時間の使い方=自分の気持ち

最近の自分の思考回路を振り返った時思ったこと。それは、『時間=気持ち』だということ。皆平等に限りある時間。私は【時間の使い方が上手な人程、自分の気持ちに素直に生きている】のではないか?と思うようになった。具体的に何が言いたいのか、自分のエピソードを紹介してみる。

以前の投稿にもあったように、友達関係において、次の予定に対して気が進まなかった経験だ。私の人生を振り返ってみても、そんなことを悩んだ経験は初めてだった。そもそも、学生時代(高校生まで)に友達と楽しく過ごした記憶が少ないからこそ、専門学校の2年間、初めて楽しい学生時代を全うした。どんな子と関わる時も、基本的に笑顔を絶やすことなく、自分自身もポジティブマインドを意識して過ごしていた。そうしたことが友達作りに直結してか、毎日楽しい学校生活を送れたのだと微笑ましく思う。学生だからこそ、遊べる時間を見つけては友達と遊んで楽しかった。また、時に勉強する時も、友達と一緒に教え合いながら試験や課題を乗り越えた。そんな風に、『いつでも友達がいると思える自分』が人生初めてで、これまで幾度も憧れていた自分になれて幸せだった。特に苦手な関わりを要したこともなかったし、多少あったとしても他の友達がいたから何も思わなかった。当時の私は、周りの友達から、『いつでも楽しそうな子』に見られたい気持ちが無意識にあった。実際に、いつでも楽しく過ごしていたのだけど、それは確実に【友達の存在】のおかげだった。逆を言うと私は、【友達の存在】がなければ、楽しく過ごせなかったと今頃思う。要は、『自分が楽しく過ごすために【友達の存在】が必要』だったのだ。
そんな思考を持ち合わせたままの状態で、卒業後も空いている時間を見つけては、遊びたい友達と予定を立てた。コロナ前までは、友達と旅行をいっぱいしたい気持ちが強く、そのためのお金と時間を作るためにも転職した。楽しい記憶が少ない学生時代とはいえ、休日に遊ぶ友達がいたことは、不思議と恵まれていたのかな?なんて思っていた。
ところが、コロナを理由に以前のように頻繁に遊ばなくなって3年以上、旅行と呼べるような外出は控えていた。更に、それぞれの職業や住んでいる場所や環境を考慮すると、気軽に誘うことも躊躇った。それでも、以前に増して電話したり、必要以上の外出を減らした遊びをしたりと、【自分が楽しむ=時間の共有ができる人のおかげ・感謝=大事な人】の感覚で過ごしていた。
だからなのか、そんな当時の友達に対する今の気持ちは、【大事な人】から衰退している自覚がある。正直、当時はそれで楽しかった。『自分は1人じゃない。大事な友達が居て幸せ』みたいな感覚だった。だから逆に【自分1人の時間を充実させる】ことを知らずに過ごしていた。なんてことに気づいたのも、つい最近。【自分の時間=寝る。それ以外は必要最低限の家事のために行動する時間】として活動したいた。つまり、友達がその場に居ないと、家では結局【1人でも幸せな感覚とは程遠い時間】だったということに、我ながら恥ずかしく思う。

そんな自分の生き方を劇的に変えるきっかけになったのは、彼氏との同棲である。以前にも投稿した事がある通り、彼は基本的に忙しく毎日を過ごしている。私が急に『私も忙しく生きたい!』と思ったところで彼のように忙しく過ごせる訳でもない。何故なら、私は私だから。それに、私には『パワフルに活動したいと思える程の相手がいない』ことに気づいた。言い方を変えると、要は【相手がいないんじゃない。自分が、そう思わない】ことを自覚した。これまでの1人暮らし生活では、単純な話【自分を満たしてくれる相手】に対して活動していた。つまり、上記にあったように、【自分が楽しむ=時間の共有ができる人のおかげ・感謝=大事な人】の感覚が、正にそれを物語る。
私が同棲したのと同じように、友達も皆それぞれに叶えたいことがあり、そこにお金も時間も使うようになった。それはきっと、【互いに大人になった証】なのだと実感する。結果【自分が楽しむために互いの時間を共有すること】が難しくなってきた。そんなことに気づいて納得した。『時間なんて沢山ある』と思っていたはずなのに、それぞれに【大事にしたい気持ちの対象が増えた】ことで、【互いの共有時間が減ってきた】ことを理解した瞬間だった。
しかし、1度【大事にしたい自分の気持ち】に気づくと、そうでないことが【急に無関心】に近くなった。決して『気持ちが無い訳ではない』のだが、それ以上に【大事にしたい自分の気持ち】に素直になっただけ。ちょっと前までの私は、【大事に思える人達が居ること】が幸せだった。それが今は【自分が大事にしたい人やこと、もの全てを、自分の手で掴むこと】が幸せだと思うようになった。【自分が大事にしたい気持ち】は、『沢山あればある程に自分を満たすことが自分で出来る』ことを知った。

そんな訳で最近の私は、【自分で時間の使い方を決断する】ようになった。以前の私だったら『きっと言えなかった』であろう胸の内をストレートに伝えてみたり、先の経験の様に『気が進まないこと』に対して断ってみたり。逆に、今まで深く関わりが無かった人に対して『急に気になって距離を縮めて』みたり、『自分の気持ちのままに』用事や家事をこなしてみたり。そんなことを意識的に取り組んでいる今、【他人にとって自分がどんな印象か?】みたいな疑問も遠ざかったと自覚している。そんなことよりも、【自分が叶えたいと思うことに真っ直ぐ、共有したい相手も自分が選択する!】位の気持ちになった。また、『他人の誘いに乗る・乗らないの選択』も、もちろん自分だ。そんな風に【基本的に自分の感覚】で、自分にとって無理じゃない【相手との丁度良い距離感】を【自分で作って】人間関係を構築していく。決して【わがままとか自分勝手】ではなく、それが『自分の気持ちのまま』に『時間を上手に使う』なんてことなのかな?と思ったのである。

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