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映画『ティファニーで朝食を』の感想~アンニュイなお洒落さに浸る

久しぶりに洋画を観ました。

『ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s)』

映画を観たことなくても
「リトルブラックドレスを着たオードリー・ヘップバーンが、ショーウィンドウの前でクロワッサンを食べるシーンは知っている!」
という人も多いのではないでしょうか。

オードリー・ヘップバーンの魅力を堪能する映画といっても過言ではないくらい、スクリーンのオードリーの美しさに終始見とれてしまう作品でした。

今見ても魅力的なファッションも見どころ

オードリーが現れると、その場がキラキラしているように引き込まれて、「銀幕の妖精」とも呼ばれていたのも頷けます。

なんでしょう、綺麗なのは勿論なのですが、それを超越したような魅力がある気がしました。指先からつま先までの立ち居振る舞いも上品で、内面の美しさが滲み出ているってこういうことを言うのかも。

「そういえばオードリーは、晩年はユニセフの親善大使としての活動に人生を捧げたんだっけ」なんてことをぼんやりと思い出したりしました。


『ティファニーで朝食を』あらすじ

『ティファニーで朝食を』は1961年に公開されたアメリカ映画。原作はトルーマン・カポーティの小説です。

オードリー・ヘップバーン演じる自由奔放な娼婦ホリーは、玉の輿を夢見て多くの男性から援助を受けながら気ままに生きていました。

ある日ホリーの住むアパートに、売れない作家ポールが引っ越してきます。ポールは裕福な女性の愛人をしており、金銭的に援助を受けている身。

ホリーとポールは互いに惹かれあいますが「お金」と「誰にも縛られない自由」を愛するホリーは一筋縄ではいきません……。

また映画の主題歌「ムーン・リバー」は、アカデミー歌曲賞を受賞しました。


人種差別、倫理観欠如の問題

※以下、ネタバレにご注意ください。

オードリー・ヘップバーンの美しさを堪能できる本作ですが、フッと現実に引き戻されるように「ん?」となる瞬間が度々あります。

私が気になった表現は

・アジア人差別
・倫理観の欠如
・古すぎる恋愛観

まず、本作には「ユニオシ氏」という日本人カメラマンが登場します。
問題となっているのは、彼の設定が「背が低い・出っ歯・メガネ・口うるさい」といった日本へのステレオタイプな差別が全面に出ている、酷い描かれ方をしているのです。

この映画での描写は、侮蔑的だと批判を受けました。

また、登場人物の倫理観もかなり欠如している印象です。

ホリーのキャラクター設定上、仕方ない部分もあるのかもしれません。
しかし、遊び半分で万引きをしたり、雨の中ネコを捨てるシーンでは、映画の雰囲気に浸っていたところを水を差されたような気分になりました(^^;)

更にストーリーの終盤、ポールがホリーに告白するシーンでは、

「僕は君を愛している。君は僕のものだ」

「人のものになることだけが幸福への道だ」

というセリフがあるのですが、良くない意味で古い時代を感じました。

現代では共感されにくいセリフかと思います。しかしこの映画が公開された時代は60年代。ホリーのように「誰の物にもならずに自由でいたい」という女性こそが先進的でかなり珍しかったのかもしれません。

まとめ

アンニュイでお洒落な気分になれる映画『ティファニーで朝食を』についてご紹介しました。

上品という言葉がピッタリのオードリー・ヘップバーンが奔放な娼婦の役を演じた本作。

ミスマッチのように思えて、その実、美しくてチャーミングでどこか小悪魔的なホリーは、オードリーが演じた代表的なキャラクターの一人となりました。

時折、差別や倫理問題でお洒落な気分に水を差されたような気分になることはあります。

しかし「深く考えずに、雰囲気とオードリーヘップバーンの美しさを堪能する」というのが、この映画の正しい楽しみ方なのかもしれません。

別の見方をすれば、価値観とは時代と共にこんなにも変わるものなのだ、というのが良くわかります。

ちなみに小説版もあります。訳はあの村上春樹さん!

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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