【健忘録24?】斜め向かいの誰かさん達

私が腎臓内科ICUにいた時のお話。


若手の女医さんAが中心静脈カテーテルを挿入する際に左頸動脈を穿刺してしまった。


それ自体はよくある合併症で、問題のないこと。しかし、この時は全身状態が非常に悪かった。


潰れてしまっていたのか、この時機能する末梢ライン(点滴の針)が入っていなかった。


しかし、血中の酸素を現すモニターの数値(SpO2)は、みるみる下がっており、早急に静脈に薬剤を投与しなければいけない状況。


そんな時に、末梢用のルートを持った女医さんBが躊躇なく左脚の付け根(鼠径の真上の表在血管)にすっと18G針を留置する。


そして、速やかなモーションで速攻で必要な薬剤をボーラスする。


取り敢えずは急場をしのぎ、別の場所にCV(中心静脈カテーテル)を留置する。


ヘパリンではなくクエン酸を用いた処置を行っていたのだが、そこのICUでは使用頻度が低く、低カルシウム血症により、ふくらはぎを毎日頻回につっていた。(テタニーです。)


女医さんAはその姿に同情し、何かの場面で治療を止めた方がいいか、という話が話題に登った。(直接聞かれたのか、同僚か上司(オーベン=Oberarztin)に相談してるのが私にも聞こえたのかなは覚えていない。)


「私は大丈夫だよ。こんなの、なんともないから大丈夫。」"I can take it. This is nothing compared to '持病' symptoms" と何かの拍子に私は彼女に伝えた。


女医さんAはそれまでの苦痛と同情溢れる表情が一転、若干微笑み、少しリラックスした表情で「そう言ってくれてありがとう。」と私に返した。


こうして、私は治療を継続した。


そんなある日、斜め左向かいのベッド・スペースに患者さんが運び込まれた。血圧は低く、心拍は高かった。ショックバイタルで意識レベルは著名に低下、その後不整脈に陥る様子がモニターしか見えない私にも見えてしまった。


敗血症性ショック。おそらくは、助からない状況だと私が感じて間もなく、その患者さんは家族が呼ばれて数分もしないうちに息を引き取った。家族はリンパ腫の治療中の母親があんなに元気だったのに、治療をすれば治る「はず」だったのに…… と、状況が受け入れられずに取り乱していた。


ICU滞在期間は1時間にも満たないだろう。気の毒に……


治療中のある日、昼間に眠っていたら、懐かしい音が聞こえてきた。頭は9割眠った状態で、久々に聞く懐かしい音。その懐かしさ故に心地良く感じたその音。徐々に覚醒し、その音の正体が何かを認識したら、それを心地良く感じた自分に吐き気がした。


その音は、以前ICUで勤務中に幾度となく聞いた、心肺蘇生の音だったのだ。


加えて、エピネフリン投与、アミオダロン投与、何サイクルか投与するもショックで心拍が元に戻ることがないエピネフリンとアミオダロン。


次にアトロピン投与。3回目投与後のショックで心拍が戻らなかった時に、私は「もう、ダメだな…… 今心肺蘇生開始して何分?」と既に諦めていた。


スタッフの一人から、「まだ若いから、チャンスをあげたい。」との声が聞こえてきた。幸い、4回目のアトロピン投与で心拍は戻り、サイナス。


その時も、おそらく脳死か多大なる脳虚血で後遺症が免れない状況に、気の毒に感じてしまった。生きたくて患者さんも頑張っていたんだよね……


私がもっと幼かった頃、隣のICUベッドに若い女性が運び込まれた。運び込まれて間もなく、男性家族がその女性を大声で呼ぶ声がICUを満たした。


その時、私はその人を励ましたいと考えたが、スタッフに断られてしまった。後に私が家族から聞いた話では、その女性はその晩亡くなっていたそう。


まぁ、ICUが必要な体調で、元気に回復する人の方が少ないくらいなんだろうね。回復しても、全く以前と変わらないことも少ないだろう。(何科専門のICUかやその病院の色でも違うだろう。)


今があるだけでも、奇跡だよね。


今を大切に生きよう!


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