたところ、わからない、とのこと。ゴミのことは警察に相談してはいけないらしい。知らなかった!

③区の環境課:休みで連絡取れず。HPを見ると、私の地域では、2週間前までに登録すれば、拾ったゴミを引き取りに来てくれるとのこと。ただ、2週間前からゴミ拾いの予定を立てるのは結構難しい。思ったときにすぐに行動できないところは、少しジレンマを感じる。

④宗教勧誘の人や居酒屋勧誘の人:目の前にゴミが落ちているのに、拾わない。勧誘したいのであれば、ゴミを拾った方が、いいのではないか、と思う。

■今後の課題


①箱や紙袋など、危険物(テロ怖い)が落ちている場合があるので注意が必要

②飲みかけで捨てられた空き缶などは液漏れがあり、そのままゴミ袋に捨てられない。液体の処理も対策が必要

③集めたゴミは持ち帰らなければならない。ゴミの管理は市や区に相談しなければいけないため、事前の段取りが必要

④車道や横断歩道のゴミは、危なくて取りきれない。拾おうとすると事故るので、対策が必要

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⑤息子が素手でどこでもいつでもゴミを拾うようになってしまったので、エデュケーション必要

⑥空き缶の中に入っているタバコや瓶の中に詰まっているタバコの処理対策も必要

⑦今の時期暑いので、水分補給などの対策が必要

課題、多し。

■番外編~ダイイングメッセージ~


なんと、葉っぱにXXLと大量に書かれたものが貼り付けてあった…

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不可解である。場所は品川。

もしや、ダイイングメッセージか?!?!?!
…このメッセージの意味がわかる方は是非、連絡をくれたまえ。

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「誰かの気持ちを考える」

世の中、ポイ捨てが多すぎる。180㍑のゴミを家族で拾ったあの日、行きに綺麗にした道を折り返すと、数時間後にはゴミが落ちていた。通勤路の植木にも毎日毎日面白いように空き缶が捨てられている(毎日ご丁寧に捨ててくださっているせいで、デジャブでないかと思うくらいだ)。正直、自分が拾うことがポイ捨てを助長しているのではないか、と苦悩する日もある。横断歩道に捨てられた空き缶が、誰にも拾われず、蹴られているのを見ると、

ポイ捨ても拾わないこんな世の中じゃ、poisen!

と、絶望感で叫びたくなる日もある。

悩み過ぎて、友人に相談すると、地域のゴミ拾いに子供と参加している、ということを教えてくれた。更に、各国、様々な人たちがポイ捨てに対して真摯に取り組んでいる様子も教えてもらった。

・カナダは空き缶やら空き瓶やら集めてリサイクルの集積所に持って行くと1つにつき5セント、デポジットがある

・シンガポールは、ポイ捨てに高額な罰金を課している

・イギリスでは、NPO団体「Hubbub」が、ごみ箱を投票BOXにしたら、劇的にゴミが減ったという事例がある

・アメリカにも上記のピリカと同じようなゴミ拾いSNS「Litterati」があり、楽しくゴミを拾う習慣を作っている

・カナダでは「Block Watch(地域で見ていますよ)」というサインがあり、「ここは私達目を見晴らしていますよ(ゴミや犯罪など)」ということを警告している

皆頑張っているのだ。どうにか、地球の明日を良くしたいと。子供の生きる未来を素敵な世界にしたいと。そう思うと、自分が文句を言う時間や苦悩をしている時間はもったいない。自分が拾えばいいんだ、そう思えるようになった。

私達家族3人の今回の収穫は、180リットルのゴミとヤバイ事実・・・だけではない。家族3人でゴミ拾いができた経験と、そのあと会話できたことも良かったと思っている。実は、4歳の息子が、ゴミ拾いの後、教えてくれたのだ。

息子「お母さん、僕、ハッピーになったよ」

私「なんで?」

息子「(相手の)気持ちを考えたから。」

息子は、捨てられていやだなと思う人の気持ちを考えたことが良かった、と言った。驚いたと同時に、感動した。息子の教育のために、と始めたことではないのだけれど、「誰かの気持ちを考える」、そのきっかけになったのは、嬉しい誤算であり、大きな大きな収穫だ。それ以来、息子は週末、小さな塵取りと箒を持ち歩いて、タバコの吸い殻を集めている。やり過ぎではあるのだが、スーパーの中でも掃き掃除をしている。今日は、お肉屋さんに褒められていた。人が喜ぶことをしたい、という彼の気持ちが大きくなっているのを、隣で応援したいと思う。

前回の投稿でも、「知る」ことが大事だ、と書かせてもらったが、今回も結論は同じになった。ポイ捨てなんて、正直気づく間もなく毎日過ごしていた。でも、ゴミを拾ってみて、少しだけ、「知る」ことができた。

そして、「知る」ということとあわせて大切なのは、「(相手の)気持ちを考える」ことかもしれない、と息子の言葉を聞いて思う。ゴミを捨てた人の気持ちはわからないし、確かめられない。でも、ゴミを拾うことで、人間のある一定の「ヤバイ」行動パターンも見えてきた。パターンを「知り」、その人の「気持ちを考え」れば、ちゃんとゴミ箱にゴミを捨てるような仕掛けを考えられるかもしれない。

「(相手の)気持ちを考える」ことはゴミに限らない話である。例えば、友達や家族の発言に嫌な気持ちになった時「なんで、そんなこと言うんだろう」と考えてみてもいいかもしれない。分からなかったら、聞いて「知れば」いい。誰かの気持ちを考えること、思いやりをもつこと、それはこんなにもハッピーな気持ちをくれる。少なくとも、4歳の息子はそう感じているようだ。

誰かへの思いやりが、少し増える明日になりますように。

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熟成下書き

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