健忘録 【救急外来🤢、ICU😨、キュウリ😋】

普通に予約外受診した際、実は再発していて呼吸状態が悪化していた。


ただ、比較が瀕死(人工呼吸器装着中やその直前)だったので、普通ならば救急車呼んだり、せめて救急外来に受診する状態で予約外受診をした。


ごった返した外来で、ようやく自分の番が回ってきた時の記憶は薄い。


ただ、救急外来に急患としてベッドで搬送されて、フルモニター(酸素SpO2、心電図、血圧)が装着されて、正中に18Gの点滴ルート挿入して、ベッドの頭の角度を上げて一般的に呼吸しやすいとされる半座(体位)に調整していたのは覚えてる。


そのモニターがしょっちゅうアラーム音を鳴らす中、看護師が主治医に電話した。途中で、主治医との電話を代わって交された会話は以下の2文だけだった。


主治医「以前人工呼吸器装着した時と似ていますか?」


私「はい。」


そのまま、同日の緊急PE待機リストに載せてもらい、血液型を再検査して結果が出次第PEが開始された。


記憶のスナップショット。


PE2日目、指に嵌めた酸素(SpO2)モニターで90を下回った値しか出てこない。指を代えても上がらない。マスクで5L。酸素価(SpO2)は上がらない。リザーバマスクで10L、やはりSpO2は上がらない。指から耳たぶにSpO2センサーを付け替えるも、値は同じ。NIV(口だけのマスク)で若干上がるも、そこそこ。NIVでフルフェイスマスク。ようやく95%以上を叩き出した。(たしか95%以上。この時点で健康若年成人で90ならば、安堵にある程度の注視が混在していたのではないだろうか。おそらくは、その様子に気がついただろうこと、加えて安堵感が部屋全体の全スタッフに広がったのは覚えているので、95以上が予想される。後づけの理由を書いているものの、たしか、95以上だったと思うんだよなぁ。)


丁度、このフルフェイスマスク装着後に場が和んだタイミングで、母から私の電話に着信が来た。


スマホの表示に(Mom 母)と出たので腎ICUのドクターが気を利かせて電話に出てくれた。


ただ、昨日まで電話で喋っていた娘の代わりに、太い声の成人男性が電話に出て、状況を伝えた。
"Hello? 
I'm an ICU doctor treating your daughter.
She's had trouble breathing, so we put her on a breathing machine. She's stable now, but she can't talk now. Shall I take a message?"
「もしもし
娘さんを治療している集中治療室の医師です。娘さんは呼吸不全に陥ったため、機械で呼吸を補助しています。彼女は喋れません。伝言はありますか?」

(母は今でもこの時の衝撃を口にすることがある。)


その晩はICUで過ごすこととなった。


なんかのタイミングで、痰に血が混ざっており、一応看護師に報告した。看護師も医師も、酸素投与による粘膜の乾燥などの可能性を重要視しながらも、一応こういう場合にはCTでPE(🤣PEはPEでも、治療じゃなくて疾病の方のPE🤣🤣🤣)の除外は必須だから、CTは撮ることとなった。結果、PE(肺塞栓)はなく、しかし鎖骨下静脈の血栓が造影された。(元々は内頸静脈dextra、鎖骨下dextra、上大静脈に血栓があり、一部が溶けて再開通し、残りは側副路で血流が賄われていた。この時、一時は再灌流していたところが、どっかのタイミングで再度閉塞していることを知った。)


同じ腎ICUでのエピソード。


このもっと後の再入院時も緊急PE施行が発動されたことがある。以前もPEをしていたので、同じプロトコルでの治療開始として、着々と準備が進められた。


この時も、救急外来からフルモニターを着けたまま搬送され、慣れた腎ICUのベッドのモニターに付け替えられた。


早速、左内頸静脈からIVH(CV)が挿入され、PEの準備は整った。


しかし、血液型が変わる場合もあるため、PE開始前の血液型の再検査は病院ルールで必須。(血漿を使うので、血液型不適合が命取りなので、合理的と言えよう。)


何故だったかな。血液型がラボで検索して結果が出るまで当直医の予想した時間を遥かに超えていた。(再検査で採血やり直しだったかもしれないが、記憶は定かではない。)


「以前もここでPEやってるから、必要ないんだろうに。たまに血液型が変わる人もいるから。ったく、病院ルールってば😮‍💨」って感じの声をかけてくれた。
( You had Plasmaseparation here before, but it's hospital policy to check the blood group before starting Plasmaseparation. It's probably unnecessary, you know how it is with the rules. って感じ)


