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【日記】四月の真ん中

気づくと、怒涛の四月も十五日になっていた。
先月行った旅行の話も、書きたい書きたいと思いながらタイミングを逸している。

んーのんびりしちゃってるなあ!

春先はどうしたことか、やたらと集中力が散漫になる。元々そんなに集中力のあるタイプではないのだけれど。

何ででしょ、風に呼ばれるからかなあ。

家の近くの桜の木は、すっかり風によって枝先の春が吹き飛んでいた。


今くらいの気候は、なかなか過ごしやすくていい。

程よい気温、程よい風、程よい日差し。
花粉だけが私を苦しめているけれど、屋内にさえいたらまだ耐えられる。

明るい光の差し込む部屋で、何かしらの音楽やラジオを聞きながら、ぽちぽちとキーボードを叩く。

上手く言えないけれど、何となく「いい時間を過ごしているなあ」という気持ちになる。

太陽の光は偉大だ。

私の心は、ソーラーパネル搭載型なので、とりあえず太陽光を浴びていたら、おおむね勝手に元気になる。

そのことをよく知っているので、天気の良い日は当たり前に機嫌が良い。

あたたかい窓辺で、雑多に並べた創作のタネをゆっくり整理していく。贅沢だなと、思う。


年度の変わり目ということで、ちらほらとまた教え子から連絡が入る。

この春に転職した、引っ越しをした、新しい夢を見つけた、とりあえず生きてるよ。
受け取る連絡の幅は広く、その伝え方もそれぞれのらしさがある。

本当にありがたいことです。
最後の卒業生を見送って何年も経つのに、そういえばどうしているだろう…と思い浮かべる人間の一人に、自分がいるという幸福。

嬉しがりなので、どんな報告に嬉しくありがたく受け取る。みんなそれぞれの人生を、兎にも角にもぼちぼちと歩いているようで、ただただその事実にホッとする。

良いのよ何でも、まずは今あなたがそこにいることに意味がある。

いつだって基本的に、全肯定かつ全許容のスタンスなので、教え子たちも言いたいことを言いたいようにだけ言って、また各自の人生を歩き出す。

私は勝手に、人生という道にどんと構えて立っている「大きな木」になったような気分になる。

各々、必要なときに立ち寄って、話しかけたり幹に抱きついたり、木陰で休んだり木漏れ日を楽しんだりして、満足したら戻っていく──。

そんな最高な妄想をしながら、私も私でまたしっかりと根を張る。少しでも深くに根を下ろし、何があっても揺るぎなく力強く、そこに生き続けるために、私も気合を入れ直す。

そんな一日を、今日も私なりに真面目に歩ききった。よおし!

ちなみにこちらは、
ぼんやりしていて焦がしたロールパン。

残りの春も、思い切り吸い込んで歩いていくぞう!

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