人それぞれに、1人の人間

昨日の投稿について、未だ完全に腑に落ちたとは言いきれない自分がもどかしい。しかし、こんなことでが『自分の頭ネガティブ思考で忙しいこと』の方が、もっと自分の中で【無意味な事】だと思う。そう自分で思うのに、なかなか思うようにスッキリしないのが現状だ。

昨日の帰宅後、彼に話をすると意外とあっさりな反応だった。んまぁそりゃそうだ。私の実家の話な訳だから、ぶっちゃけ深入りはしないよね。しかも、【普段からも何考えてるのか、本当に理解に苦しむ次女】が相手だ。自分本位にしか物事を考えてないような印象で、納得いかないとすぐに感情的になる。めちゃくちゃガキな妹だと、自分の妹ながらも『反応に困ることが多い』のは、正直なところ。いつもなら、大抵のことは『私には関係ない』と割り切れること。しかし、今回の結婚式ばかりは、そうはいかない!と思ってしまった。その理由は、昨日もあったように、結局のところ『変な責任感』が湧いたから。この『変な責任感』に対して、【私の個人的思考】なことを、今更ながら自覚した。そう自覚しながらも矛盾はあるし、納得出来ない私の現状。

これを脱却するための1つの思考回路は、『もう構うな。放っておけばいい』ってこと。他の家族の反応を見たところで、それぞれが自分の動きに対する疑問が、まるでない。当日、自分がどんな動きをする必要があるのか、そこに興味を示す感じも伺えない。むしろ、次女本人が言うように『言われたこと言われたようにやればいいだけ』と認識しているように見えた。そんな感覚の家族を相手に、私1人が情報共有したくて動いたところで『無意味なのかもしれない』と思うようになった。『無意味』というのは、つまり、『次女も、他の家族も、互いにそれぞれの動きに関心が無いのなら、私も好きにやらせてもらうわ』ってなったってこと。『当日、【私個人の感覚】で恥ずかしくないように過ごすわ』って気持ち。

そしてこの時私は、今回初めて認識したことがある。それは、私は【妹の姉である前に、1人の人間】なんだってこと。そして、次女も次女で【次女や新婦である前に、1人の人間】なんだってこと。そしたら、『対人間』なんだから、『理解出来ないこと』も『思うようにいかないこと』も【もちろん当たり前】だよねって話。他の家族もそう。みんな同じ。『対人間』ってことはつまり、【私は私】【相手は相手】って話やん?いつも私が躓くやつよね!って答えに辿り着いた。

結論、【私は私】【次女は次女】【家族は家族】で、みんなそれぞれな訳だ。『何を尊重するのか』『どんな気持ちなのか』『何のための式なのか』みたいなこと。また、今回に限らず、結局のところは極端な話、【全く別の個人の集まりが家族】な訳だ。そんな【当たり前】な話にやっと辿り着いた。とはいえ、日頃からツッコミどころが満載な程に尽きないのが、ぶっちゃけ現実。しかし、それを1つ1つ解決していくと言うよりは『私自身が既にめんどくさい』と思っていることを自覚した。しかし、『めんどくさい』の一言で片付けてしまわず、【家族の一員】として『それぞれと本気で向き合う努力を重ねたい』と私は思った。いくら家族とは言っても【人それぞれに1人の人間】であるということ。そして、それぞれとの関わりの中で、【その都度、自分自身が納得出来る反応】を意識したい思うところである。

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