見出し画像

映画「新聞記者」と安倍首相記者会見に見る情報操作

先週、2019年日本アカデミー賞の最優秀作品賞を受賞した「新聞記者」を観た。インターネット時代に情報を操作する日本政府とその真実を暴こうとするマスメディアとの対立の中で、権力に立ち向かうエリート官僚と女性新聞記者の葛藤を描いた社会派サスペンス映画である。内閣情報調査室(通称:内調)と呼ばれる内閣官房内の情報機関を中心に物語は進んでいくのだが、計画的に情報統制を行う政府とそれに翻弄されるマスコミ団の姿からは、フィクションでありながらどこかリアルが感じられた。

このように「情報操作」と聞くと戦時中のプロパガンダのような怖いイメージをもつが、政府が情報の流れや世間の注目をコントロールするという意味では、今でも当たり前に行われている。つい最近話題となった安倍首相の記者会見を見てもそうだろう。新型コロナウイルスへの具体策の発表が期待されたが、その場に用意された原稿と限られた時間の質疑応答によってあっけなくお開きとなった。その場にいた記者からは「これ会見と呼べますか?」と政府に疑問を投げかける声があがり、その翌日には会見を非難する多くの記事が出された。

こうして世に出た記事だけを読むと、まるで安倍政権だけが悪者のように見えてしまうが、果たしてそれは事実だろうか。確かに会見が国民を安心させるものであったかと言われれば十分ではなかったが、一方でマスメディアもまた国民を不安にさせているのではないだろうか。政府が蛇口をひねって情報の量を調整している先では、マスメディアが出てきた情報に主観を交えて色をつけている。新型ウイルスによって世界中が混乱している中、政府の悪口を読んで心が晴れる人が一体どこにいるだろう。こんな時だからこそ各メディアは、どのようなメッセージを国民に伝えるかを真剣に考え、さらにはそれが伝わった後のことまで想像を働かせなければならない。

最後、冒頭に戻ると「新聞記者」では政府による情報操作が問題となっていた。その裏に隠れた真実を伝えようとする女性記者はジャーナリズムの鏡そのものであったが、悲しいことに現実ではそのような記者ばかりではない。しかし、政府と記者たちとのやりとりが表に出なかった時代とは違い、今ではそのやりとりをいつでもどこでも見ることができ、マスメディアに頼らずとも自分自身で目の前の情報を見極めることができる。新型ウイルスに関しては様々な憶測が飛び交っているが、首相の記者会見一つをとっても、改めて一つの情報を鵜呑みにしない慎重な姿勢が求められている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?