午前2時にPEが開始された。(首都の大学病院で、最重症患者は全員集中する、一点集中型のシステムでの話。重症例のPEは全例がこの病院の腎臓ICUで行われる体制だ。)


慣れた広いスペースに3つ並んだ腎ICUの真ん中の位置に駐車された私は、ウトウトしながらPEを開始した。(ガラス張りのICU個室もある。)


PEは連日3日の後に、各日で4日から7日間施行される。トータル7回から10回でワンクール。(基本的には7回ないし10回となる。)重症や激しい病勢、病態によって、医師が判断すれば、10回をワンクールとする。


私は10回をワンクールだった。


PE前にソル・メドロール200mgをIVで落とし、規則正しく動く回転性の機械の振動を感じながら、私の静脈血は首の血管から引き出され、機械で分離し、一部を捨てて、献血ドナー様の血液に交換されて体内に入っていく。(厳密には、アルブミン置換をし、PE終了時に様々な凝固因子を調べて、必要に応じて血漿で補正していた。アルブミンは献血で頂いた血液を加工し製造される血液製剤。血漿は部分献血などで提供される黄色みがかった透き通った液体。)


この時は……初日、問題は発生しなかった。


そうそう……


けど、2日目だか3日目だかは、症状の緩和のために入れていた内服薬の筋弛緩薬が血液と一緒に体外に排泄されてしまい、その影響で症状が悪化した。


身体的苦痛は、相当なものでも耐えられるので、「大丈夫。治療の完遂を優先して。」的なことを伝えた。しかし、これ以上は危険というPE施行医師の判断により、この回あと残り少しというところで中断になってしまった。


しかし、この影響で、私はとにかく計算上正しいはずの血液を捨てる際に抜ける薬剤も補填する投薬量に調整して内服し、事なきを終えて順調にその次以降の回を完遂していった。毎回、投薬量を微調整しながら……


ただ、なんかの時、PE後の対処が内服薬を調整していない時のものとして、大きく変更された。この時、実は症状緩和にオピオイドも投薬を受けていた。結果、オピオイド無しの場面ではオーバードースで呼吸抑制が来ない量の薬剤でも、オピオイドの影響と重なったら呼吸が抑制されてしまった。


翌朝、起きたら呼吸ができず、モニターが70代でガンガンに鳴り響いていた。


こっちとしても、モニターのアラームが鳴り、数値があんまり悪いと挿管(人工呼吸器装着)になってしまうのだけは避けたい。


友人医師らが状況把握、血液ガス、投薬指示を行う。その中、北海道旅行で紅葉を見た話をしてくれた、日頃から色々優しく対応してくれていた看護師が、ちょっとした裏技を使おうとするが、それも無効。


私は頭の中で

「breathe!」(息をしろ!)
「breathe!」(息をしろ!)
「breathe!」(息をしろ!)

と自分に?自分の身体に?訴え続けている。


SpO2が74とか過ぎて崖を下るようにクラッシュしている中、(この辺以降の記憶はイマイチ……)

えー……

(ここからが再びちゃんと覚えていること)
とりあえず、呼吸状態が回復して、血ガスではCO2が上昇し、O2が下がっていたので、その後全てが回復してくるまで頻回に血ガスを橈骨動脈から取っていた。


このエピソードは……ここまで。


案外、人の記憶って断片的ね。


あ、でも、これだけは書き加えておこうかな。


腎ICUも緊張感が高まることが毎秒起きているわけではない。


ある日、友人がPE中にお見舞いに来てくれた。給食着のように(コロナや無菌室のように)、マスクとガウン、帽子を被っての登場。普通に笑って楽しく会話して、とてもいい思い出となった。


以下は一般病棟に戻ってからの話。


病院食が普段食べるの野菜量よりも大幅に少なかった。(とても美味しかったんだけど、野菜不足で野菜が食べたかった。)友人が、スーパーからきゅうりやズッキーニなど、様々な野菜を買ってきてくれて、仕事終わりの夜や休日の昼間に届けて洗ってくれた。


院外で友人になった友人看護師の人もたまたま私が入院した病棟が勤務先で、彼女もついでに色々と野菜を届けてくれた😄


それを丸洗いしてくれたので、私は満面の笑みでそれらの野菜をベッドで丸かじりしていたとさ。


今を大切に生きよう!





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