互いに笑っていられる環境を求めて。

先週末、急に体調を崩した。絶賛今も鼻声だし、病院で処方された薬を飲んでいる。とは言っても、なんだかんだで土日共に活動出来ていたし発熱もしなかった。インフルエンザ流行の最中であるにも関わらず病院に行ったところ、「アレルギー性鼻炎が発症している」と言われた。風邪を疑って病院に行ったので、結果が意外過ぎて逆に安心した。『なんだ、鼻炎なのか』と軽く思った程度だった。とはいえ個人的には久しぶりの発症だった。鼻から喉の方に鼻水が垂れていくなんてことは初めてな気がしたし、めちゃくちゃ喉も痛かった。また、もっと言うと実は、先々週末、蕁麻疹を発症していた。これまた週初めに皮膚科を受診したところ、汗疹とアレルギー反応の蕁麻疹だと診断を受けた。処方された塗り薬を数日塗り続けたが、未だ完治とは言い難い現状。1週間に2回も通院し、2回ともアレルギー症状であったことについて、私は、文句を言いながらも笑ってしまった。しかも、愚痴っぽく彼や友達に話してみても、やっぱり笑い話。『さすがこの人達だな!』と笑ってしまったのも正直なところ。そして私はこの時、『ちょっと心配されるかもしれない』と思いながら話題にするよりも、『心配される訳でもなく【互いに笑っていられる環境】が心地よい』と思った瞬間だった。

今回のブログ投稿に対する私の気持ちは、正に上記の通り【互いに笑っていられる環境】というのがキーワードになる。何が言いたいのかを、少し砕いて説明したい。
他人に話をすることにより、(もちろん【相手次第】ではあるが、)『心配』もしくは、(こちらが求めていないような)『アドバイス』をされた。なんて経験は、きっと誰にでもあるだろう。しかし最近の私は、この時点で少し気になることが出来た。それは、『自分が笑って話をしていたとしても、相手が笑って聞いていられなければ、【互いに笑っていられる環境】では無い』ということ。逆に、『相手の価値観の押し付けに近い発言』に対しては、自分が純粋に笑えなくなる。その現実が、我ながら少しばかり寂しく思ったりするのである。なぜ『寂しい』と思うのか。それは、前回の投稿にもあったように、『自分の実態を話しているだけなのに、 しかも自分が笑っているのに、それを相手が笑えない環境』だからである。それ以上のことが、もっと『話しにくくなる』し『今後も話をしたいと思う気持ちが衰退する』ことだと気づいたからだ。どれだけ大切な人でも、『話をしたい!』気持ちよりも、『互いに笑って話が出来ない相手』だと考えてしまう。すると、『自分の本来の気持ちとは裏腹になってしまう』ので、結果『話さない』選択をする。私は、その選択が『互いの心に距離が出来る』ことを意図している気がしているのだ。まぁそれでも、相手を大切に思う気持ちは完全に無くなる訳では無いので、『【互いにとって丁度良い心の距離感】を大切にしたいな!』なんて思うになったのも、つい最近のことである。
私は、自分意思【自分が求める気持ち】に反することを選択しなくなった。結果、【自分が納得出来る結果】が必然的に増えた。だから私は、どんな話でも事象でも、出来るだけ【互いに笑っていられる環境】を求めて話がしたいし、そんな時間を共有したい。【楽しく生きること】を意識しているだけなのだと、我ながら納得している。
相手はきっと、話をする私に対して【相手の価値観のままの状態】で『心配』や『アドバイス』を【したい】のだと思うようになった。ネガティブな話でも私にしてくれて『ありがとう』と思う気持ちなども考えるられる。本人達の中で、その様な感覚の有無に関しては明確でない。しかし、少し前までの私は、そんな思考を持ち合わせていた自覚がある。その時の私は、『心配』も『アドバイス』も両方【したい】気持ちだった。『相手を思う感情表現』だと思って『相手の意思とは裏腹なこと』を沢山していたのかもしれない。今更ながら反省する。しかし、『それが私に出来ること』だと考えていたし、『相手とってもいいこと』だと、【明確な根拠も無い】のに何故か信じていた。また、自分のことを、例えどんな話であっても聞いた相手に『心配される』『アドバイスによって解決・改善される』『価値観が知れる・聞ける』『共感される』なんてこともまた信じていたのかもしれない。更には『そのお陰で私は元気になれる!』などと思っており、そんな『相手の存在に感謝して生きることが幸せ』だと思って生きていたのである。
それが、今の私は違う。むしろ『自分の意思で生きたいように生きてなんぼだ!』と思うようになった。そのために【自分が求める気持ちと比例した行動】こそが自分の幸せに1番近いと考える。だから私は別に、【他人からの心配やアドバイス、共感、決断や解決を求めるため】に話をしなくなった。しかし、だからと言ってネガティブになることももちろん無い。どんな私の話であろうと、相手の価値観をストレートに聞けること、それがどんな反応であっても【基本的にポジティブ】な人に、私はきっと話をする。どれだけ大事な事でも、『もしかしたら心配かけるかもしれない』と思うかもしれない。でもそれ以上に『話したい気持ちが勝ったタイミングで話すこと』が、【私の気持ちと比例した行動】であると言える。更にはきっと、別に『必要以上に私の話を求められていないと感じる人』ほど、意外と話がしたくなるのだと実感している。自分の行動のその先に、『出来れば自分が元気でいたい』なんて思うからこそ、無意識だけど相手を選ぶのかもしれない。

そんなことをまた、いつもの如く思い巡らせるきっかけとなった出来事なので発信してみたよ。長文のお付き合い、ありがとうございました😊🙇🏻‍♀️

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