理想の生き方を目指して

個人的に最近よく思うこと。私は、他人に対して【必要以上に】謝ることや、【必要以上に】相手の意見を求めること、そのための質問を投げかけるようなことを言わない人間になりたいと思う。今回の投稿では、【必要以上】というのがキーワード。別に、全く謝らない訳でもないし、全く相手の意見を聞かないということでもない。ならば結局何が言いたいのか。そんなことを私の持論として発信したい。

これまでの投稿でも、【必要以上に】というワードを何回も使ってきている。この時の私の気持ちは、【自分の中の最大限の満足感や達成感】を前提として考えている。私は、意識をしていないと【必要以上に】謝ることや相手の意見を求めることが本当に多い。最近では、自分の発言した直後に『また謝ってしまった』とか、『また余計なこと聞いてしまった』と反省する時もある。具体例として、『私が夜ご飯を作り盛り付けた後、彼氏と食事をする時の会話』を挙げてみる。私が無意識によく発言する内容だ。帰宅後の彼に、
「ご飯、まだ作ってる途中だからごめんね!」
「待たせてごめんね。」
「ご飯の量、多くない?」
「この味付け好きじゃないかもだけど食べれる?」
「味のバランス悪くないかな?」
などなど。
正直、相手の意見を聞くより先に【自分の感覚で精一杯のことをした事実】に焦点を当てたならば、
「今、丁度ご飯作ってるよ!」
「ちょっと待たせちゃってるね。」
「ご飯の量、私の感覚で盛り付けたよ」
「この味付け好きじゃなかったら残してもいいよ」
「私的にはこの味でいいと思ったんだよね!」
みたいな、自分をベースにした発言ができるのではないかと思ったりする。というかむしろ、そんな自分になりたい!と私は思う。
他にも、生活の1つ1つに対していちいち、
「ご飯食べる?」
「今日このメニューだけどいい?」
「食べ終わったお皿下げようか?」
「お風呂いつ入る?」
「テレビ何見ようか?」
「もう寝ようか?」
などなど。
キリが無くて面倒なくらいに、【相手の意見を求めるような意味の無い質問が多い】という自覚が私にはある。そして、そんな質問を投げかけた後、相手の反応が少しでも違う返答だった場合、これまた面倒だ。今度は逆に【自分が思ってたのと違ったんだというギャップ】を理由に謝り始めるのだ。そして、『私は相手の考えに添えなかったんだ』と自分を責めたり、『そんなことも私は分からないんだ』と悲しくなったり。
大袈裟に思うかもしれないが、少し前の私はそんなことが日常だった。しかし、そんなことで自分がネガティブになっている状態を、【少し違う角度】から見えるようになった時。それが、自分を変える貴重なタイミングなのだと気づいた。いくら相手の意見を求めたとて、相手の気持ちに添ったことをしたいと思ったとて、【相手は相手】なのだ。そして逆に、相手の意見を求める前に、自分なりに出来ることをどれだけやったのか。【自分の中での満足感や達成感】があるならば、仮に相手の気持ちに添わなかったとしても、【自分を責めたり悲しくなったりすることは減る】と私の実体験として自信を持って言える。それがつまり、【必要以上に謝ったり、相手の意見を求める発言の減少に繋がる思考回路】だと自負して意識していることなのである。

【必要以上に】相手の反応を求めたり謝ったりする前に、私は、【自分の中での満足感や達成感】を大切にして生きたいと思う。

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